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今、石破茂氏に流れが向いてきたのか?

自民党派閥存続問題で、安倍派・岸田派・二階派の解散が確実になった。おそらく派閥解消によって、これからの自民党政治は大きく変わるだろう。そしてそれと同時にこれから大きく注目される政治家は、石破茂氏に違いない。僕が石破氏の支持者だと言う贔屓目を差し引いても、派閥解消後の自民党を率いるのは石破氏しかいないと思っている。

ところがメディアの論調を見ていると、派閥解消で注目を浴びているのは菅氏であるようだ。確かに菅氏は首相経験もあり、かつ無派閥のボスだ。そこに目が行くのも無理はない。しかし菅氏はもう終わった政治家だと僕は見ている。明らかに総理の器ではなかった。それに対して、政策通で独自の信念を持ち、かつクリーンである石破氏は確実に総理の器を持っている。ところが石破氏は非常に不器用で政治的人間関係を作るのが苦手で、それゆえに派閥形成に失敗した。なので国民的人気があるにも関わらず、自民党内では石破氏は不人気であるようだ。おそらく自民党議員たちも石破氏の下では自らの地位を固めることはできないと考え寄りつかないのだろう。

しかし時代は今変わろうとしている。自民党総無派閥時代に突入しつつある。そうなると党内でも権力闘争より政策実行力のある政治家が注目を浴びる。こうなると石破氏の出番である。これまで安倍派や岸田派に所属していた政治家も、石破氏に急速に近づいていくに違いない。そして派閥無き自民党で影の最大派閥が石破グループになる可能性も否定できない。そうなれば、石破氏の総理総裁の可能性も俄然高まる。

とは言え、石破氏といえども万能ではない。先ほど述べたように不器用なところは皆の知るところであるし、しかし言い方を変えれば愚直で生真面目と言える。しかし僕が思う最大の強みは、防衛政策にとことん通じているところであると思っている。台湾有事など中国に対する防衛問題が重要になった今、防衛政策を的確に実行できることは最も重要である。今アメリカではトランプ氏がまた大統領に返り咲くのではないかともっぱらの話題である。そうなるとトランプ氏と懇意の安倍氏がいないのは日本にとって痛恨の極みである。そして石破氏は不器用である。外交は個人的な人間関係も非常に重要であるから石破氏には少し不安であるが、そこは具体的な政策実行能力で乗り切って、アメリカとの強い関係と東アジアの防衛危機を乗り切ってくれるものだと信じている。果たして石破総理総裁は誕生するのであろうか?

本を読むこと。

今月、このブログのレンタルサーバーおよび独自ドメインの、年一回の使用料の引き落としがあった。はっきり言って今の僕にとっては決して小さな額ではない。それなのに去年はほとんどブログを更新せずに放置状態だった。せっかくこのように発言の場を構築しているのに、それを使わないのは非常にもったいない話だ。なのでこらからはまた頻繁にこのブログを更新していきたいと思っている。

とは言え久しぶりに執筆してみると、毎日更新していた時のようにスラスラと文章が出ない。少し書く手がおぼつかないのだ。やはり何でも毎日続けることによってスキルを維持できるのだとひしひし実感してしまう。これまで積み重ねたものを維持するためにも、毎日行動を起こすことが重要である。

ところでタイトルにあるように僕が読んでいる本について書こうと思うのだが、特定の本に関することではない。僕が読んでいる本に関する全般的な話だ。初めに言っておくと、最近は専門書および科学書しか買っていない。そしてそれらの本の購入に(僕にとっては)多額のお金を注ぎ込んでいる。僕の専門はもともと数学・物理(数理物理)だが、最近はあらゆる科学が面白くて、理論生物学や化学、そしてコンピューター関連の専門書なども読んでいる。そして本だけでなく、論文もできるだけチェックして目を通すようにしている。

論文に関しては、数学・物理に関する最新の論文は「arXiv」と言うサイトに全て集まっているので、無料で論文が読み放題である。そしてここ数年になって、arXivの生物学版、医学版、化学版などもでき、それらの分野に関する最新の論文も読み放題である。このarXivに載っている論文はプレプリントと言われるもので、基本的に査読はされていない。つまり専門家のチェックが入っていない状態のものがまずは掲載される。そしてarXivに載せた後、論文雑誌に投稿するという流れである。

先ほど述べたように僕は専門書を買いまくっているのだが、別に全ての研究者が大量の本を買いまくっている訳ではない。本にほとんど頼らずに研究を実行している研究者もいる。そのような研究者は僕から見ると本当に尊敬に値する。ただ僕自身はとにかく本を買いまくって構想するスタイルをとっており、これからも本を買いまくっていくと思う。それが良いのか悪いのかはわからないが、それが僕のスタイルだ。

専門書や科学書は頻繁に買ってはいるが、小説などの類の本は本当に全く買わなくなった。学生時代は小説などもそれなりに読んで楽しんでいたが、最近は小説を読むのがお金も時間も無駄に感じてしまう。もちろん時間が無限にあるのなら小説なども読んでみたい気は少しある。しかし時間は有限である。そう考えた時、少しでもサイエンスに時間を割きたいと思ってしまう。

近年は出版不況と言われ、皆本を買わなくなったと言われている。情報はネットから無料でいくらでも手に入る。そして本を買う時も最近は電子書籍を購入することが多くなったのではないだろうか。僕自身も電子書籍を購入することがあるが、専門書は基本的に紙の本にこだわっている。確かに紙の本は持ち歩きに不便だ。電子書籍なら何万ページの本でもiPad一枚で済んでしまう。僕自身はどちらがいいと断言しようとは思わないが、専門書に関しては圧倒的に紙のほう効果があるように感じる。しかし論文はネットからダウンロードしてiPadで読むのが便利だ。そして小説などは電子書籍をスマホで読むのがいいだろう。

とにかく紙の本であろうと電子書籍であろうと、本を読むことは人間の知的活動においては不可欠だ。最近はAIを利用する機会も出てきているが、人間が人間である所以は「思考する」と言う行為にある。考えることを放棄してしまえば、それは人間であることを放棄しているのも同然だ。自分はどこまで思考し続けることができるのか?その究極的な限界を追及していくのも非常にエキサイティングな行為だと僕は強く思っている。