日別アーカイブ: 2018年10月31日

火の鳥。

僕が昔読んだ漫画の中で非常に好きだったのは、ドラゴンボール、のだめカンタービレ、そして手塚治虫の火の鳥だ。火の鳥は生命の象徴であり、死んでも再びよみがえる。そして火の鳥の生血を飲んだ者は永遠の命を手に入れられるというものだ。

人間には寿命というものがある。それは絶対に逆らえない自然の原理だ。しかし生物学的な命と共に、精神的な生命というものがあると僕は考えている。人間は生物学的に生きている間は、その精神は絶対に死んではならないと僕は思っている。

僕自身、精神が死にかけたことは何度かある。しかしその度に僕の精神はよみがえってきた。僕の精神は火の鳥だと思っている。ではなぜ死にかけた精神をよみがえらせることができたのか?それは人生の明確な意味と目標を常に持っているからだ。そういう意味で僕にとって数学と物理は命を与えてくれるものだ。

人間はよく二元論で語られる。物理的な身体と精神的な思想だ。このどちらがなくなっても人間は生きることができない。身体が生きていても精神が死んでいる状態は、僕は人間としては死んでいると考えている。体の健康は多くの人が気に留めているが、精神的な生命の健康をどれだけの人が気に留めているだろうか?それは精神が死にかけてよみがえってきた人にしかわからない。

火の鳥の生命、そして永遠の命とは、多くの人は生物学的な命だと捉えているかもしれない。しかし僕は火の鳥の生命とは精神の生命だと考えている。そういう意味で、人間は寿命をまっとうするまで火の鳥でいなければならないと僕は強く思っている。

好きな事の中にも苦行はある。

何に人生を懸けるか?多くの人は好きな事に人生を懸けるであろう。好きな事をやるのは楽しいが、人生を懸けるとなると必ずしも楽しいことばかりではない。趣味であれば楽しいことだけをして苦しいことは避けるということもできるが、人生を懸けていることに打ち込み目標を達成するためには、避けては通れない苦行も多く存在する。

しかし、そのような苦行が嫌なわけではない。苦しい事ではあるが大きなやりがいを感じ、快感でもあるのである。そして何よりもその原動力となるのは、目標を成し遂げた後の自分を想像することである。それを成し遂げた後に自分はどう変わるか?実際は自分の身の周りの事は特に変わることもないのかもしれないが、自分の中の世界観は大きく変わる可能性はある。

好きな事に打ち込むに当たって苦しいことに突き当たるのは、それは大きく深い目標を持っているからである。もし陳腐な目標であれば、苦しい事にも遭うことなくすぐにやり切ってしまうであろう。とは言え、もちろん大きな目標に向かい、楽しみながら達成してしまう人は素晴らしい。世界でトップレベルのスポーツ選手は総じて「プレーを楽しむことができた」と発言している。しかしその言葉は苦しいことはなかったということとは全く違う。苦しさもやりがいに感じる力が必要だということだ。ただこのような事は自分を高めるために必要なステップであって、他人に強要することではないことに注意しなければならない。

楽しんでプレーしているはずの錦織圭選手も、時にはイライラしてラケットを投げつけるのを見ると、最高のスポーツ選手も人間なのだと安心してしまう。人間というものは、100%よりも90%くらいがちょうど良い。

しばらくは苦行を楽しみつつ、それ以上の喜びを味わうために精進していこうと思う。