日別アーカイブ: 2017年7月30日

自分を解き放つ!

自分に対して何か制限を課していないだろうか?例えば僕だったら、「一日一つのブログ記事を書く」ということも、一つの制限だった。元はと言えば、毎日ブログを更新しようということだったが、最近では「一つ”しか”更新しない」という制限になっていた。そういう制限を取っ払って、「書ける時はいくつでも書こう」というスタンスに変えることにした。

そこで今日も、この記事で4つ目のブログ記事だ。思ったら、考えたら、どんどんブログ記事を書いていこうと思う。書けるときは、一日に複数の記事をどんどん書いていく。

自分に対する制限は、何もブログ記事だけではない。筋トレの腹筋の回数、数理物理の研究に打ち込む時間帯、など様々ある。

しかし、怠慢している時間はどんどん制限して抑えなければいけない。本屋での立ち読みも制限しないといけないかもしれない。

とは言え、自分に対する積極的前進と向上のためには、制限を課すことは無意味だ。思いっきり暴れまくって、自分を解き放たなければならない!

ホリエモンロケットは、挑戦者の証だ!

ホリエモンこと、堀江貴文氏の立ち上げた会社が、7月30日午後4時半ころ、ロケットを打ち上げたという。このロケットはかなり本格的なもので、全長10メートル、重量は1トンにもなるという。今回の打ち上げは失敗したそうだが、いろいろな意味で注目すべき打ち上げだ。

このロケットの一番の特徴は、完全に民間企業だけで製作・打ち上げしているという点である。ロケットという巨大プロジェクトではどうしても公的な機関・開発研究施設の力を借りないと困難が伴うが、今回のプロジェクトが完全民間であるということの意味合いは非常に大きい。

堀江氏はご存じのとおり、考えたことは実行に移す人だ。あまりにも積極的に行動したためか、刑務所にも収監されたが、そんな逆風にも倒れず、出獄した後もこれでもかというくらい積極的に様々なことを実行している。今となれば、堀江氏の刑務所収監は、実行力の塊である彼の”勲章”でもあるように思える。

僕自身もかなり実行力には自信があるが、堀江氏と比べればかすんで見えないくらいにちっぽけに感じてしまう。

今回のロケット打ち上げは失敗したが、彼は確実に再挑戦するであろう。ロケット打ち上げは堀江貴文氏の挑戦の証である。

これまでボクシング王者挑戦(あるいは防衛)戦について思っていた、一つの疑問。

先日中国で、無名の日本人ボクサー(世界7位)が、世界王者の中国人ボクサーに挑戦し、下馬評を根底から覆す勝利を収めた。その日本人ボクサーの名は木村翔(28)という。僕はボクシングを観ることは好きなのだが、木村ボクサーの名前は全く知らなかった。この勝利の結果はニュースで知ったのだが、このニュースの一番の注目点は、中国という完全アウェーでの勝利だということだ。

これまでボクシングのベルト(王者)をかけた試合に関して、いつも疑問に思っていたことがある。それは、日本人が戦う王者戦がほぼ例外なく日本国内で行われているということである。心理戦でもあるボクシングの試合で、ホーム開催は圧倒的有利である。なので、日本人の戦う王者戦は圧倒的有利な環境で行われていることになる。そのことに疑問と不満を感じていた。

今回、日本人ボクサーが”敵地”中国という完全アウェーで勝ったことの価値の大きさは、非常に大きなものである。

今回の試合中、中国人王者が木村ボクサーに拳をタッチするだけで大いに歓声が沸き、木村ボクサーのパンチが当たってもシーンと静まり返っていたという。この様な状況の中で勝利した木村さんのメンタルは凄いものである。

しかし、このような状況は、これまで日本人ボクサーが外国人ボクサーにやってきたことそのものである。日本で行われる王者戦は、(当たり前のことだが)いつも日本人ボクサーの肩を持つものであった。そのような試合ばかりで、中立的に考えて圧倒的有利なホーム試合での日本人ボクサーの勝利にどれだけの価値があるか、疑問に思っていた。

しかし、今回の木村翔さんの勝利は、このような疑問を吹っ飛ばしてくれるものだ。外国で勝って王者になったボクサーの価値は非常に大きい。

ちなみに、日本人ボクサーが海外で世界王者を奪取したのは、1981年以36年ぶりだそうだ。

闇に包まれても。

闇に包まれている時は、いつ闇から抜け出せるか不安だ。闇からの出口はまだまだ遠いのか、それともすぐそばなのか。闇からの出口というものは出てみるまで分からない。

しかし闇に包まれていても、出た時の準備を怠ってはならない。闇から出た時、最大限に羽ばたけるように、抜かりない準備をしておかなければならない。

ただ、その場に留まっていれば、出口は永久に現れない。だから最低限の前進はしなければならない。なんなら、もがき苦しむのも悪くない。何もしないよりましだ。ただ前を見てもがき苦しまなければならない。

出口から出た時、どんな輝く光を浴びられるか。それを考えるとわくわくする。そんな気持ちを「希望」というのかもしれない。