日別アーカイブ: 2020年11月25日

進化する人間。

進化には二種類ある。集団の進化、そして個の進化である。人間で言えば、集団の進化と言えば人類の進化の事であり、歴史的にも科学的にも人間が進化していることは間違いない。ただ現代の人類の進化はあまりにも急激すぎるように思える。これは人間と言う生物の進化によるものか?それとも人類が手にした科学技術によるものか?もちろん両方あるとは思うが、しかし割合で言うと圧倒的に科学技術によるものだろう。しかも人間の方が科学技術の進化に追い付いていないように思える。科学技術は人間が生み出したものではあるが、しかし最近は人間がその科学技術をコントロールできていないように思える。近年ITの進化が目覚ましいが、しかしその関係性を見ると、人間が主ではなくITが主になっているように見える。人間の幸福の向上のためにITを発達させるべきだが、ITの進化そのものが目的になり、人間はそのITに合わせているように感じる。では人間が主になるためにはどうすべきか?それは一人ひとりが科学技術に対する知見を少しでも多く習得することに限る。でないと科学技術は永遠にブラックボックスのままになってしまう。

では人間の個としての進化はどうか?これに関しては日本だけにおいても一億二千万通りあるので全てを語りつくすことはできない。なので僕が一番よく知っている「自分」と言う人間について語ることにする。僕は一人の人間として、死ぬまで進化すべきだと考えている。身体的にも、そして頭脳においても。もちろん科学的(医学的)には、人間は老化していくことがわかっている。そして老化は常識のように語られる。しかしだからと言って、そのような老化の流れに身を任せようとは僕は思わない。自分自身で進化の流れを作ろうと思っているのである。もちろん何もしなければ人間は進化することはできない。そのために筋トレをしたり、そして頭脳を鍛えるのである。とは言え、一部分だけを見れば老化(退化?)する部分が出て来ることは仕方がない。しかしトータルで見て進化していればいいのである。頭脳であれば記憶力は衰えても、それ以上に思考力を進化させればよいのである。そんなことは本当に可能なのか?自分で可能だと思えることができれば可能であろうし、できないと初めから決めつけてしまえば100%不可能であろう。

今、常識にとらわれずに進化しようとしているスポーツ選手がいる。新庄剛志だ。僕が現在唯一生き方が共感できる人間、それが新庄剛志だ。分野は違うが、死ぬまで進化しようとする姿勢は共通すると感じている。だからこそ新庄選手には何が何でもプロ野球界復帰を成功させてほしい。その一方、僕と新庄選手で決定的に違うところもある。それは新庄選手は既に一度、いや何度も結果を残し成功を果たしている。しかし僕には過去の実績はない。しかし未来の事に過去の事はほぼ関係ない。むしろ過去の実績があればそれが足かせになることもある。だからこそ僕は自由に進化への挑戦に突き進むことができる。ゼロが基準、そこから一でも出来ればそれが進化になる。今はそれ以上落ちることはないのだ。もちろん僕は一や二の進化を望んでいるのではない。百や千の進化を試みている。そして今大きな手ごたえを感じているので、あとはそれを実行するだけだ。

さらにもう一つ付け加えるのならば、精神的な進化も成さねばならないと強く感じている。心臓に毛を生やすのだ。自分の道を突き進むのならば、何事にも動じない精神力が必用だ。現在は僕はまだまだそこまではたどり着けていない。そして心臓に毛を生やすことが可能かどうかも分からない。しかしこのことについても挑戦して行こうと思っている。何をすれば心臓に毛を生やせるか?僕にはまだ明確な答えは見えていない。しかしこれも可能だと信じて一本一本毛を生やしていくしかない。それができた時、肉体と頭脳と精神と言う人間の三本の矢を束にして大きく進化できると強く思っている。