日別アーカイブ: 2021年2月15日

東京五輪は深い五輪になる。

これほど問題提起された五輪もないだろう。もちろん最大の問題提起はコロナをどう乗り切るかと言う事に尽きるが、数日前の森氏の問題発言についても色々と考えさせられることがある。そういう意味で、(森氏を擁護するつもりはないが)森氏の発言は一定の意味があったと僕は考えている。

コロナによって、五輪の在り方が大きく問われている。一体だれが主役なのか?そしてボランティアはどれだけ貴重でありがたい存在であるか?そして果たしてこれまで通りの商業五輪であり続けるべきなのか?この商業五輪問題に関しては、コロナと大きく係わっている。コロナによって五輪開催がほぼ絶望的な状態であるが、しかし政治家たちがここまで五輪開催にこだわっているのは商業的、あるいは金銭的事情によるところが大きい。何だか主役であるアスリートと国民、そして五輪を楽しみにしている世界市民が置いてきぼりにされているようである。今の五輪主催者たちを見ていると、何だか主役が政治家たちであるように思えていならない。実際、二階氏はボランティア辞退問題に対して、いくらでも代わりがいると言うような発言をしている。ボランティアは単なる使い捨ての駒だったのだろうか?しかしこの二階氏の発言によって、五輪に対する政治家の関わり方を考えさせられる機会になったとも言える。

今は五輪をどう開催するかと言うレベルの問題ではない。開催が100%無理とは言わないが、開催できるかどうかはワクチンなどの外的要因に大きく依存する形になっている。とは言え、絶対に無理だと決めつけるのも僕は違うと考えている。確かに開催できるともできないとも断言できないが、今は様々な問題をどう解決するかと言う事が一番重要だと思う。コロナにどう対処するか?ボランティアなど、国民にどう協力してもらうか?そして森氏の発言に端を発した、男女平等の精神をどう根付かせていくか?考えれば問題は尽きることがない。

最後に僕個人の考えを述べようと思う。結論から言うと、五輪を4年後、あるいは次々回の8年後に延ばすのが最も良いのではないかと考えている。それには大きく二つ理由がある。一つは現在のコロナ禍によって正常に開催できそうにないことにある。もし開催を強行しても、まともに観客を入れることは難しいし、再びコロナを蔓延させるきっかけになってしまう可能性も高い。例え国内でワクチン接種が進んでも、人々は世界からやってくる。経済的に見ても、開催強行によって失うものは大きいと考えている。二つ目は国民感情である。一年前と違って、日本国民は五輪開催を歓迎できる気持ちではない。むしろ開催強行にこだわる政府に怒りを感じている人も多いし、五輪開催にネガティブなイメージを持っている人も少なくないと思う。そのような歓迎できない感情を持った中で開催するのは国民のフラストレーションを爆発させるだけではないか?もちろん開催すれば国民感情も一気に歓迎の方向に向くかもしれない。しかしこればかりは何とも言えない。しかしこのような感情の一番の原因になっているのは、政治家の姿勢であることは間違いない。なのでこのような感情をどう変えるかは政治家の姿勢と手腕・実行に全てがかかっていると言える。しかし政治家に全てを丸投げするのではなく、国民もどうすれば問題を解決できるかと言う事を一人一人が自分の頭で考えることが求められている。