月別アーカイブ: 1月 2016

負けて記事になる凄さ

1月29日、レスリングの伊調馨選手が試合に負けたという記事が出た。オリンピックで負けたのではない。通常の国際大会で負けたのである。普通なら記事にも何にもなるようなことではない。この負けは伊調馨選手だから記事になったのだ。伊調選手が試合で負けるのは、なんと13年ぶりだということだ。

今回の伊調馨選手の敗戦に記事を見て、改めて負けて記事になる選手の凄さを感じた。思えば2年前、プロ野球の田中将大選手が24勝0敗というとんでもない偉業を成し遂げた。こうなってしまえば、敗戦を伝える機会もない。マー君(田中選手)は伊調馨選手の上を行っている。しかしレスリングの日本人選手にはレジェンドがいる。吉田沙保里選手だ。女子選手に対してこのような表現は失礼かもしれないが、彼女は怪物だ(試合の時はね)。もちろん普段は人間の女性だが。最近の若手では、女子スキーの高梨沙羅選手も注目を浴びている。

しかし伊調選手も、吉田選手も、高梨選手も、皆女子プレイヤーだ。一部の競技を省き、男子競技と女子競技のレベルは数段以上違うのが普通だ。体力が影響するスポーツだけでなく、将棋なども同様だ。プロ棋士は今まで多数出ているが、女子棋士のプロ棋士(奨励会4段以上)はまだ一人も出ていない。そのため女子棋士には別枠で女流プロ棋士という女子だけのプロ組織がある。しかし現在、男子と同じ世界(奨励会)でプロになろうとしている女子棋士がいる。里見香奈棋士だ。彼女は奨励会3段。男子のプロ世界である奨励会4段まであと一息だ。彼女は現在23歳。奨励会には年齢制限があり、時間との勝負でもある。

ほとんどの競技に関して、男子と女子は別物だ。しかし里見香奈棋士のように、男子に混ざって堂々と渡り合っている選手がいる。女子選手が男子トッププロを撃破する。そのようなことが起こるのかどうか、これからが楽しみである。

別府市がパチンコ(ギャンブル)で生活保護を停止したことについて

別府市がパチンコや競輪場などに出入りし賭け事をする生活保護受給者に対し、数か月生活保護費の支給を停止することが明らかになった。この別府市の対応について、賛否両論がある。

まず、一般市民感情として、生活保護者が働かずに税金から出た約7万円という現金をもらっていることに対し、批判的な人は多い。確かに感情的にそう考えるのは仕方がない。しかし「生活保護なのに、~~~している」と非難を浴びるせることは、僕は的外れだと思う。生活保護者が図書館に行こうが、旅行に行こうが、それは生活の質を上げる行為であってむしろいいことだと思う。

しかし生活保護費でギャンブルをするとなると、話は全く別だ。生活保護費は基本的人権を尊重し、健康的な最低限の生活を保障するものだ。しかしギャンブルをすることなどは、生活の質を上げるどころか、むしろ下げること以外の何物でもない。さらにギャンブルにつぎ込むことは、それは自らまだ生活保護費を下げられても生活が成り立ちますよと宣言しているようなものである。一般市民が生活保護者のギャンブルのために税金を出していると思うと、憤慨するのも無理はない。

最近は何でも権利権利の時代である。生活保護者にもギャンブルをする権利があると言う声もある。しかしはっきり言って、生活保護者にギャンブルをする権利はない。そもそも基本的人権にパチンコは全く関係ない。と言っても生活保護者の権利を何もかも否定するつもりはない。先ほど言ったように温泉旅行に行きたいのなら温泉で思う存分リラックスしてくればいいと思う。しかしギャンブルなどは百害あって一利なし。生活保護者でなくても問題視されているのに、生活保護費でギャンブルに行くことを納得する国民がどこにいるのか?

知識人は、今回の生活保護費でギャンブルに行くことに、法的観点から意見を述べている。それによると、「生活保護費でお菓子を食べようが、酒を飲もうが、ギャンブルをしようが、一切それを制限されるような法的根拠がない」と述べている。しかし誰がお菓子を食べるなと言ったであろうか?誰が酒を飲むなと言ったであろうか?ほとんどの人はそんなことは何も言っていない。知識人が勝手にそういう文句をいう市民の存在を想定しているだけである。

しかしギャンブルとなると話は全く別である。知識人は法律を持ち出して生活保護者のギャンブルを正当化する。ではそもそもギャンブル自体合法的なものであろうか?パチンコも競輪の賭けも、法的に言えばほとんど黒に近いグレーである。そもそも法的に違法性が強いものに対して、そのことには全く触れずに生活保護者の権利だけに注目して合法だと主張するのは、あまりにも議論が片手落ちではないか。初めは生活保護者のギャンブルについて書き始めたが、このような全く単眼視的な議論しかできない知識人の存在に嘆いてしまう。知恵のない知識人だ。

甘利明・経済再生担当相の辞任に思う。

1月28日、違法献金疑惑が疑われている甘利明・経済再生担当相が自ら辞任を表明した。甘利氏は経済関係担当の閣僚として、アベノミクス、そしてTPPの推進を任された重要閣僚であった。安倍首相が「支持率が10%下がってもとどまってほしい」と言うほど、安倍内閣の重要人物で、安倍首相からの信頼も厚かった。

この甘利氏の違法献金疑惑、現時点では不明な所が多く、本人が関わっていたかどうかも定かではない。だから現時点では推測で書かざる負えなく、事実関係を書いたところでそれが合っているか間違っているか判断できない。

とは言えメディアとしては、違法献金疑惑があり、かつ甘利氏がそれを認識していたという論調が多く、またその方が世論としては盛り上がる。しかし真に大事なのはメディア・世論が盛り上がるかどうかではなく、疑惑の正確な真偽である。甘利氏の全く知らないところで違法献金が処理されていたという可能性も否定できない。

これから甘利氏に対して野党のきつい尋問が始まるであろう。野党は疑惑があったという前提で尋問する。それは野党として当然のことである。その尋問をすることに対して否定しようとは思わないが、一方野党にも国政に参加している役割から、国益が大きく損なわれるような動きは止めてほしい。以前の「言うだけ政権」だった民主党のような無責任政治だけはやめてほしい。

甘利氏の後任には石原伸晃・元自民党幹事長が就任することとなった。石原氏にはこの騒動で日本経済が停滞するようなことは避けるべくうまく立ち回って、経済再生に尽力してもらいたい。一国民として期待する。

ホーキング博士「100年以内に人類は滅びる」に同感

宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング博士が、「100年以内に人類は滅びる」と予言している。これには僕もかなり同感している。もちろんこの予想が外れることを願うのは言うまでもないが。

ホーキング博士が予想する絶滅の原因は、「人工ウィルス、軍拡競争、核戦争、地球温暖化、加速器を使った素粒子の実験」だ。核戦争などはほとんどの人が容易に推測できるが、人口ウィルスとは僕も全く予想できなかった。

この原因予想で物理学者らしいのは「加速器実験」だ。これは数年前にも世界的に話題になった。その時の結論から言うと、加速器が原因で絶滅することはないというものだが、確信は持てない。

なぜ加速器なのか?加速器というのは電子などの素粒子同士を高速(ほぼ光の速さ)で衝突させ、その崩壊の過程を観測するものだ。この加速器のエネルギーは年々高くなり、将来は加速器でブラックホールが作れるとも言われている。数年前に問題になったのは、この瞬間的にできたブラックホールが地球もろとも飲み込んでしまうのではないかというものである。果たしてそうなるのか?

実は現在の理論ではこの問いに厳密に答えを出せない。ブラックホール理論の基礎になっているのは、アインシュタインの一般相対性理論だ。しかしこの一般相対性理論はマクロな世界の理論であり、これをミクロの世界に適用するためには「量子重力理論」すなわちミクロな一般相対性理論が必要なのである。しかし現在、量子重力理論は完成していない。ついでに言うと、現在多くの物理学者が目指しているような量子重力理論が存在するかどうかも確かではない。量子重力理論が完成していない限り、加速器でできるブラックホールがどのような振る舞いをするか、正確には結論は出せない。

話を戻すが、僕は現在の人類文明は絶滅への要素をあまりにも多く持ち合わせていると考えている。ホキング博士が挙げている原因以外にも、人工知能がかなり危ないのではないかと僕は考えている。これは簡単に言うと、映画「ターミネーター」の世界である。多くの人は所詮映画の中の世界ではないかと思っているかもしれないが、現在の人工知能の発展はまさしくターミネーターの世界へまっしぐらなのである。そのXデーはいつか?それは人工知能が自分自身で学習していき、人間の知能を超えた時である。その後のことはどうなるか予測不可能である。しかし、人類は絶滅するということは僕には確かに思えるのである。

プロに弱者はいらない

最近、何かと「プロ」に関することを書いている。昨日26日、「プロ」テニスの錦織選手と世界ランク一位のジョコビッチの試合があり、錦織選手はストレート負けした。昨日の錦織選手の試合前には、僕も応援のメッセージを込めて錦織選手に対するブログを書いたのだが、非常に残念だ。確かに残念だが、今回の試合で強者が弱者を食っていく、弱肉強食の醍醐味を見たようで、プロスポーツの世界の厳しさを感じた。

これからも錦織選手に応援していきたいが、その一方、僕としてタイトルにあるように「プロに弱者はいらない」という思いがある。

最近何かと弱者を助けるにはどうすればいいかということが問題になるが、別にそういうことを否定しようとするわけではない。社会の弱者を助ける事は大事だし、セーフィティネットを設けることは基本的人権を尊重するうえで必要だ。

しかし「プロ」の世界では話が別だ。何もスポーツに限ったことではない。全てのプロの世界では弱肉強食が大原則である。たまにプロでも弱者を助けるみたいなことを言う人もいるが、プロの世界でそのようなことを配慮すれば、その分野でプロの魅力は半減する。プロという世界では弱いものは消えていく運命なのである。

以前「ハルウララ」という競走馬が絶大な人気を集めた。勝って人気が出たのではなく、100連敗以上という負けっぷりにハルウララという陽気な名前がマッチして一般受けしたのだと思う。僕は、まぁそんなこともあるのだなというくらいにしか思わないが、ハルウララはプロという範疇の外にあるものだと思う。と言っても、馬にプロという概念が存在するかどうかも分からないが、競走馬は全て「プロ馬」と僕は思っている。

プロの世界を盛り上げるに必要なのは、弱くても応援することではなく、強者を応援することである。強者を応援することが、その世界をよりたくましく魅力的な世界にする。こんなことを言う僕は、90年代の阪神タイガース暗黒時代に阪神タイガースを懲りずに応援し続けていたので、偉そうなことは言えないが。

21世紀になって15年、今世紀中にイチローのようなナンバー1にたどり着く日本人はどれだけ出るだろうか。今日は負けたけれど、錦織選手のナンバー1への道のりをまた応援しよう。

錦織圭選手、世界一位ジョコビッチを倒して主役になれ!

今日、テニス全豪オープンで、世界ランク7位の錦織圭選手が世界ランク1位のジョコビッチと対戦する。錦織選手が世界のトップレベルで戦うようになってから、日本人として誇らしく思い、プロテニスが非常に面白くなってきた。二年前の全米オープンでは、世界ランク1位のジョコビッチを倒し、錦織選手が世界トップレベルの選手であることを証明した。

しかし錦織選手は「世界トップレベル」であり、「世界トップ」ではない。現在も日本ではジョコビッチ戦を前に大いに盛り上がっているが、世界的に見ればジョコビッチの脇役でしかない。錦織選手が主役になるためにはジョコビッチを倒すことが不可欠なのである。2年前の全米ではジョコビッチを倒したが、決勝戦で負けてしまい、4大大会初制覇を逃した。今回こそはジョコビッチを倒し、決勝で勝ち、優勝を勝ち取ってほしい。日本人としてのひいき目もあるだろうが、多くの日本人は錦織選手は世界のトップ、すなわち1位に立てる力を持っていると信じている。

錦織選手を信じて応援しているからこそ、「トップレベル」では喜べない。4大大会制覇、そして世界ランク1位が錦織選手の到達点であり、また新たな出発点となるであろう。

26日の夕方に(日本時間)に錦織選手とジョコビッチ選手の対戦がある。我々には応援して信じるくらいしかできないが、地球の南半球にいる錦織選手から力をもらって、我々も自分の取り組んでいる分野で活躍できるように頑張りたい。

このブログは2ちゃんねるじゃない。それから僕は荻上チキのような社会評論家が大嫌いだ。

先日、驚くべきコメントが来た。何に驚いたかというと、そのコメントの文章の言葉使いだ。具体的には、

「~~~なんじゃないかにゃ?m(ΦωΦ)/」

「~~~したからぢゃにゃくって♪」

「~~~あったんぢゃにゃいかにゃ?」

このコメントのどこに驚いたか、説明するまでもないだろう。このコメント作者に言いたい。「このブログは2ちゃんねるじゃない!」

内容が合っている間違っている以前の問題として、人間性が問われるのではないか?そして僕のブログのタイトルを見てもわかるように、僕は本名・素性を明かしている。なぜ明かしているかというと、自分のコメントしたことに責任を持つことと、扱っている事柄に真正面からぶつかるためだ。もちろん僕の書いた内容に間違いがあるかもしれないし、不完全であるかもしれない。そういうことにはできるだけ気を付けているつもりではあるが。

以前コメントいただいた方は、自分を明かし、丁寧なメールだったので、こちらからも懇切丁寧に返信のメールを出さしていただいた。もちろんネットの一番の特性は匿名性にある以上、匿名で書き込む方がむしろ常識なのかもしれない。しかし匿名でいい加減な言葉使いで(ネット言葉?)いい加減な書き込みをしたければ、2ちゃんねるでしたいだけすればいい。少なくとも僕はそんないい加減にブログを執筆しているつもりはない。たしかにたいしたことを書いているわけではないが。

そしてついでに言うと、僕は荻上チキのような社会評論家が大嫌いだ。彼のようにペンネーム、すなわち本名を明かさずに社会世論を転がして面白がり、本名を明かしてまともに議論しようとしている人を批判するのは、あまりにも不誠実だ。もしメディアなどで正面から論戦したければ、まず本名を名乗るのが先だろう。自分を明かさない時点で責任を認めずすでに逃げ腰であり、彼と議論する価値はない。

 

中国の術中にはまった韓国

最近、韓国外交があらゆる側面で行き詰っている。中国傾斜でアメリカとの関係が悪化したうえ、北朝鮮の核実験の際には中国は韓国と何の策も取らず、韓国を見捨てた形だ。それを受けて国内各紙は朴クネ大統領の親中政策に対して批判の嵐が吹いているという。

韓国の現状はまさしく中国の術中にはまったとしか言いようがない。中国がこれをはじめから目論んでいたとすれば、中国の戦略はしたたかだ。

数か月前、韓国の外交官は、「中国からもアメリカからもラブコールを受けるのは祝福すべきことだ」と言い放った。しかしその数か月後の現在、韓国は中国からもアメリカからも見捨てられる形になった。

そして経済面では約一年前に韓国側から一方的に破棄してきた日韓通貨スワップを、今になって再開してくれと懇願してきている。もともと日韓通貨スワップは、韓国経済が危機的状態に陥った時に日本が助けると意味合いが深く、韓国に大きなメリットがあっても日本には何のメリットもないシステムだった。それを日韓関係悪化を理由に(もちろん韓国はこんな理由だと言っていないが、これは明らかだ)、一方的に破棄を行い、この一年間で韓国経済が急激に悪化したのを受けて今度は一方的にスワップ締結を懇願してきた。韓国にとっては何とも都合のいい話である。安倍総理はどういう判断を下すかわからないが、多くの日本人のはらわたは煮えくり返っているのではないかと思う。

おそらく人の良い安倍首相は韓国を助けようとするであろう。そして冷静に日本の国益を考えれば、その安倍首相の判断は正しいのかもしれない。しかし日本国民の感情として、もうこれ以上韓国とはまともに付き合えないというのが本音ではなかろうか。安倍首相が韓国を助けようとしても、日本の世論がそれを許すかどうか。とは言え、朴クネ大統領の任期も少なくなってきた。次期大統領になれば今までしてきたことに対して何食わぬ顔でまた反日、あるいは今韓国世論で言われている「用日」を掲げて日本に対峙してくるだろう。しかし同じことがまた同じように通じるかどうか、常識ある知識人なら考えるまでもなくわかるであろう。

プロテニスプレーヤーの40%が1ポンドも稼げていない。「プロ」に対する僕の持論

プロテニスプレーヤーの約40パーセントが、1ポンド(167円)も稼げていないらしい。それに対して現在世界ランク7位の錦織圭選手は年間23億円稼げており、錦織選手は非常に恵まれているという声がある。さらに言うと、フェデラーは18年間で115億円稼いでいるという。野球に目を移すと、最近のメジャーリーグ選手の年棒の異常な高騰に賛否両論がある。

これらの状況について僕の結論を先に言うと、これらのプロスポーツ選手の現状に賛同する。

プロスポーツ選手は会社員・サラリーマンではない。彼らは「プロ」なのである。プロであるからには、結果を出してナンボ、結果を出さなければ何のリターンもないのは当然である。そういう意味では非常に高リスクな道を歩いている人たちである。そして高リスクである彼ら・彼女らには、結果を出せば莫大なリターンを得るのも当然である。正直言って、世界ランク何百位というプロテニスプレーヤーに対して、プロとしての価値はほとんどないのである。確かに世界で何百位と言うのは非常にレベルの高いプレーヤーだ。しかしこれは一般アマチュアから見た目であって、プロの世界では彼らの上には何百人ものプレーヤーが存在するのである。

サラリーマンと「プロ」を同じ目で見てはいけない。「プロ」に対していくつかの定義がある。もちろん社会的な定義としては、プロテストに合格して、その競技で飯を食っている人たちと言える。しかし僕はプロとは「プロ意識」を持っていることが必須だと思う。プロたちは高リスクを覚悟の上でその世界に飛び込んでいる。最近、プロテニスの下部のプレーヤーの賞金を上げようという話があるらしいが、プロの世界に何百位というプレーヤーの存続にほとんど意味はない。僕の持論として、プロとは常に世界トップを目指す人たちであるべきである。初めから100位を目指しているプロなんて存在しなくていい。100位を目指して、金もそこそこくれなどと言うのは勘違いも甚だしい。しかし世界でトップのプレーヤーには莫大な賞金(成功報酬)を与えられるべきである。であるから、錦織選手が23億円稼ぐのも、フェデラーが115億稼ぐのも当然のことなのである。なぜなら彼らは「世界トップ」の選手なのだから。

プロはスポーツだけとは限らない。学問の世界でも同じだと思っている。数学のプロならば世界から注目を浴びるレベルの成果をあげなければならないと思っている。そしてそれだけの成果をあげた数学者はトッププロテニスプレーヤーと同じくらいの報酬を与えるべきだ。

ところが現状は、既存の結果にちまちまと継ぎ足して論文を量産している学者があまりにも多い。言うならば、「サラリーマン学者」とでも言うべきであろうか。もちろん彼らの多くは大学などの教育機関で教育に従事している。報酬はそれらの教育に対する対価と見るべきではないかと思う。

最後に僕自身のことであるが、僕自身は研究で稼いである金額はゼロである。しかしそれは当然のことだと思っている。まだ結果を出していないのだから。かと言ってサラリーマン学者を目指そうとは思っていない。なぜならば、僕は数理物理に対して「プロ意識」を持っているから。今は報酬などゼロでいい。しかし大きな結果を出すことに成功した暁には高リターンを求める。プロとはそういう世界だと思っているから。

ソマリア海賊がマグロ漁師に

面白い記事を見た。

アフリカ北東部、ソマリア周辺では、各国の船舶はソマリア海賊に悩まされてきた。その対処策として各国は艦隊などを派遣して海賊を撃退すると同時に、航行船舶の護衛に努めてきた。日本でも数年前に海賊対策のための自衛隊による船舶護衛の法案が可決したような記憶がある。ところが記事によると、ここ三年ほどは海賊が激減して、派生件数はほぼゼロなのだそうだ。

では海賊をやめた元海賊は現在何をしているのか?マグロ漁師になっているという。しかもその仕掛け人は、日本のすしざんまいの木村社長だそうだ。

もちろん海賊が激減したのは、国連やNATOをはじめとする各国艦隊であることは言うまでもない。しかし他に職がなければ海賊たちは隙を見てまた戻ってくることは想像に難くない。そこでそれらの元海賊の受け皿として、すしざんまいの木村社長は彼らにマグロ漁師への道しるべを付けたというのだ。

この木村社長の活動は非常に本質を突いたものだ。各国が力にものを言わせて攻撃しても、もぐらたたき状態になるのは目に見えている。各国艦隊に追われたソマリア海賊を、木村社長はうまく支援したのだ。

各国艦隊と木村社長、どちらがなくても上手くいかない。両者の働きが非常に上手くかみ合ったのだ。とは言え、艦隊で撃退することは誰でも思いつく。しかし受け皿としてマグロ漁師に仕立て上げる、これは木村社長の非常に機転の利いた発想だ。もちろん木村社長はビジネスで動いたのであろう。しかしそのビジネスが国際貢献に非常に寄与することとなったのである。

木村社長は現地アフリカの政府から勲章をいただいたという。この勲章は木村社長の国際貢献の賜物だ。