「学校の教科書は退屈だ」と言う声をよく聞く。確かに見ようによっては何の変哲もない書き方に思える。しかしそのような偏っていない何の変哲もない書き方こそ教科書の最高の利点であり、まただからこそ教科書は最強なのだ。例えば数学書では、「定理→証明」の繰り返しが退屈でつまらないと言う声をよく聞く。しかしプロの数学者の間で良く参照される「ブルバキ」は、その「定理→証明」の極致であり、だからこそ数学者からの信頼を勝ち得ていると言える。確かに初学者にとってはそのような無味乾燥な書き方は取っ付き辛く、例えば「ファインマン物理学」のような親しみのある書き方の方が良いかもしれないが、しかし物事の本質を自分で掴むためには余計な事が書かれていない方が良く見えるものである。
こんなことを言う僕も、学生時代は教科書を少しバカにした見方をしていたものだ。小学校から高校へかけての教科書は余りにも初歩的であり、いきなり発展的な問題に取り組みたくもなる。しかしそのような教科書を二度三度と完璧にマスターすることは、今考えると決して無駄ではない。最近必要に迫られて(もちろん興味もあっての事だが)高校の生物の教科書を読んだりしているが、それが意外と良く書けているのである。いや、非常に良く書けている。その辺の発展的な生物学の書物を読むのも良いが、その前に高校生物の教科書を読むことは非常に重要であり、むしろ教科書を読み込む方が余程力になる。
大学における教科書は、先生(教授など)によって様々である。もちろん大学によっても難易度が変わってきたりする。しかしどの大学のどの教科書であっても、教科書をしっかりとマスターすることは非常に重要である。そして大学の教科書は、卒業した後でも何年何十年と利用することができる。人によっては卒業した後は教科書類をすべて捨てると言う人がいるようだが、大学の教科書類は死ぬまで持ち続けた方が良いと僕は思っている。高級時計のように子や孫の代まで教科書や専門書を受け継ぐのも良いと思う。
教科書をバカにする人は、物事の本質を理解していない。大学時代の教科書はその後も持ち続けるべきだ。高校の教科書も特に理科系(物理・化学・生物・地学)の教科書は、基本的教養として意味を持ち続ける。もちろん生物学などに関しては学問の進展も早く、20年もすれば教科書の内容もすっかりと変わってしまう。なので10年ごとに新しい教科書を入手して勉強し続けることが肝心である。教科書をバカにする人は、教科書に足元をすくわれる。教科書こそが基本的教養を身に付けるための最強の教材なのである。