月別アーカイブ: 5月 2020

命を守る経済。

人々にとって経済とは単純に言えば金儲けの事であり、いかにして利益を出すかと言うことが一番の関心ごとではないだろうか?平時であればいかにして多く儲けるか?そして政府にとってもいかにして黒字を増やすか?と言うことが最重要課題であろう。しかし現在のような緊急時においては、かなり様相が変わって来る。

今一番大事なのは、いかにして国民をコロナから守るか?一人でも多くの人間の命を守ることだ。そして人々を感染から守ると同時に、人々を経済的死から守ることも重要である。コロナにかからず生き延びても、経済的死によって自殺する人が出て来ることは容易に想定できる。先日もとんかつ屋の店主が火を付けて自殺したと言うニュースがあった。このような緊急時において大切なのは、命を守る経済だと言える。

現時点に限れば、裕福になる経済を目指すことは無力であるし、そのような事はコロナが終息してから考えればよい。むしろ今はセーフティネット経済が必用である。今生き延びるための資金をどう獲得するか?そして今の仕事・事業をどう維持していくか?現在の状況を考えると、やはり国の支援なしでは切り抜けられない。コロナ禍は努力だとかそういうこととは関係なくやってきて、また今ある経済的苦しさは事業内容に大きく左右されると言える。そして今切り抜けた後にどう回復するかと言うことも重要である。経済的命と生命的命、両方を守る政策が必要になってくる。

しかしこれが一か月二か月で終息するのなら我慢して持つかもしれないが、先が全く見通せない。医学的一般論で言えば、ワクチンができるまでは完全に終息させることは難しい。そのワクチンも早くて一年かかると言われている。例え最短で一年で回復するとしても、そのような確信がなければ続けるのは難しいし、そもそも一年持たすには相当の余裕がなければ難しい。

今、命を守る経済を立ち上げなければならない政府。しかし安倍首相の現在の実行力は何とも心もとない。正直安倍政権のままで現在のコロナ禍を乗り越えられるとは思えない。しかし現在の野党は最弱である。現在は経済だけでなく、政治的にも戦後最大の危機だと言えるのではないだろうか。

ITにできないことは何か?

ここ数年、ITによって何でもできると言う風潮が強くなっていた。ITによって飛躍的に便利になり、極端な話ではAIが全ての仕事を請け負って人間は何もしなくていいと言う話までされることもあった。しかし今回のコロナ禍によって、ITの限界が露呈したように僕は感じる。

ITが発達しようとしまいと、人と人が対面すると言う行為の重要性は全く変わらないし、確かにITによって人と人が連絡する手段は飛躍的に向上したが、人と人の触れ合いそのものはほとんどITとは別の話である。今あらゆる物事をITによって解決しようと言う動きがあるが、それと同時にITではできない事、つまり人間の営みの本質的なところの重要性が認識されつつあるのではないかと僕は強く感じている。

例えば、好きな女の子と会いたいと思ってLINEで連絡を取ることはできるが、ITが男女の深い付き合いを結び付けてくれるわけではない。やはり最終的には人間の、男と女の感情と古典的行動によるものである。そしてビジネスにおいても業種にもよるが、全てがITで完結するわけではない。

現在ITと言うものが非常に重要視され、ビジネスにおいてもその中心に置かれることも多いが、これから数十年スパンで見るとITの価値と言うものは下がっていくのではないかと僕は思っている。それに対して、人と人が直接会うと言う古典的な行為の持つ価値が非常に高くなると僕は考えている。確かに人と人が会う前段階、つまり連絡を取り合うとか大まかな相性を占うと言うことはITでいくらでもできる。しかし最終的な決断は人間の古典的な判断にかかっている。

これから先、ITにできることはどんどんITに任されていくとは思うが、それと同時にITにできない事の価値はどんどん高まっていくはずだ。そしてその結果残ったものが真に価値あるものであると僕は考えている。

蓮舫氏「学校を辞めたら高卒」発言。

コロナ禍と言うものは、人間の本性をむき出させるものなのだろうか?今回の蓮舫氏の「学校を辞めたら高卒」発言は、蓮舫氏の、あるいは人間の奥底に潜む本性を現したものだと言える。しかしこの発言に関する問題は、蓮舫氏だけではなく、日本の社会に潜む問題だと僕は考えている。

今、学生が非常に苦しい立場に立たされている。学校には行けない上に、学費だけがかさんでいく。親も苦しいうえに、学生自身もバイトによる収入を絶たされている。学問を学びたい学生がその道を断たされるのは、学生本人にとっても国家にとっても大問題である。そういう意味では、蓮舫氏の発言も分からないこともない。

しかし蓮舫氏の発言は、社会に潜む問題意識を投射したものでもある。それは「学歴至上主義」と言う社会問題である。僕はこれまで、高卒であってもビジネスの世界で活躍する人物を見て来た。そして大リーガー・ダルビッシュ選手は自ら、「自分は実質中卒である」と語っている。しかしダルビッシュ選手は世界トップレベルの世界で大活躍している。このような人物たちを見ていると、決して人間は学歴ではないと強く感じる。逆に学歴だけあっても何の才能も見いだせない人も多い。

しかし現実問題として、学歴がある人が優遇される現実もある。もちろん、大学に行って知識や技術を学び、それを評価されているのならばまだわかる。しかし学歴だけを見て才能を見なければ本末転倒である。

僕自身は人間性に学歴は関係ないと思っている。僕は人から聞かれれば学歴を答えることもあるが、自らは自分の学歴を言うことはほとんどない。大学時代には、学歴にこだわる無能な人間も何人か見て来た。人間性や才能に学歴は関係ない。しかし才能や意欲がある人間が大学で学び才能を高めることを阻んではいけない。今回の蓮舫氏の発言をきっかけに、今の表面だけを見る学歴至上主義が少しでも変わればと強く思っている。