日別アーカイブ: 2015年8月14日

安倍談話発表

先ほど、8月14日午後6時ちょうどから、安倍首相による戦後70年談話が発表された。談話は15分位の長いものになると思われていたが、実際はそれよりも長い20分を超えるものであった。そして村山談話を継承するのかという点に関しても注目を浴びていたが、内容を全体的に眺めてみるとほぼ村山談話を継承していると言っていいのではないかと思う。

具体的な内容だが、アジア諸国へのお詫びなどの村山談話に通ずるところ以外では、まず国際問題解決の手段として武力行使は決して下してはならないという点を強調していた。そして基本的人権・自由を守ること、そして武力による現状変更はしてはならないということを強調していた。これらに関しては、先の戦争までの軍国主義日本への反省を表明したことだが、それと同時に中国に対しての国内政治、そして南シナ海をはじめとする現状変更に対してけん制したものともとらえられる。この点に関しては非常に練られた文言だと言える。

そして、戦後に直接関係ない子や孫、さらにこれからの子孫に対して延々とお詫びを言い続ければならないようなことはあってはならない。そのために我々の世代で残された問題はしっかり解決しなければならないと言及された。これに関しては過去の歴史にいつまでも縛られずに、未来志向で考えていこうという安倍首相のメッセージだととらえられる。

安保法案に関しては中国を敵かそうでないか、どちらの味方をするかで解釈が変わる。安倍首相は安保法案の真意は戦争を未然に防ぐ、あるいは戦争のリスクを軽減するものだと主張された。この点に関してはこの法案を戦争法案と一括りで反対している市民も一考を要ずるところであろう。

この談話に関して、一部分を切り抜くのではなく全体を通して理念や趣旨を理解してほしいとも言われた。このことに関しては、メディアがしがちな一部分切り抜き攻撃に対してだけではなく、重箱の隅をつつくように攻撃してくる韓国をけん制したものとも考えられる。

以上、非常に長い談話で、その長さゆえ一つ一つのことが薄くなりがちな感もするが、安倍首相の表明したいことをほぼ全て詰め込んでのことだととらえたい。

又吉さんの「火花」論評をめぐって

最近の文芸関係の話題はもっぱら、芥川龍之介賞を受賞した又吉さんの「火花」だ。初めに告白するが、僕はまだ火花を読んでいない。なので火花の中身についてとやかく言う資格はないのかもしれないが、火花を取り巻く周りの状況、特に文芸マニア・文芸評論家たちの論評が少しおかしいのではないかと感じているのでこのブログ記事を書くことにした。

一般市民の間では火花の注目度は非常に高く、純粋に面白いと感じる人は多いみたいだ。そして何より200万部以上売り上げた(8月14日現在)という事実は驚がく的であり、その凄さは素直に認めるべきである。

しかしこの火花を、そしてその売り上げを断固として認めない連中がいる。いわゆる文芸マニア・文芸評論家たちだ。彼ら彼女らは火花が売れれば売れるほど「アンチ火花・アンチ又吉」の姿勢を強め、またそれが業界のステータスになっているみたいである。そして彼らの批判的な論評を読んでみても、「良い作品と売れる作品は違う」ということを異常に強調しているが、内容に関しての論評は全くと言ってない。火花を読んだと思われる形跡がないのである。

もちろん火花を読んで率直に気に入らないのなら、どこが気に入らないかを詳しく論じればいい。それが評論家というものだ。しかし読みもせずに単に「芸人が書いた、知名度で売れた小説」と初めから見下して読まないのはいかがなものかと思う。

あるプロレス関係者は、「全てのジャンルはマニアが潰す」と発言したそうである。今それが又吉さんの火花をめぐって起きているのではないかと思う。僕には文学の芸術的な表現はあまり理解できないが、多くの人が買って読んでいるということは、火花の内容が多くの人に受け入れられる表現をされているとして評価すべきだと思う。文学は文学マニア・文学評論家だけのためにあるのではない。マニア・評論家はそこを勘違いしている。

又吉ブームが落ち着いた頃、僕も一度火花を読んでみたいと思ってるが、その時また読んだことを踏まえてブログに記事を書いてみようと思う。