日別アーカイブ: 2020年2月18日

科学的に哲学を構成する。

哲学とは論理的に構成されるものである。僕の個人的な見解としては、哲学とは論理的に構成された意志だと思っている。しかし論理的だとは言っても、哲学で展開されている論理の中には非常に怪しいものが散見される。特に科学的知見のない純粋哲学者の議論には、あきれるばかりである。そしてそのような哲学者が我が物顔で科学に対して見解を述べる。科学に対して持論を述べるのは勝手だが、表面的な部分だけ見て怪しい論理を繰り広げるのには科学者から見ればあきれるばかりである。

そこで、科学者の立場から哲学を構成することができないかと強く思うのである。そもそも古代ギリシャの哲学者は、当時としては自然哲学(現代の科学に通じる)においても最先端を行っており、特に数学的な議論には今見ても目を見張るものがある。古代ギリシャでは哲学者が数理科学を追究していたと言えるが、現代において科学者が哲学を追究することは非常に意義があるのではと思う。

人間が世の中を理解するには二つの知見が必用である。一つは人間や社会の原理。そしてもう一つは自然科学である。少なくとも科学者は自然科学に関してはかなり理解していると思われる。なのでそれに加えて人間や社会について深く理解すればそれなりに意義のある哲学が展開されるのではないか。もちろん、哲学者が科学を根本的に理解して論理を展開するのも良い。しかしそれができるのは最先端の哲学者のうち数人くらいしかいないのではないか。その数人に対して僕は非常に期待を寄せている。

哲学とは人間の内に迫るものと外に広がるものの双方が必用である。内に迫るものが人間の意志や思考への追究だとすれば、外に迫るものは自然科学だと言える。そしてその双方の知見を融合するためには、物事を科学的に構成しなければならない。それが科学的に哲学を構成すると言うことである。科学に迫ると言うことは、それを思考する人間に迫ると言うことでもある。そしてそのように人間の本質的な部分に迫った結果が哲学であるべきである。