日別アーカイブ: 2017年10月1日

なぜ基礎科学が重要なのか?

10月2日(月)からノーベル賞の発表が始まる。文学賞で注目されている村上春樹も気になるが、やはり科学分野3賞がどのような分野に授与されるかは注目されるところである。

ところで、ノーベル賞は基礎科学重視である。もちろん2014年の物理学賞の青色発光ダイオードのような応用分野に授与されることもしばしばあるが、割合で言うと基礎分野への授与が多いのではないかと思われる。

では、なぜ基礎科学が重要なのか?その答えを誤解を恐れずに一言で言えば、「基礎科学の方が純粋に科学的価値が高い」からである。それの対比として応用分野の重要性を一言で言うと「役に立つ」ということであろう。

しかし厄介なのが、この基礎科学の「科学的価値」というものは、なかなか多くの人には理解されない。純粋科学の科学的価値は、数値では表現できないし、言葉でも簡単に表せない。そのせいか、基礎科学を研究している人に対して「道楽だ」という言葉を投げかける人もいる。なかなか基礎科学の重要性をわかってもらえないのが少し悩ましい。

もちろん、応用科学も元をたどれば基礎科学の結果の上に成り立っている。基礎科学がなければ応用科学も存在できない。そう言えば少しは基礎科学の重要性はわかってもらえるかもしれない。しかしそれは純粋に「価値」を理解するのとは少し違う。

ほとんどの基礎科学者は「基礎」を研究していることに誇りを持っている。そして「基礎」の価値と重要性をどこまで理解して受け入れられるか、それは社会の熟成度を大きく示すものである。

できないのが悔しいのではなく、努力できないのが悔しい。

努力してできなかったことは諦めがつくが、努力できないことに対しては非常に悔しいし、情けない。最低限の努力は何ともしておきたいものである。

最近は、根性論だとか精神論を何かと否定する風潮が強い。確かに根性論・精神論を他人に押し付けるのは間違っている。だからと言って精神論が全く不要かと言われればそうではないように思う。ましてや自分自身を鼓舞するための精神論を他人に否定される筋合いはない。

現在は、集団主義から個人主義に移りつつある。そのような個人主義の中で、他人に自分の考えをごり押しするのは確かに間違っている。努力するもしないもそれぞれの自由である。しかしその結果は火を見るより明らかである。

そのような悔しい思いをしないためにも、努力をして悔いの残らないように取り組みたいものである。