「人間は考える葦である」とはパスカルの有名な言葉であるが、広大な宇宙の中の小さな人間の存在を考えるとき、全くその通りで上手く言い表しているなと感じる。
現代の物理学では、マクロに宇宙を見通し、ミクロに原子よりはるかに小さいスケールを見通している。「見る」と言えば望遠鏡で宇宙のかなたを観測することを想像するかもしれない。あるいは顕微鏡で小さな世界を覗くことを想像するかもしれない。
しかし「見る」とは何も目で観測することだけを意味するのではない。理論的に理解することも、それらの世界を見ていることになる。その際に望遠鏡や顕微鏡に相当するのが数式である。数式は世界を理解する道具としては万能である。人間は宇宙の大きさに比べれば米粒より何十桁も小さな存在であるが、机上の計算によって宇宙を包み込んである。
人間は宇宙スケールの物理を理解し、ミクロの世界の物理も理解しているが、それらの二つのスケールの物理の融合(量子重力理論)はまだ成し遂げられてはいない。
人間の理解には限界はあるのか?それとも宇宙の全てを理解してしまうのか?人間が手にした道具(数式)の威力は非常に強力であり、少なくとも理論的には理解できる可能性を大きく秘めていると感じる。