月別アーカイブ: 4月 2020

安倍一強を作った日本国民。

現在、コロナ対策で安倍首相の政策が物議をかもしている。マスク問題、給付金問題はもとより、そもそも感染防止に対して有効な策が取れているのか、非常に疑問である。マスク配布に関しては一定の効果はあるだろうが、首相に求められるのは効果を最大化することである。それには費用対効果を最大化することも含まれる。財源は大きいとは言え有限である。なので費用対効果は非常に重要な問題である。

しかし一番重要なのは、言うまでもなく感染拡大防止、そして犠牲者を最小に抑えることである。しかし首相はコロナ問題を感染防止問題ではなく経済問題と捉えているように思える。言うまでもなく一番重要なのは国民の命を守ること。それを確保したうえで経済問題を打ち出していかなければならない。もちろん、お金がないと生きていけないと言う声も大きい。そして命の問題と経済問題は強く結びついている。なので有効な経済対策を打ち出すことは、国民の命を救うことにもつながる。しかしそれが本当にできているかと言えば疑問である。

コロナ問題が安倍首相就任初期に起きていたのならば、首相はもっと積極的に対策を打ち出していたのかもしれない。しかし今の安倍首相を見ていると、全てが守りに入っているように思える。安倍首相の政策の多くが保身なのである。ここ数年、政治の世界は明らかに安倍一強である。さらに不幸な事に、アメリカ大統領はトランプ氏である。僕も含めて多くの人は安倍一強を批判しているが、そのような状況を作ったのは紛れもなく日本国民なのである。しかし全てを国民のせいにする訳にもいかない。貧弱で安倍首相以上に保身的で目先の利益しか考えていない野党勢力の責任は大きい。安倍自民を批判したくても、その受け皿が存在しないのである。このように考えると、政治家だけの問題と言うより日本社会全体の問題のように思える。つまり政治家を含めた国民すべての問題なのである。ではそのような国民はどのように生まれたのか?それは一にも二にも教育である。個性を潰し、平均的で無難な人間の養成に重きを置いた教育はもう限界なのではないだろうか。

とは言え、最近の教育は僕らが受けて来た30年程前の教育よりかははるかに良いものになっている。しかし意欲のあるものが若者も中年も少ないように思える。政治家が保身的なら、国民も保身的なのである。今の教育が花開く20年後くらいに非常に期待したいが、それまで日本が、そして世界が持つか、非常に心配である。

コロナ禍の中で。

テレビを見ていると、コロナ関連のニュースばかりが流れている。報道ステーションの富川悠太アナもコロナに感染したと言うニュースが流れている。日本に住む限り、コロナは他人ごとではなくすぐ隣の話、あるいは既に当事者になっているかもしれない。若者がコロナで死ぬ可能性は非常に低いが、自分が感染した場合、それを周りの高齢者にうつしてしまうと取り返しのつかないことになる。僕はそのような事を防ぐことに慎重になっている。

現在はコロナ禍で日本全体が鬱々しているが、何も鬱々しなければならなくて鬱々しているのではない。皆外出して発散したいのだと思う。それは僕だって同じである。しかし現在はできるだけ家にこもり、感染を防ぐことに全力を挙げている。そうなると、いかにしてそのような生活の中でポジティブに意識を向け生活するかと言うことが大事になる。

コロナ禍でネガティブになっている中でも、それを逆手に取ってポジティブに向けなければならない。僕はそのような試みの一つとして禁酒を決行している。買い物にもほとんど行かないので、もちろんビールも買うこともできない。基本的に家にはお酒を置かないで飲みたいときに買いに行くと言う決まりを作っていたので、ここ一週間は一杯もお酒を飲んでいない。初めの数日はお酒を飲まなくて調子が乗らなかったが、一週間たって禁酒生活も板についてきた。お酒飲まない代わりに、コーヒーを何倍も飲んでいる。お酒ゼロ、コーヒー百、と言う生活が軌道に乗り始めたようだ。

なぜ禁酒を断行したのか?コロナ禍がきっかけではあったが、最近お酒を飲まないで調子を上げようといろいろ考えていた。そこにコロナ禍がやってきて、それを上手く実行に移すことができた。些細な事ではあるが、重要な事である。お酒を飲んで今すぐどうなると言うことでもないと思うし、お酒を飲むと言ってもせいぜいビール二本くらいなのですぐに影響が出るわけではないが、長い目で見ると禁酒は絶対に効果的であるはずである。少なくとも、一発目の研究結果が出るまでは禁酒を続けようと思っている。

このように、僕は一つネガティブをポジティブに変えることができた。そしてまた一つ二つとそのような事を作って行きたいと思っている。「災い転じて福と為す」と言う言葉があるが、そのようにするためにもいろいろとポジティブな方向へと実行することが大事だと強く思っている。

転んで三割増し!

人生はスムーズに行っているだろうか?おそらくほとんどの人は、「全然スムーズじゃない」と言うことであろう。僕自身も例外に漏れずそうである。いや、例外に漏れないどころか、スムーズに行っていない上位1%に入る自信はある。まあ、自信にすることでも何でもないのだが。

そんな人生の中では、度々転ぶこともあるだろう。誰だって転ぶのである。しかしその後どうなるかは人それぞれ全く違うと思っている。転んでズルズルと転落する人、転んで何とか留まる人、そして転んでもただでは起きないと以前より上がっていく人。僕は常に最後の人になろうと心がけている。言わば「転んで三割増し!」と言うことである。

では、どうすれば転ぶ以前の三割増しを目指せるのか?それは過去にこだわらないことである。転ぶ前の状態に戻ろうと言うことは悪くはないが、僕は転んだ時に考えうる最上の状態にまで立ち上がろうと思っている。そうすれば少なくとも転ぶ前以上の状態に、そして転ぶ以前の三割増し以上の状態を目指すことができる。そのための努力と徹底的な思考は惜しまないようにしている。

今、コロナ問題が非常に深刻である。以前のブログでも述べたように、窮地に立たされて自殺者が出て来ることも予想される。置かれた立場は皆違うので何とも言えないが、生きていれば何とか立ち直るチャンスが巡ってくるかもしれない。そんなことあるわけないと否定的な言葉を述べる人もいるかもしれないが、良い意味でも悪い意味でも一寸先は闇なのである。なので誰も新型コロナ流行を予測できなかった。そして将来どうなるかも誰も予測できないのである。予測できない(保証されていない)からやらないと言う人も多いが、予測できないからこそ頑張って良い方向へと向けるべきだと僕は思う。予測の不可能性は言い換えると、将来の大きな可能性なのでもあるのだから。

本物の本。

よく高額なものを購入する理由を、「本物を知るために購入するのだ」と言う人がいる。確かに僕だって偽物などは買いたくないし、可能な限り本物を手に入れようとするだろう。しかし必ずしも「本物=高額品」と言う訳ではない。そもそも高額だからと言って本物を買う人達は、なぜそれが本物なのかと言うことを理解していないのではないだろうか。あるいは、聞いた話をそのままスピーカーのように喋って、本物感を力説するかだ。

ピカソの絵画を見て、それが瞬時に素晴らしいものだと理解できるだろうか?あるいはピカソの本物作品と贋作を瞬時に見破れるだろうか?そしてなぜピカソの描いた本物作品と偽物が見た目はほとんど同じなのに、価値が大幅に違うことを説明できるだろうか?これらの事は全て先入観によって左右されることである。そして高級だから本物に違いないと言う根拠のない意識から来るものである。

本物を知るのに一番良い方法を伝えよう。それは「本物の本」を読むことである。例えばアインシュタインの原論文を読むとか、マルクスの資本論を読破すると言うことである。そしてこれらは基本的に多額の現金はいらない。せいぜい書物を購入する費用くらいである。なので高く見積もっても数千円もあれば手に入れることができる。多額の現金を支払って本物にしか興味がないと言う人には、これはぜひとも伝えたいことである。少なくとも絵画や高級ブランド品よりかははるかに得るものがあるはずである。

もちろん、どうしても手に入れたい一作の絵画があって、それを手に入れるために必死に稼いで購入することは非常に意義があるだろう。それはその人にとって本当に価値のあるものに違いない。しかし本物にこだわって多額の現金を支払う人にとっては、はっきり言って豚に真珠である。それを購入する前に資本論でも読破した方が良い。

本物の本と言うものは本屋や図書館に行けば山のように積まれている。そこからどの本物書物を選ぶかは自分次第だ。くだらない自己啓発本ではなく、価値ある原著を選べるか?さらには愚作があふれる新刊本・論文の中から本当に価値のあるものを選べるか?それらのセンスはこれまで生きてきた自分の人生がどのように濃いものだったのかが顕著に表れるものである。

配布マスク、イメージだけで語るな!

現在、新型コロナ対策として、政府が布マスクを国民全世帯に二枚配ることが物議をかもしている。そして多くの人が、この“たった”二枚の布マスクに対して批判と言うよりバカにした言葉を述べている。しかし、この二枚のマスクは果たしてバカにするようなくだらないものだろうか?僕はそうとは思わない。別に政府に肩入れする訳ではないが、この二枚の布マスク配布はかなり大きな意義があると思う。一つ難を言えば、マスク配布にかかる予算が数百億円にも上り、費用対効果としてはどうかとは思う。(郵送などの)工夫をすればもっとお金をかけずに済むのではないかと言うのが率直な感想である。

とは言え、僕はこの布マスク二枚の配布に関しては賛成である。菅官房長官が述べているように、一人が布マスクを20日繰り返し使えば、単純に20億枚分の使い捨てマスクと同等の効果がある。現時点で一か月に20億枚生産することは事実上不可能である。そう考えると、この布マスクは少なくとも一定の効果があることはすぐにわかる。

確かに家に数百枚のマスクの備蓄がある人から見れば馬鹿らしいと思うかもしれない。しかし現在、マスクを手に入れたくても一枚も手に入れられない人もたくさんいるはずだ。そのような人にとっては政府から配布される布マスクは喉から手が出るほど欲しいものだと思うし、感染抑止にもかなりの効果があると思われる。

布マスク二枚と言う簡素なものに対して、国民やテレビのコメンテイターはあまりにもイメージだけで語りすぎてはいないだろうか?確かに簡素なものではあるが、効果はそれなりにあるはずだ。しかし野党もこれらの決定に対してバカにしている。与党側の決定的な失敗は、この布マスクの配布がどれくらい効果があるかと言うことを具体的に示さなかったことである。もちろん、そのような試算をするためには時間もかかるので、スピードが命の現在ではそれができないのも仕方がないのかもしれない。しかし略算でもいいからしっかりと示すべきではなかったのではないだろうか。とは言え、この布マスクは簡素でさえあれ、効果的には決してバカにできないものである。決してイメージだけで物事を捉えてはいけない。

研究費削減で、モチベーション保てない?

毎日新聞デジタルに、国立天文台の観測所の予算が大幅削減されると言うニュースが載っていた。そのことに関して、ブラックホールの撮影に成功して有名になった本間希樹教授が、「予算削減で、研究者のモチベーションが保てない」と言うコメントをしていた。はっきり言って、「ふざけるな!」っていう話だ。

研究費削減で思うように研究ができないと言う話なら十分にわかる。実験系の研究では、研究費が結果に直結する。なので研究費が非常に重要な事は分かる。しかしそれとモチベーションは全く別の話だ。研究費が削減してモチベーションが下がるなどと言うことは僕には全く理解できない。もちろん研究費が削減されることは残念だが、それならそれでその研究費内で工夫してやるだけの事だ。それに我慢ができないのなら、実績を出して海外に行けばいいだけの話だ。

もちろん、そのような理由で優秀な研究者が海外に流れるのは国としても大きな損失だと思う。しかし「研究費=結果」という世界が、理論系の僕にはいまいち理解できない。もちろん、研究費獲得も実験系研究者にとっては大きな仕事であろう。今回の研究費削減は、もしかしたら新型コロナも影響しているのかもしれない。もしそうだったら、そのような状況は海外に行っても同じだと思う。

研究費にモチベーションが左右されるような人間は、研究者としては三流だと僕は思う。もちろん、本間教授は世界的に一流研究者と見られているとは思うが、ただそのようなことでモチベーションが左右されるのなら、言い換えるとモチベーションも研究自体も経済状況と政治判断に左右されると言うことだ。これは物理の巨額な加速器を必要とする実験においても共通するところだと思う。しかしどう考えても、お金で研究に対するモチベーションが左右されるのは理解できない。そのような人は研究ではなく、ビジネスの世界に行った方が成功するのではないだろうか。

慎重と楽観。

僕は最近、慎重になりすぎることが多い。慎重になることは良いことだと思っている人も多いが、過度に慎重になってしまうと行動力が落ち、やるべきこともできなくなってしまう。なので、最近は意識をできるだけ楽観的な方に持っていこうとコントロールすることが多い。

しかし現在のコロナ対策を見ていると、世の中の人々は楽観的である以上に甘く考え過ぎているのではと感じることが多い。特にマスクもせずに外出することは、自分の感染だけでなく周りの感染も誘発してしまうので、自分の自由だと言う話では済まされない。それは殺人行為であり、殺人の自由など誰もないのだから。

コロナ問題もそうだが、重要なのは過度に恐れることではなく、「正しく恐れる」ことである。例えば細菌は自己増殖していくが、ウイルスは宿主(例えば人間の細胞内)でしか生きて行くことはできないし、もちろん増殖することもできない。人間の体内に侵入したコロナウイルスはかなりの速さで増殖していくであろうが、例えば段ボールに付着したコロナウイルスは24時間で感染力がなくなると言う。プラスチックやステンレスの表面であればもう少し長くなるが、それでも数日で感染力がなくなると言う。もちろんそのような時間を測定するのは専門機関でないとできないが、ウイルスの特性(宿主内でないと生きていけない)などは、生物学の基礎的知識があればかなり理解できることである。このコロナ禍において、正しくコロナの怖さを理解して生きて行くためには、やはりそのような教養が圧倒的に重要であることがわかる。もしそのような事を理解していなければ、いくら慎重になっても気が済まないであろう。

正しく理解して、正しく恐れることができれば、正しく楽観的にもなれる。そしてそのような正しい楽観に基づくことによって正確な判断を下せるようになり、自分の道を進んで行くことができる。現在はコロナ禍と言う非常時であるが、平時であれば8割楽観的に、2割慎重にと言うくらいがちょうどいいのではないだろうか。コロナにかかれば死のリスクもかなり高くなる。なので慎重になりすぎることはある程度理解できるが、平時であれば楽観的になって例え失敗しもまず死ぬことはなかろう。今は石橋を叩いて渡るべきだが、コロナ禍が去った後はまた楽観的に進んで行きたいものである。

緊急事態宣言。こんな時こそ!

4月7日、安倍首相が緊急事態宣言を発令した。宣言が発令されるか否かに関わらず国難であることに変わらず、日々の活動、及び様々な自粛、そしてマスクの着用などの自己努力が強く求められる。コロナ鬱と言う言葉も言われるように、全ての国民が精神的にも行動的にもかなりまいっているように思う。確かに自粛自粛と自粛の嵐だが、かといって全ての事に対して自粛しなければならないかと言えば決してそうではない。コロナの感染防止、そして周りの人への感染防止、そして社会全体への感染防止のために必要な自粛は絶対的に必要だが、それとは関係のないことはむしろ積極的に発奮した方が良いと僕は考えている。

そう、こんな時だからこそ、ただ単に控える一辺倒ではなく思いっきり攻めて行かなければならない。そのように攻めることが、コロナで傷ついている日本の回復を早めることにもなる。確かに今は経済も半崩壊している。そしてそれぞれの個人も金銭的に窮地に陥っている人は多いと思う。そういう状況では、確かに出費を抑えるなどしてやりたいことを我慢する必要にも迫られる。しかし全ての行動に対してお金がかかるわけではない。例えば、本を読んだり勉強したりすることには基本的にはお金はかからない。本を買うお金を節約したければ本を借りたり、あるいは家にある本を引っ張り出して読むことができる。勉強するためには必ずしも教室に通う必要はない。独学で勉強することもできるし、今ではネットを利用して格安レッスンを受けることもできる。例えば、英会話をしたければスマホアプリでAI英会話と言う面白いものがある。もちろん無料ではなく月1980円かかるが、英会話教室に比べると圧倒的に格安だと言える。英会話に自信がない僕も、今そのAI英会話を始めようと思っている。

緊急事態だから出来ないのではなく、今だからできることもあるのである。確かにここ一年程は厳しい状況になることは予想されるが、そこから社会が立ち直ろうと始めた時に自分も攻める体制を整える準備をするべきだ。そのためには視野を広く持つ事が圧倒的に重要である。視野が狭ければ、窮地に陥ったから何もできなくてダメになると思ってしまう。しかし視野を広く持てば、意外とできることはあるはずだ。別に給料が下がっても良いではないか。少なくとも今は最低限の生活ができるだけのお金があればよい。もちろん今、その最低限の生活もできないくらいの窮地に立たされている人も非常に多い。幸い政府はそのような人のための支援策を打ち出している。今は一時的にそのような支援に頼って何とか乗り切ろう。

今はこういう時だが、だからこそこういう時しかできないことに発奮して打ち込むべきだ。それがコロナから社会が回復したときに攻めるきっかけになるはずだ。そして国もおそらくそのような事を期待しているはずだ。もちろん、国が期待しているからそういうことをするわけでは決してない。自分自身のためにも今この時に大きく発奮する時であると僕は強く感じている。

ネガティブな環境を逆手に取る。

今の社会状況は、明らかにネガティブだ。おそらく99%の人にとって、今のコロナ禍は自身を苦しい立場に陥れていると思う。それは金銭的な事や、社会不安などから来る精神的な事や、あるいは行動範囲が圧倒的に狭くなることなど、少なくとも我々には良い傾向はほとんど表れてこない。では、100%ネガティブなのか?もし99%ネガティブなら、残りの1%は何なのか?おそらくそのような事は1%もないと言う人も多いだろう。もし仕事が全くなくなって、家にずっといることになったとしよう。もちろんお金は全く入らない。それこそ窮地である。しかし、家族がいる人なら、家族とコミュニケーションを取るきっかけになるかもしれない。そして学生なら、自習に打ち込むいい機会になる。このように、99%ネガティブな状況なら、それを100%ネガティブにするのではなく、1%のポジティブを見つけて、それを5%、10%と増加させていくべきではないだろうか。

僕は数理物理の研究を続けている。しかし普段なら、なんやかんやと雑用が多く、そして少なくとも稼いでいかなければならないので、ここのところ落ち着いて研究に打ち込めないこともあった。しかし今は家にこもることが非常に多い。これは考えようによってはチャンスである。こもって研究に打ち込む大きなチャンスである。もちろん、色々とピンチ的な状況ではあるが、それを逆手にとってチャンスにするかどうかは自分の考えよう、そして自分の行動次第である。

同じことが起こっても、それをピンチにしたままの人と、それをチャンスに変える人の二通りいる。ピンチにしたままの人は、それを100%外的要因、あるいは環境のせいにする。しかしチャンスに変える人は、結構いろんなことが起きてもめげないものだ。それはもう外的要因・環境がどうかと言うよりも、むしろ人間性の問題だと思う。

僕は現在のネガティブな状況をどうポジティブに変えて行くかと言うことを必死に考えている。そしてそのための手段・選択肢はいくつか考えている。お金がないと言って生きていけないと騒いでいる人も多いが、はっきり言って僕の置かれた状況よりいろいろとかなりマシな人が多いと僕は思っている。なぜ僕より状況が良い人たちが騒いで、窮地に立たされている僕がポジティブにめげずに前向きに進んで行けるのか?これは決して環境のせいではないことはお分かりであろう。人生は頭を使って生きていかなければならない。そして強い覚悟が必要である。そのような強い覚悟を持って生きていれば、かなりの窮地に立たされても何とか乗り切れると僕は思っている。少なくとも自分に関してはそうである。今のコロナ禍を乗り切れるのは、決して環境の良い人ではなく、窮地を逆手にとってポジティブな方向へと変えられる人だと思う。僕もそのような方向へと進んで行く体制は整っている。

追い詰められると、正しい判断が出来なくなる。

日本におけるコロナ禍は、加速度的に悪化してきている。そのような危機的状況に、安倍首相が、そして国民一人一人が厳しい判断を下すことに迫られている。しかし人間と言うものは、追い詰められると正しい判断が出来なることがある。そのような事を、今の政府、そして多くの国民を見ていると強く感じる。

今なぜ、安倍首相が緊急事態宣言を出せないでいるのか?そして国民はなぜ、危険と分かりながら外出して様々な活動を続けるのか?それはただ経済的な問題との兼ね合いと言う一言に尽きる。多くの人は、「仕事をしないと収入が全く入らないし、お金が無くなれば生活もできない」と叫ぶであろう。それは最もである。しかし、お金と命のどちらが大切か?もちろん命であろう。しかし追い詰められてお金だと判断する人が少なくない。もちろん、お金に困って自殺する人も出て来ることは容易に推測される。なので、お金と命を簡単に切り離すことはできない。

しかし誤解を恐れずに僕は主張する。「今は命が大切だ。」外に出て活動する人に告ぐ。今むやみに外出することは、自分の感染以上に周りの人の感染を大きく誘発する。自分の生活が大事だからと言って、自己責任だからと言って、むやみに外出してはいけない。活動する本人は良くても、それによって周りの人々を殺してしまうことになるのである。それでも外出活動を続けるのか?

もちろん、責任は外出活動をする人々だけにあるのではない。緊急事態宣言を出さない安倍首相に最も大きな責任がある。政府が緊急事態宣言を出せば、外出しようとする人々に大きく制限を課すことになる。そのことによって、死者を半減することができる可能性がある。しかし、もちろんこれは可能性である。そこの可能性をはっきりさせようと政府は判断をこまねいているのだと思う。経済的損失はどれくらいになるのか?そのような算出をしているのだと思うが、それは緊急事態宣言を出した後でも良いのではないだろうか。議論をしている間に危険が広まるリスクの方が圧倒的に大きい。宣言を出して感染が収まると言う保証はないが、少なくとも広まることを押さえることができることは確実だ。

初めに述べたように、経済的損失によって自殺する人も出て来るに違いない。平時であれば、全ての危険性を排除することが求められる。しかし今は非常時である。例えば、99人の死亡と100人の死亡のどちらを選択するのか?と言う究極の選択であるが、他に全く情報がなければ、即座に99人を選択し一人でも多く救うことが求められる。これはあくまで非常時の選択であり、ある意味救急におけるトリアージの判断にも通じる。

今政府に求められているのは、慎重な議論ではなく国民に対するトリアージである。即座に的確な判断をすることが、一人でも多くの命を救うことになる。そこを安倍首相にも即座に理解してもらいたい。