月別アーカイブ: 3月 2021

教科書は最強!

「学校の教科書は退屈だ」と言う声をよく聞く。確かに見ようによっては何の変哲もない書き方に思える。しかしそのような偏っていない何の変哲もない書き方こそ教科書の最高の利点であり、まただからこそ教科書は最強なのだ。例えば数学書では、「定理→証明」の繰り返しが退屈でつまらないと言う声をよく聞く。しかしプロの数学者の間で良く参照される「ブルバキ」は、その「定理→証明」の極致であり、だからこそ数学者からの信頼を勝ち得ていると言える。確かに初学者にとってはそのような無味乾燥な書き方は取っ付き辛く、例えば「ファインマン物理学」のような親しみのある書き方の方が良いかもしれないが、しかし物事の本質を自分で掴むためには余計な事が書かれていない方が良く見えるものである。

こんなことを言う僕も、学生時代は教科書を少しバカにした見方をしていたものだ。小学校から高校へかけての教科書は余りにも初歩的であり、いきなり発展的な問題に取り組みたくもなる。しかしそのような教科書を二度三度と完璧にマスターすることは、今考えると決して無駄ではない。最近必要に迫られて(もちろん興味もあっての事だが)高校の生物の教科書を読んだりしているが、それが意外と良く書けているのである。いや、非常に良く書けている。その辺の発展的な生物学の書物を読むのも良いが、その前に高校生物の教科書を読むことは非常に重要であり、むしろ教科書を読み込む方が余程力になる。

大学における教科書は、先生(教授など)によって様々である。もちろん大学によっても難易度が変わってきたりする。しかしどの大学のどの教科書であっても、教科書をしっかりとマスターすることは非常に重要である。そして大学の教科書は、卒業した後でも何年何十年と利用することができる。人によっては卒業した後は教科書類をすべて捨てると言う人がいるようだが、大学の教科書類は死ぬまで持ち続けた方が良いと僕は思っている。高級時計のように子や孫の代まで教科書や専門書を受け継ぐのも良いと思う。

教科書をバカにする人は、物事の本質を理解していない。大学時代の教科書はその後も持ち続けるべきだ。高校の教科書も特に理科系(物理・化学・生物・地学)の教科書は、基本的教養として意味を持ち続ける。もちろん生物学などに関しては学問の進展も早く、20年もすれば教科書の内容もすっかりと変わってしまう。なので10年ごとに新しい教科書を入手して勉強し続けることが肝心である。教科書をバカにする人は、教科書に足元をすくわれる。教科書こそが基本的教養を身に付けるための最強の教材なのである。

ノーリスクはハイリスク!

意外と逆説的だが、リスクを取りに行くことによってリスクを下げられるし、逆にリスクを取らないことがリスクを増大させる。僕は常にそう考えて行動している。例えば僕がよく使う言葉に、「現状維持は没落の始まり」と言うものがある。意味はそのままだが、少なくとも現状維持を目指して発展することは99%ない。それどころか現状維持をしているつもりが、ズルズルと底辺へと引きずられて行く。お金に関するリスクを取ることも重要だが、それ以上に重要なのは人生においてリスクを取ること。そして自己投資を怠らないことが重要である。

自己投資と言うものには、もちろんお金もかかる。なのでお金の投資と人生の投資を明確に区別することはできないが、僕が人生における投資で最も重要視しているのは書物に対する投資だ。人によっては「本など読んでも無駄だ」と言う人もいるかもしれないが、僕が読んだ本の前書きに次の様な言葉が書いてあった。

「どんなに学習がつらいものでも、無知の方がずっと高くつくものである」

もちろん僕は好きで学問に取り組んでいるのだが、人によっては学問に対して拒否反応があるかもしれない。しかしもし学問が本当に無駄なものならば、そもそも学問など存在しないはずだ。そして書物も存在しないはずだ。しかし書店に行けば数多くの本が並べられているし、毎日のように新刊本が発売されている。そして大学の図書館に行けば、それこそ膨大な量の書物が並べられている。書物を読むことは進撃への足掛かりになるし、リスクの低減にもなる。

僕は最近YouTube配信を始めた。なぜ始めたかと言うとその理由はいろいろあるが、一つはリスクを取って進撃するためだ。もちろんそれが成功するかどうかはまだわからない。しかし現在のコロナ禍にあって、今までと同じことをやっていてはそれこそ現状維持をするつもりが没落してしまうことになってしまう。もちろんYouTube動画を作るには、気力も時間もかかる。本音を言うと、研究に全ての時間をかけたいと思っている。しかし今の僕には、「YouTubeを始める」と言う選択肢しかないようにも思える。幸いにも今はテクノロジーが発達し、iPhone一つで動画撮影も動画編集もできてしまう。そう考えれば大きな金銭的な初期投資はほとんどいらない。ならば今すぐ行動すべきだ。

僕の人生に現状維持はない。そして「保身」と言う言葉が最も嫌いだ。いつも自信をもって堂々と行動すればよいと思っている。だからこその失敗をしてしまうこともあるだろうが、失敗をするのは慣れている。そして失敗を成功につなげる方法も見えている。「失敗はリスクだ」と考えている人は多い。しかし失敗こそ成功へとつなげる最も大きな有益リスクではないだろうか?失敗の数は挑戦の数に比例する。なので胸を張って挑戦し続ければ良いのである。

YouTube 始めました。

YouTubeでの動画配信を始めました。チャンネル名は「三分間サイエンス By  Kihara」です。

「ちょっとした隙間時間で、ちょっとした知識をお届けする」をテーマに、広くサイエンスの話題をお届けしていきたいと思います。

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手段と目的を混同してはいけない。

政治の世界を見ていると、いつの時代も賄賂の問題が取り沙汰されている。賄賂とはほぼ全てお金が絡んでいるが、後になって「お金を返したから問題ないだろ」と言う政治家が頻繁に表れる。これこそ手段を目的を完全に混同している典型的な例だ。ここで言うお金のやり取りは手段であって目的ではない。目的は「便宜を図ってもらう事」なのである。便宜を図ってもらう手段としてお金のやり取りが発生するのである。なのでお金を返還したからと言って、便宜を図ったと言う事実は消えない。なので政治家がお金を返還したとしても、何の責任回避にもならないのである。

話は変わるが、新型コロナが流行しだしてから既に一年以上経った。しかしまだ流行が収まる気配はないが、唯一の救いはワクチン接種が開始され、ワクチンによって集団免疫が獲得されれば国内の流行は収まるかもしれないと言う見通しが少しは出て来たことだ。しかし海外ではまだワクチン配布の目途も経たない国は多く、例え日本国内である程度流行を抑えられたとしても、世界的に流行を制圧するためにはまだまだ時間がかかりそうだ。そのようなコロナ流行の時世の中で、人々は極力コロナウイルスとの接触を避けようと試行錯誤している。中にはコロナウイルスに過剰に反応して、過剰な行動とをとってしまう人もいる。そういう僕も色々と過剰な反応をしてしまうことが多い。しかし問題の本質はコロナに感染しないようにすることであって、極度にコロナらしきものに汚れることを防ぐことではない。例えば、コロナウイルスとの接触を避けるのはコロナ感染を防ぐためであって、そのための手段でしかない。しかしこのような手段を暴走させ、過剰に反応する人も少なくない。

よく「目的のためには手段を選ばない」と言われることがある。確かにビジネスでは変なプライドにこだわって手段を選んでいてはお金を儲けることはできないし、手段を選ばないと言う事はあながち間違ってはいないだろう。しかし「人生においてどのように進んで行くか?」と問うた時、手段を選ばずに進んでも良いものなのか?人生と言うものは結果だけを見て評価されるものではない。歩んでいる道そのものも人生の重要な一部分なのである。なので歩んでいる道(つまり手段)と結果を総合してどのような人生にすべきかと言う事を考えなければならない。もちろんこのような僕の意見に反発する人も多いだろう。お金が全てだと言い、お金を得るためには手段を選ばないと言う人もかなりいる。しかしそのような人間ばかりではないことも事実である。命より大切なものはほとんどないが、お金より大切なものは沢山あるし、もしそのようなものはないと言う人がいればおそらく精神が貧弱な人だと僕は思っている。

ただ手段は一つだけではない。いくつかある道のうちからどの道を選ぶかとなった時、熟考を重ねて、しかしながら時には瞬時に判断しなければならない。そのような判断すべき時に、まともな判断ができるかと言う事は、これまで自分が歩んできた道が関係して来るものだ。自分の価値感と言うものは、これまで自分が歩んできた道に大きく左右される。なので手段(道)にこだわると言う事も非常に重要なのではないかと僕は強く感じている。

お金以外の価値を見出せるか?

人間は人それぞれ価値観は大きく違う。それによってある人には大きな価値があると感じられることが、他に人には何の価値も感じられないと言う事も多々ある。しかし一つだけ誰もが大きな価値を感じられるものがある。それは「お金」である。どんなに思考能力がなくても、お金の価値だけは理解できるのである。もちろん非常に立派な人間でもお金の価値を感じるだろう。

お金の価値を感じることは至って普通の事である。しかし非常に危険なのが、「お金の価値しか感じられない」ことである。極論を言えば、人生とはお金以外の価値を感じて行く過程だと言える。お金以外の何かに大きな価値を感じ、それに打ち込んでいく。もちろんそのことにお金が発生すればなおさら良い。いや、もしそれを仕事とするのならば、お金をもうけられないと持続性をもたらすことができない。プロ野球選手のほとんどが野球をプレーすることに大きな価値を感じているだろうが、しかしそれによって得られる大金も大きなモチベーションの向上になるであろう。

僕は幸いなことにお金以外の事に大きな価値感を感じることができた。それは数理物理の研究、すなわち数学と物理だ。この二つを僕に与えていれば、おもちゃを与えられた赤ちゃんのように機嫌よく楽しんでいられるだろう。しかし何かに価値を見出しそれに打ち込むことは、もちろん楽な事ばかりではない。それに打ち込んでいるからこそ死ぬほどきついことも多々ある。しかしそのような苦しみさえやりがいに感じられる何かがあるのだ。そしてそのように感じられるのも、それが自分で選んだ道だからである。

もし目の前の人間を評価したいとき、「あなたにとって価値あるものは何か?」と尋ねればよい。そうすれば誰もが「お金だ」と言うだろう。重要なのはその次だ。もしお金以外に何も価値を感じられなければ、その人は取るに足りない人間である。もしお金以外の事に大きな価値を感じることができるのならば、それは車で言えば大排気量エンジンを持ち合わせているのと同じである。電気自動車が普及し始めた現代風に言えば、大容量バッテリーと強力モーターを持ち合わせていると言える。お金は物質的に豊かな生活をもたらしてくれる。しかし精神的に豊かな生活を求めるのならば、お金以外の価値を感じることが必須である。そしてそれは人生を通じて大きな財産になるであろう。

GIGAスクール構想で忘れてはいけないこと。

現在全国の小中学校で、GIGAスクール構想と言うものが進められている。ここで言うGIGAとは我々が日常的に使うギガ(バイト)の事ではなく、Global and Innovation Gateway for All、直訳すると「全ての人にグローバルで革新的な入り口を」と言う意味である。簡単に言うと、児童学生に一人一台コンピューターを与えて、情報技術を身に付けさせようと言うものである。この構想は2019年から5年間かけて遂行される予定であったものだが、新型コロナの影響があって急速に前倒しされ実行されている。

僕自身この構想に関わっているわけではないので特に詳しいわけではないが、ただこの構想に限らず学校での情報技術教育を行う上で忘れてはならないことが一つあると強く考えているので、そのことを指摘したいと思いこの記事を書くことにした。そのこととは、「情報技術をブラックボックスのまま扱わない」と言う事である。多くの人達は、パソコンやスマホを日常的に当たり前のように使っているが、ではその自分が使っているパソコン・スマホの仕組みをどれだけ理解して使用しているだろうか?おそらく多の人が、仕組みを知らず操作の仕方だけをマスターして使っていることだと思う。もちろんそれらの仕組みを全て知ることは(あまりにも複雑すぎて)不可能であるが、しかし最低限の事くらいは知る必要があるのではないだろうか?そして最低限の事を知った次は、さらに1%でも詳しく理解していく必要がある。それはなぜか?情報技術を発展的に利用あるいは開発していくためには、単に操作方法だけではなくブラックボックスの中身を少しでも詳しく知る必要があるからだ。

もちろん操作方法を知りそれらを使いこなせるだけでもかなりの事が出来るようになる。しかしそれらの事は、学校の教師が教えるよりも、自分で使いこなしたり友達同士で教えあったりする方が圧倒的に習得が早い。なので教師が教えるべきことはむしろそのブラックボックスの中身的な事ではないだろうか?プログラミングももちろんその中に入るが、しかし極論を言えばプログラミングだってさらに根本的なコンピューターの仕組みの下に成り立っている。ソフトだけでなくハードを理解することも必要だ。しかし現実はおそらくそれらすべてを教育できる教師はいないだろう。なのでコンピューターの部門ごとに教師に専門を作らせるのも良いと思う。たとえばプログラミングを担当する教師、そしてネットワーク担当、アーキテクチャー担当など、通常の教科のように分担すればよい。コンピューターとはそれだけ深く複雑なものである。

僕自身、学校でコンピューター教育など全く受けておらず、学生時代はTeXと言う論文執筆ソフトを利用したくらいだ。なので今は少しでも詳しく情報技術の知識を身に付けようと勉強している。現在はAIが徐々に浸透してきているので、それらの基になっているPythonと言うプログラミング言語を習得するのも重要かもしれない。今ではPythonはAIだけでなく、これまでC言語が担っていたプログラミング教育の主流になりつつあるので、これからはPython一つであらゆることに応用できるかもしれない。そしてもう一つ忘れてはいけないのが、これから革新的に普及されると思われる量子コンピューター・量子情報技術である。これらもプログラミングのように基本的マニュアルを覚えて利用することもできなくもないが、しかしこれらを深く理解し切り込んでいくためには物理学における量子力学を知ることは必須だ。しかしこれは現在は大学物理学科2年生か3年生で習うような少し高度なものである。しかし量子コンピューターを理解すると言う目的のために教育の仕方を変えれば、もっと早い段階で教育できるかもしれない。

最後に繰り返しになるが、ブラックボックスのままで扱っているようではコンピューターを理解したことには全くならない。ブラックボックスを全て理解することは専門家でも不可能かもしれないが、しかし1%でも深く理解しようとする姿勢が最も重要になると僕は強く感じている。