月別アーカイブ: 6月 2017

「俺が、俺が」のフォワード。

今日、サッカーの元日本代表で、最近Jリーグの神戸に入団した、ハーフナー・マイクの対談を見た。

ハーフナーのポジションはフォワード(FW)、つまりゴールを決めてナンボのポジションだ。

ハーフナーは言う。FWに必要なのは「俺が、俺が」の精神。つまり独善的思考が必要なのだと。これはどこの国のFWでも同じ。FWがアシストしても評価の対象にならない。ゴールを決めて初めて評価されるのだ。

独善的と言っても、悪い意味は全くない。それどころか独善的でなければならないのだ。独善的でないFWなど必要ない。

「俺は、俺は」という言葉を聞いて、自分と全く同じだと感じた。僕も常に「俺が、俺が」という気持ちで前に進んでいる。ハーフナーと同じ独善的思考だと言えるが、自分も独善的でなくなったら、僕の価値はないと思っている。

もちろん、人にはそれぞれ特性がある。サッカーでもディフェンダー(DF・守備的ポジション)の選手には、奉公の精神が求められる。要は、自分の特性に合ったプレーをすればいいのだ。

「俺は、俺は」のプレー(生き方)を選べば、必ず目に見える結果を出さなければいけない。結果を出すまでは確かに苦しい。しかし、自分をしっかりと見極められていれば、自分を信じて我慢ができる。

あとは結果を出すのみ。それまで何とか耐えて見せよう。もう少しの我慢だ!

苦手なことを克服するのではなく、得意なことで勝負せよ!

今回も命令口調だが、やはり自分への命令である。

一般的に、苦手なことは克服しなければならないという風潮が強いが、苦手なことを克服することに気を使って悩んでいる暇があれば、得意なことを磨いて勝負することに力を注いだ方がいい。もちろん苦手な事を克服するのに越したことはないが、人生は苦手なことで勝負するのではない。得意なことで勝負するのだ。

今苦手なことを克服しても、それは延命治療でしかない。しかし、苦手な事の克服を捨てて得意な事だけに絞るにはかなりの覚悟が必要だ。なぜならば得意なことで必ず結果を出す必要があるからだ。

もちろん、社会で生きていくためには、様々な苦手を克服することが要求される。しかし今さらそんな世界で人生を過ごそうというつもりはないので、得意なことに全力を注ごうと思う。

かなりの賭けではあるが、自分の狙うことはそこにこそあると思うので、そこを目指して突き進む。

またまた人生のギャンブルだ!

気合だけではどうにもならないけど。

気合と言えば、アニマル浜口が懐かしい。「気合だ!気合だ!気合だ!うぉ!うぉ!うぉ!」と言うアニマルさんの言葉が耳をこだまする。浜口京子さんは、そんなアニマルさんの気合フレーズに後押しされて、オリンピックでメダルを取ったのだろうか。

何かで落ち込んでいたり、上手くいかない時は、何とか気合で乗り越えたいと思うが、そんな時ほど気合が入らない。そもそも気合を入れれば上手くいくというものではないが、それなりの気合くらいは入れたいものだ。

最近は、明確な展望はあるのだが、生理的な側面に引きずられてなかなか前に進めない。睡眠のコントロールとか。普通の人はこれくらいのことは気合で乗り切れるのかもしれないが、僕の場合気合で乗り切れるレベルじゃない。

しかし、あきらめたらそれで終わり。何とか乗り切るか、他でカバーするか、あらゆる手段を考えなければいけない。

来年、吉と出るか凶と出るか。まだわからないけど、ギリギリまで頑張ってみよう。

人格と精神。裁判の判定理由において。

重大事件の裁判において、”精神鑑定”がよくされる。犯罪の原因が精神疾患なのか、人格によるものなのかを見極めようということであろう。

しかし、人格というものは精神から来るものであり、そういう意味で精神と人格を区別しようというのは的を得ていないように思う。

精神には自分でコントロールできる部分と、自分でコントロールできない部分がある。精神はコントロールできるという意味で、人格形成もある程度自分の意識次第でコントロールできる。

精神とは人間の中枢であり、人間そのものと言っても過言ではない。即ち、人間を高めるためには、精神を高めなければならない。自分はどのような人間になりたいのか?それは人さまざまではあるが、自分のなりたい人間になるためには技術的な事を向上させるだけではダメで、人間性も高めなければならない。

実際、超一流の仕事人は、技術とともに人間性も超一流だ。イチローや山中伸弥教授などを見ていてもひしひしと感じる。

どこまで自分を高めることができるか?そのために時間をかけるのはいいことだが、人間には寿命という制限時間があることを頭の片隅に置いておかなければならない。

あれを言ってはダメ、これを言ってもダメ。結局無難な言葉しか残らない。現在の社会と学校教育の現場。

現在テレビを観て、禁止用語が多く、出演者が無難な言葉を選んでしゃべっていることは、多くの人が感じているであろう。禁止用語と関係ないが、目的の人物以外の人物の映像が全てぼかされているのをみると、神経の使う世の中になったもんだと感じてしまう。

学校教育の現場では、”性”に関する話題はタブーであるらしい。本来、中学生や高校生にこそ正しい知識を教えなければいけないが、保護者からの批判などもあり、教師はそのような言葉を発することもできないらしい。

学校で表だって話題にできないことは、結局裏ですることになる。裏で曲がったことをするのなら、堂々と正しいことを議論しなけない。多くの人はそのことに気付いてはいるが、少数の批判だけが表沙汰になり、結局委縮して何もできなくなってしまうのである。

誰がこのような”無難”な世の中にしたのだろうか?

現在、将棋の藤井四段が快進撃を続け、多くの国民の注目を浴びているが、その一方でそのような傑出した才能を養成する土壌を社会は潰し続けているように思える。

学校は社会の縮図である。学校の閉塞感は将来の社会の閉塞感につながる。可もなく不可もなく、そんな社会に魅力は感じるか?平和に暮らせれば魅力なんて関係ないという人も多いのかもしれないが、そのような社会の行く末は”衰退”であるように思えてならない。

 

本当に自分に厳しい人は、絶対に他人には優しい。

最近、他人の欠点ばかり見えてしまう自分が大嫌いだ。他人のそんなところが見えてしまうと、つい突っ込みたくなる。少し他人に厳しく当たってしまうのだ。そんな時は逆に自分に対する厳しさは緩くなっている。

本当に自分に厳しい人は、絶対に他人には優しいと、最近気づいた。僕自身、自分に対して厳しく規律している時は、他人に対しては大概のことは許すことができた。

「自分にも他人にも厳しい」という人の事をよく聞くが、僕はそれは嘘だと思う。他人に対して厳しい人は、自分に対して厳しいように見せかけているだけだと思っている。

学校の教師を見ればよくわかる。厳しい暴力教師に限って、不祥事が起きると保身に走る。成果は自分の物、責任は他人に押し付ける。そのような教師が多かった。

自分に厳しくなるためには、まず他人に優しくなることから始めなければいけないのかもしれない。

いつまでも「自分に厳しく、他人に優しい」人間でいることを心がけたい。

心臓に毛を生やせ!

「心臓に毛を生やせ!」と命令口調で言ったが、これは自分への命令である。

ここ最近、弱腰でちょっとの事で怯える自分がいた。そんな自分にとって、心臓に毛を生やすことは至上命令だ。厳密に言うと、怖いものなしで暴れまくっていた自分を取り戻すということかもしれない。そのためには、精神的な環境を整えないといけないので、自分の置かれた立場のコントロールから、睡眠の質や時間のコントロールなど、いろいろと課題は多い。

そしてこのブログで「木原康明」という本名を打ち出しているのも、関係はある。ニックネームなどでコソコソと評論して、攻められると陰に隠れるということだけはしたくなかった。しっかりと心臓に毛を生やして、堂々と受けて立つ(というほどの事でもないが)姿勢を貫きたかったのだ。

このブログのタイトルは「考える部屋」というように”考える”事に重点を置いているが、一時期は社会評論に偏っていた時があった。しかし評論などというものは、外から言いたいことを突っ込むだけで、本当に自分の考えを打ち出せているかと言われれば少し疑問である。だから最近は、思想とまでいかなくても、自分の考え・生き方を中心に記事を書くようにしている。

”心臓に毛を生やせ!”の話に戻るが、物事を成し遂げるには、何事にも動じない心を持つことが重要だ。そして自分は再び心臓に毛を生やせると確信しているから、自分の理念を確認するためにもこのようなタイトルで記事を書かせていただいた。

これからまた暴れまくるぞ!

長いものに巻かれるな!

「長いものに巻かれろ」僕の一番嫌いな言葉だ。目上の人から言われても反抗する、生意気な奴だと思われているかもしれないが、自我をしっかり持って筋を通すことは非常に大事だ。

くだらない自我を持つ必要は全くないが、これは重要だと思うことはゆずってはいけない。

総理に巻かれる政治家、教師に巻かれる生徒など様々だが、僕が小学生・中学生時代は何とか教師に泡を吹かせてやろうとそんなことばかり考えていた。

ただ勘違いしてはいけないのは、「長いものに巻かれるな」とは、自分の都合のいい意見を押し通すことではない。「正論を突き通せ」と言う意味である。

そのためには、正論を理解できる「考える頭」を持たなければならない。

藤井さん28連勝の陰で、一二三さんが現役引退。

21日、将棋の藤井四段が歴代一位タイの28連勝を記録した。そしてその前日の20日、棋士最年長の77歳の加藤一二三九段が最後の負けを喫し、現役を引退した。藤井・加藤、両人とも、同じく14歳でプロデビューしている。

話しは変わるが、僕は組織階級の仕組みを知るのが好きだ。自衛隊・警察組織など、序列がはっきりしており、昇級には明確な基準がある。そしてキャリア・ノンキャリアなどの昇級システムの圧倒的な違いなどは、部外者から見る分にはなかなか面白い。

組織階級とは少し違うが、将棋も明確な序列がある。プロ棋士のスタートである四段から始まって、序列の頂点である名人位まで、そして最高のタイトルと言われている竜王まで、そのシステムは見ているだけでなかなか面白い。

名人位はC級2組からスタートして頂点のA組まで毎年昇段していっても5年かかる。これらのシステムがなかなか面白い。

藤井さんはどこまで勝ち続けるのか、棋士組織の仕組みと見比べながら結果を見るのも面白い。

上を向いて笑おう。

最近、笑うことは健康にも精神的にも良いというような話をよく聞く。僕自身は昔から常にゲラゲラ笑っている方だが、ストレスを感じている時はどうしても笑うことが少なくなってしまう。

ストレス解消のためにも、最近は特に意識して笑うようにしているが、本当に笑っていることが良い方向に向いているかどうかよくわからない。しかし上を向いて歩くためにも、笑って気分をスッキリして、前進したいものである。

それから、僕はお笑いを観るよりも、自分がお笑いを作る方が大好きだ(ど素人だが)。3年ほど前に、R-1ぐらんぷりの予選に出たことが懐かしい。機会があればもう一度リベンジしたいと思っているのだが・・・

人を笑わせて、自分も思いっきり笑う。そんなことが少しでも多くなるように、少しネタでも考えておこうか。