「考えること」の重要性。

このブログのタイトルが「考える部屋」としてあるように、僕は考えることに最も重きを置いている。考えると言う行為は最も人間らしい行為であり、人間が人間であるために最も必要な行為であると考えている。しかし現在、人間は自分自身でAI(人工知能)と言うものを作り上げようとしている。僕自身はAIに対してそんなに楽観視していない。しかし現代社会にAIと言うシステムが存在する限り、「AIとは何か?」と言うことを考え理解することは絶対に必要だ。科学的観点からAIのシステムを理解すると言うことはこれからの人間にとって重要なスキルとなる。しかし今社会は、「どのようにAIを利用するか?」と言うことばかりに気を取られて、「AIとは何か?」を理解すると言う観点が完全に欠落しているように思えてならない。

考えることはAIに任せて、人間は何も考えなくなるのか?それは絶対に違う。これから人間はAI以上に考えなくてはならないと僕は考えている。なので僕はとことん考えることにこだわって、知を追究して行こうと考えている。

そして今最も危険なのは、「AIでなんでもできる」と考えることだ。僕が以前、「科学を理解している人は科学には何ができないかを理解している。しかし科学を理解していない人は科学で何でもできると思っている。」と書いた。すなわり理解するとは、「今何ができないかを理解する」ことなのである。何ができないかを理解しているからこそ、そこを乗り越えようとする。そのような考えはAIにも言えるのではないだろうか?「AIを理解している人は、AIは何ができないかを理解している。しかしAIを理解していない人は、AIで何でもできると思っている。」なので、AIと言うシステムを科学的(例えばディープラーンニング)に理解して、AIにできるもの、できないことをしっかりと理解することが必要だ。そうすると意外に(少なくとも現在は)AIより人間の方が圧倒的に優っていることがわかる。現在AIが圧倒的に優っていると思われるものは、例えば将棋のように単純であるが膨大なデータの解析が必要なことに対してであり、学問的な思考はまだまだ人間の方が優っているのだ。

人間の時代が終わる時は、それは人間が思考を捨てた時である。なので人間が思考という行為を捨てない限り、まだまだ人間の時代は続くと僕は考えている。まだまだ人間は捨てたものじゃない!

それでも新庄剛志が大好きだ!

9月28日、「BIGBOSS」がユニホームを脱いだ。これで一年の監督人生が終わるのかと思いきや、来年からは新生「SHINJO」監督として再出発することを表明した。新庄の大ファンの僕としては、本当に喜ばしい限りだ。僕自身は実は子供の頃から阪神ファンである。なので1992年の阪神・新庄の実質的なデビュー年は非常に印象に残っている。その年は「新庄・亀山フィーバー」として今でも阪神ファンに語り継がれている。僕は阪神ファンであるが、その1992年以来、大の新庄ファンでもある。なので今年、新庄の日ハム監督就任が決定してからは、阪神以上に新庄日ハムを応援していた。日ハムには少し悪いが、「日ハムファン」というより「新庄ファン」なのである。しかしそんな新庄が指揮する日ハムは、今ではすごく好きな球団である。

来年日ハムは新球場「エスコンフィールド」で再出発する。その記念すべき一年目に新庄監督が指揮することが決定したことは、非常に喜ばしいことである。新庄も大好きだが、その新庄のもとで活躍する新庄の愛弟子たちも大好きである。特に愛弟子・清宮君の活躍には非常に心が踊らされる。プロ入り後は完全にヤクルト・村上選手の影に隠れていたが、来年以降エスコンフィールドの星となって輝いてくれることを願っている。

ところで僕は、新庄は日本で一番プロ野球のことを理解している野球人だと思っている。「スポーツ」としてのプロ野球を理解している人は無数にいるであろう。特にプロ野球選手、そしてプロ野球監督ならば当たり前のように熟知しているはずだ。しかしプロ野球にはもう一つの側面がある。それは「エンターテイメント」としてのプロ野球だ。そしてこのエンターテイメントとしての側面を限りなく理解しているのが新庄監督その人だ。このエンターテイメントとしての側面はスポーツとしての側面以上に重要かもしれない。なぜなら、エンターテイメントとしての側面があるからこそ観客が入り、そしてファンが金を落とし、それによって選手に巨額な年棒が入ってくるのである。なのでエンターテイメントとしての側面を無視し、技術がトップレベルだから巨額な年棒を払えと要求する選手がいたら、それは全く的外れな要求なのである。新庄とは逆に、それを全く理解していない的外れなスポーツ選手がいた。それはテニスの大坂なおみ選手である。彼女は技術だけを見せればいいと考え、インタビューを拒否するということをしていた。それは全く観客・ファン無視の行動である。もし技術を極めることだけが全てならば、山奥のコートで一人で黙々と励めばいいだけなのである。しかしもちろんそれではお金は一円も手に入れることはできないであろう。インタビューまでも含めて「プロ」スポーツ選手なのであり、それによって巨額の金を手に入れられるシステムなのである。新庄の指揮する野球がここまで面白いのも、新庄がエンターテイメントとしてのプロ野球を熟知しているからと言える。しかしもちろん、野球の技術がトップレベルであるという前提があるのは言うまでもない。

ところで、来年始動する日ハムの本拠地「エスコンフィールド」はとてつもなく魅力的なボールパークである。日ハムもよくここまでお金をかけたものだと感心してしまう。おそらくエスコンフィールドは北海道の名所・観光地になると僕は考えている。プロ野球が開催されない日でも、観光客が数多く訪ねて来るだろう。僕も機会があればエスコンフィールドに行ってみたいと思い、すごく楽しみにしている。今年は最下位に沈んでしまったが、来年は新庄監督が「2位も6位も一緒」と宣言しているように、日本一を目指してそれを実現してもらいたい。

来年も引き続き新庄剛志監督を応援するぞ!

コロナ後遺症の問題が議論されなさすぎではないか?

現在コロナ禍が悪化の一途を辿っているが、ただそれは感染者数においてであり、重症化率、死亡率は初期の頃に比べてかなり低下している。とは言え、感染者数(母数)が多くなれば重症化率が下がっても多くなるのは言うまでもないが、ただコロナウイルスの毒性は(もちろんワクチンの効果もあるが)大幅に低下していると言える。そう言うこともあって、「もうコロナはそんなに恐れる病気ではない」と言う論調もあるが、僕はその論調には徹底的に欠けている視点があるように思えてならない。それは「コロナ後遺症問題」だ。

確かにコロナによる本症状は確実に軽症化している。しかしその本症状と後遺症は全くの別問題だ。現時点でわかっていることとして、本症状の程度と後遺症の程度にはほとんど相関はないと言うことがある。つまり、本症状が軽症あるいは無症状であっても、重篤な後遺症を発症するケースもかなりあるという。そして現時点では、それがいつまで続くのかは全くわからない。一ヶ月で治る人もいれば、一年以上経っても治らない人もいる。

そしてもう一つ言えることは、肺や血管に対する損傷である。これについてもまだ確実なことはわかっていないのであくまでも可能性ではあるが、コロナ感染によって受けたダメージを一生背負っていかなければならない可能性もある。とにかくまだわからないことがたくさんあるのである。そのような状況の中、コロナを軽視するのは時期尚早ではないかと僕は考えている。

特に子供などの若い人にとってはこれからの人生は長く、コロナによる後遺症やダメージを長期間背負っていかなければならない可能性が強い。しかし現在、そのような議論がほとんどされていないことに僕は危機感を抱いている。最近になって、コロナ後遺症を専門的に診る病院がいくつかできてきている。そのような病院による統計によると、コロナに感染して後遺症を発症するのは一割とも三割とも言われている。(おそらくまだ正確な統計は出せていないと思われるが)もしこの数字が正確なら、若い人にとっては本症状の重症化よりも後遺症の方が大問題になる。しかし現在になっても、メディアや専門家のコメントに後遺症に関する発言はほとんど見られない。なので専門家は専門的な見地から後遺症問題に対しても積極的に正確な意見をどんどん発信してほしいものである。

逆境をチャンスに変える!

現在、コロナ禍が急速に悪化している。今このブログ記事を書いているのが7月18日(月)だが、連休明けの火曜日(19日)の感染者数が発表される水曜日(20日)はおそらくとんでもない状況になっているのではないかと僕は考えている。この危機的状況が続くと思われる一、二ヶ月は外出を極力控えるという人も多いのではないだろうか。そうなると、活動的な人にとってはストレスが溜まるし、家でお酒を飲んで暮らすという人も多く出てきても不思議ではない。僕はお酒は大好きだが、家にはお酒を一切備蓄しないことにしている。そうすることによって、お酒を飲むには必ず外出して買ってこなければいけないという障壁を作っている。

そこで、このコロナ禍の急速的な悪化のなか、それを逆手にとってお酒を一切飲まないことにするのも非常に良い選択ではないかと思っている。もしかしたら数日に一度、缶ビールを飲むくらいのことはあるかもしれない。しかしこれを機にアルコールから体と脳をデトックスするのは非常に良い選択だ。そしてYouTube動画を作成しまくるのも良い。僕は今、その準備に打ち込んでいる。もちろん、数学・物理の研究も疎かにしない。とにかく何でも取り組んで行こうと思っている。

ネガティブな状況をネガティブなままにするか?それともそれを逆にポジティブな状況に変えていけるか?そこに自分の人間力がかかっている。そして僕はこの状況を徹底的にポジティブに変えてやろうと強く思っている。その一つとして、お酒を飲まないと言うことにも取り組もうと思っているのである。

僕は常に前を見て生きている。僕の目の前には希望しかない。正確に言うと、今は非常に苦しい状況ではあるが、非常に楽しい状況でもある。はっきり言って、徹底的にポジティブである。過去は変えられないが、未来どうなるかは自分次第だ!さあ、これから明るい未来を切り開いて行こう!

安倍元首相に哀悼の意を表す。

7月8日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。安倍氏に哀悼の意を表したい。

安倍氏は良くも悪くも非常に存在感のある人物であった。なので安倍氏を支持する人は熱狂的に支持するし、反対派は徹底的に安倍氏を叩きのめそうとする。僕自身は安倍氏の総理在任中、基本的には安倍氏支持のスタンスをとってきた。確かに政権末期はおかしいことが立て続けに出てきて疑問を抱くこともあったが、だからと言って安倍氏が大きな業績を残したことには変わらない。特に防衛面での安倍氏の実績は非常に大きかったと僕は考えている。そこでここでは防衛面について僕の考えを少し述べようと思う。

まず、安倍氏の強固な防衛政策には反対する人も多かった。特に安保法案に関しては「戦争法案」とレッテルを貼り付け反対を叫ぶ人も多かった。しかし安保法案は安保法案であって、決して戦争法案ではない。ではなぜ安倍氏は安保法案を強固に打ち出したのか?それはやはり現状のままでは有事に日本を守ることができないという思いがあったからだろう。これまでは何も変えずにそのままにしておけば平和を保つことができた。しかしこれまでは良かったからといって、これからも従来の方法で通用するとは全く限らない。しかし今の日本人は過去の成功に囚われ過ぎている。その結果が現在の悲惨な経済状況である。変化を好まないというのは日本人の気質だと言われているが、しかし変えるべきところは変えていかなければならない。

そして現在の日本人が変化しようとしない理由が、中学・高校の社会科教育にもあると僕は考えている。それは「憲法第9条絶対主義」だ。憲法第9条さえ固持すれば、そして憲法を不変に保てば、平和を維持できると思っているのである。中学校では憲法第9条を徹底的に暗記させられ、それが平和の全てだと教え込まれる。そしてそう教え込まれた生徒はそのまま大人になるのである。これは完全な思考停止状態である。国民が思考停止状態では、平和を維持するのは難しい。まずはどうすれば平和を維持できるかを国民一人一人が自分の頭で考え、維持すべきことは維持し、変えるべきことは変えていかなければならない。

平和状態とは物理で言えば熱力学的平衡状態みたいなものであって、マクロに見ればなんの動きもないように見える。しかしミクロに見れば全ての分子は猛烈な勢いで飛び回っているのである。それと同じように、平和状態にはなんの動きも争いもないように見えるが、それぞれの政治家が頻繁に飛び回り各国と交渉を重ね、そして自衛隊は他国の動きに目を光らせ、他国機の違法侵入があれば即座にスクランブル発進をしているのである。このように平和状態を保つことは、政治家や自衛隊にとっては紛争状態に勝るとも劣らない苦労がつきまとうのである。しかし一般国民の目には表面的には「何も起きていないから平和」と映り勘違いしているのである。実際は「あらゆることが起きまくっているが、それが故に全体的には平衡状態を保っているので平和に映っている」のである。

ここで安倍氏の話に戻るが、安倍氏は防衛政策に非常に力を入れていた総理であった。だからこそ現状のままではいけないと思い、様々なことを変えようとした。そしてそれが海外の国家・政治家たちに「安倍氏はただならぬ人物だ」という認識をもたらし、安倍氏のいる日本には容易に手を出せないと言う状況を作り出していた。今少なくとも日本が平和なのも、安倍氏が存在しているからと言う理由も少なからずあったと思う。尖閣海域では度々中国船が侵入しているが、軍事行動を起こすまでには至っていない。しかしこれからはどうなるかはわからない。尖閣、そして隣国である台湾有事がいつ起こるかわからない状況である。そのような中で安倍氏抜きでどのように切り抜けていくか?難しい判断に迫られることであろう。しかし幸いに、日本には有能な政治家が複数いる。(無能な政治家もいるが。)現在総理をされている岸田氏をはじめ、これらの有能な政治家のリーダーシップのもと、平和を維持していくことは決して不可能ではないと僕は信じている。しかし一歩間違えば破滅を迎えるかもしれないという状況である。平和を守るのに与党も野党も関係ない。今回の安倍氏襲撃に対する対応では、与党・野党が一致した声明を発していた。いつもは与党のすること全てに反対というスタンスをとっている野党も、もし国家の利害に対する意見が一致することに対しては、与党野党共に一致して事を進めて行ってもらいたいものである。

成功の反対は・・・・・?

YouTubeを見ていると、ガンと闘ったアイドルの動画があった。その中で彼女が言った言葉が非常に共感するものであり、また今の日本に最も欠けていることではないかとも思った。それは、

「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」

と言う言葉である。

現在の日本人は極度に失敗を恐れているように感じる。そして失敗を恐れるあまり挑戦をしないと言う選択ばかりとっているように感じる。そしてさらには、挑戦する人をバカにする風潮さえあるようにも感じる。もしこのような僕の感覚が本当なら、日本に将来は全くないはずだ。しかし現実として、日本は曲がりなりにも成り立っている。経済は確かに後退しているが、スリランカのように破産しているわけではない。それはこのような日本の中にも、それなりに挑戦者が存在するからではないかと僕は思っている。

僕は失敗はたくさん経験すべきだと考えている。失敗は挑戦した証であり、誇れるものでもある。そして多くの失敗を重ねる中で成功を生み出して行けば良いのである。しかし何を勘違いしているのか、多くの人は失敗をしないで成功することが善だと考えている。しかしはっきり言って、そのような人には100%、いや、200%成功は訪れない。なぜなら失敗を避けている時点で、挑戦を全くしていないからである。そして挑戦をしないと言うことは、もちろん成功もありえない。今日本に必要なのは、目先の利益、目先の成功ではなく、積極的に挑戦するという精神である。

僕自身のことになるが、僕は失敗の数は誰にも負けないと(変な)自負を持っている。そしてそれだけ失敗していると言うことは、それだけ多くの挑戦をしていると言うことである。もちろん挑戦し続けていることは僕の誇りでもある。しかし残念なことに、まだ成功には至っていない。しかし成功する自信、いや、確信は強固にある。数学・物理だけでなく、サイエンスのさまざまな分野の研究にも挑戦している。YouTubeも始めたし、今年は本を出版することもできた。なんだか年を重ねるにつれ、挑戦心が増してきているようだ。

挑戦しない人たちは、できない理由を必死に探しているように感じる。「自分には才能がないから」、「面倒だから」、「もう年だから」と。しかしこれらの理由は僕から見れば全てバカバカしいものばかりだ。才能がないなら才能を磨けばいいし、年を理由に諦めている人は、ならば若ければやっていたのか?と言う話である。

若くして結果を出せれば凄く良い。しかし遅くても結果を出せればそれも凄く良い。藤井聡太五冠のように若くして大きな成功を成し遂げた人には非常に憧れるし、とてつもなく偉大でもあると思う。しかし若くなくても挑戦し続け、これから大きな結果を出せばよいのである。自分には自分の人生がある。それが個性というものである。人と同じ人生を歩む必要なんて全くない。人生にも多様性が大事なのである。さあ、また今から新しいことにでも挑戦しようか!

僕が徹底的に本(主に専門書)にお金をかける理由。

僕はこれまで何度かブログにも書いてきたように、本(主に専門書)に多額のお金をかけてきた。たとえお金に余裕がなくとも、本にかけるお金はできる限り確保するようにしてきた。ホンゲル係数(収入のうち、本にかけるお金の割合)は日本一だと自負している。では、それらの本を全て活用できているのか?と言われれば、決してそうではない。しかしトータルで見ると、大きく活用できているはずである。

本とは知への入り口である。多くの人は、お金を稼ぐための知識をつけるために本を読むと言うだろう。それも全然間違いではないし、むしろそのような考えの方が世間一般の常識的に見て正しいであろう。またある人は、小説を読んで感性の豊かさを身につけると言うだろう。それも全然間違いではないし、こちらも世間一般的に見て常識であろう。では、専門書を買いまくるのはどうか?とても人にお勧めできるお金の使い方ではない。また、専門書を買いまくる人など社会的に見て圧倒的少数派であろう。また専門書を集めるのが趣味だなんて言うと、完全に変態扱いされるに違いない。そんなお金があれば、ロレックスの時計を買う方が圧倒的にメリットが大きいであろう。しかし世の中には変な人がいるもので、専門書を買うことに喜びを感じる人(すなわち僕のような人)が少数いるのである。

しかし僕の経験上、専門書を買うことは決して無駄ではないと感じている。実際、僕が大学時代に買いまくっていた専門書は、その時には全く活用できていなくても、後になって大きく活用されていたりする。もちろん中には読まない本もあるが、それも含めて自分の血となっているのである。ある時期、本を買いまくることをセーブしていたことがあったが、今はその時本を買わなかったことを後悔している。なので今はお金の許す限り本を買いまくることにしている。

本とは知への入り口であると先ほど言った。なのでその分野の基礎知識を身につけるには、専門書を避けては通れない。そしてさらに先に進めたくなれば論文を読むことになる。なぜ知への挑戦をしようとするのか?それは自己の科学に対する欲求でもあり、自分の限界への挑戦でもある。プロ野球選手が野球の技量に対する限界への挑戦をするように、科学者は科学的な知に対して人間はどこまで迫れるのか?と挑戦し続ける。そのためには専門書や論文は必要不可欠である。そして僕に関して言えば、「とことん本を購入しまくって、それを徹底的に活用する」と言うスタンスをとっている。しかし皆が皆そのようなスタンスを取る必要なはい。ただ僕はそのようなスタンスを取ることにこだわっているだけなのである。

本への投資は株への投資とは少し意味合いが違う。株への投資の最大の目標は金銭的利益にあるのに対して、本への投資の最大目標は自分の知的レベルの向上と人間性の向上にある。しかしそのようなことに価値を見出せる人は実際はあまり多くないのかもしれない。なので多くの人は株に多額の投資をし、千円の本一冊も買わない。しかしもし皆が皆本に多額の投資をしまくってしまえば、それはそれで世の中が偏ってしまうかもしれない。しかし現代の世の中において、年間に一冊も本を買わないと言うことになれば、それは明らかに知的危機であるに違いない。

WindowsからMacに乗り換えました!

これまで使用していたHPのWindowsパソコンにいろいろトラブルがあって、AppleのMacに乗り換えることにした。機種は「MacBook Air」、とは言え、吊るしの状態だとスペックが少し足りないと感じたので、メモリを8G→16G、ストレージを512G→1Tにカスタマイズしたものを注文した。そして二日前にそれが届いたので、昨日は一日中設定に時間を費やした。

では、前に使っていたパソコンのどこが不満で、どこにトラブルがあったのか?まずインテルのCPUがあまりにも酷すぎた。三年前のモデルであったが、CPUはかなり上位のCore i7とかなりスペックは高かったのだが、電源を入れて3分もすれば熱暴走を起こし、電源が落ちてしまうのだ。しかも冷却ファンが回ったり回らなかったりとHPのファンの制御も酷かった。そこで冷却優先の設定にするとファンがフル稼働するのだが、今度はCPUの性能が抑えられてはっきり言って下位のインテルCPUであるCeleronではないかと思うくらい性能がガタ落ちするのだ。これでははっきり言って日常使いもできない。そして性能には直接関係ないが、買った時からディスプレイのヒンジが曲がっているのだ。

それでHPにもインテルにも、そしてWindowsにも愛想を尽かして、Macに完全に乗り換えることにしたのだ。

今、Macを使って二日目であるが、Macを買って大成功だったと強く感じている。ほとんどの面においてMacが優っているのだ。ただ一つだけ問題がある。Macのスピーカーの音がかなりこもって非常に聞きづらいのだ。これは元々そうなのか、それとも僕のMacの個体が不良なのかわからない。しかしスピーカーの音だけはHPの方が遥かに良かった。ちなみにHPのパソコンのスピーカーは、バング&オルフセンと言う音響機器メーカーが開発したスピーカーだそうだ。

CPUなどの性能を見れば、AppleのM1チップはインテルチップの三年先を行っていると僕は思っているが、それ以上に違うのがMacとWindowsの完成度の違いだ。Macの完成度はWindowsの十年先を行っていると言っても過言ではないであろう。今までWindowsを使っていた僕にとって、Macの全てが感動ものだ!とにかくOSの質感が全然違う。そしてMacは簡単な操作でちょっとした内部にまで入り込める。とにかくシンプルでわかりやすい。おそらく僕はもうWindowsに戻ることはないだろう。

欲を言えば、さらにスペックの高いMacが欲しいと言う気持ちはある。しかしそれはこれから結果を出してからでも遅くはないであろう。今回買ったMacを駆使して、どんどん前に進んで行こうと思う。

コロナワクチン、これからの課題。

先日、3回目のコロナワクチン接種を受けて来た。現在流行しているオミクロン株にはワクチンの効果は低いと言われているものの、それなりに抗体増加による効果は見込まれると言われていることもあり、僕は積極的に打つ気持ちでいた。僕は3回ともモデルナワクチンであったが、2回目の接種の際はそれなりに発熱による副反応が現れた。しかしそれでコロナ感染および重症化のリスクが減るのなら、これくらいは十分許容範囲内であろうと考えていた。さらに最近では、コロナによる後遺症も低減する効果があることがわかってきており、さらにワクチン接種の意義が高まってきたように思う。

しかし3回目の接種の翌日には想定していた以上の副反応による発熱が現れ、体感でも二回目の接種時の副反応よりかなりきつく感じられた。この副反応は接種翌日だけでおさまったが、一日だけとは言え、かなり精神的には参ってしまった。今回だけで終わるのならともかく、これを毎回半年ごとに接種するとなると非常に大きなストレスとなり気が重くなってしまう。ワクチン接種にかなり肯定的な僕でさえそう感じるのだから、多くの人にとってはかなりの負担に感じるであろう。

そこで僕が考えるこれからのワクチン開発に対する課題を少し書こうと思う。当たり前の事だが、感染防止効果、そして重症化防止効果を高めるのは言うまでもない。それに加えて、後遺症防止効果も非常に重要になってくるはずだ。人によってはコロナはインフルエンザと同じだと言う人もいるようだが、インフルエンザとの決定的な違いは後遺症問題だと僕は考えている。インフルエンザでは(0%ではないだろうが)少なくとも僕は後遺症が発生するとは聞いたことがない。しかしコロナに関しては、数%あるいはそれ以上の確率で後遺症が発生することがわかっている。しかもコロナの症状自体は軽症であっても、後遺症がかなり重篤な場合もあると言われている。これはかなり重要な問題だ。しかもいつまでそれが続くかわからない。これはその後のQoL(クオリティ・オブ・ライフ、生活の質)に直結する深刻な問題だ。

そしてもちろん、副反応による負担が軽く、長期間効果が持続するワクチンを開発することも非常に重要だ。一回だけの接種で済むのならともかく、コロナとの戦いは長期戦になりそうな様相であり、何度も接種しなければならないとなると精神的な負担を軽くすることは非常に重要だ。現在は鼻に噴霧するタイプのワクチンも開発中だと言われている。そのような新しいタイプのワクチン開発に非常に期待する。

現代のように医療が非常に発達し、普通の病気で死亡するリスクが限りなく低減された今となっては、コロナの感染リスクは非常に高い。しかし歴史的に見れば、江戸時代以前の日本、いや世界では、ちょっとした病気で死亡することは日常茶飯事であった。これらの時代には、現代のコロナより危険な感染症に日常的にさらされていたのである。しかし現代の状況から見れば、コロナは深刻な問題であることは間違いない。ウクライナの悲惨な戦火が収まることと同時に、コロナによる脅威も低減していくことを願うばかりである。

世界最強の亀になる!

日本では、兎と亀の話がよく話される。ご存じの通り、兎は足が速くどんどん先に進むが、最後には地道に前に進んで行った亀が先に着くと言う話だ。僕は現在は兎でも亀でもない。しかし結果的には亀になればいいと思っている。しかし目指すなら、普通の亀ではなくて世界最強の亀だ!

僕の人生は、三歩進んで二歩下がる、いや、時には一歩進んで十歩下がるという時もあった。なのでなかなか前に進まない。困難の連続だ。時には不調に陥り、しばしば失敗を繰り返す。しかし時間がたって気づけば、それなりに前に進んでいるものである。不調に陥った時はかなり絶望的な状況になるが、それを乗り越えると心身共に前より強くなっているのだ。最近もかなり不調に陥っていたが、その原因が明らかになり解決方法が見つかりつつある。そしてそれを乗り越えることができれば、以前より心身共に強くなっているような気がする。そのためにも、最近はかなりハードな筋トレも再開した。

今開かれているオリンピックでは、最年少のメダルとかがよく話題になる。そして最年少と言えば、将棋の藤井聡太さんの話を避けては通れない。藤井さんはとてつもなく凄い。彼は言うなれば「史上最強の兎」である。そのような最強の兎に立ち向かっても勝てるわけがない。別に僕が藤井さんに対抗心を燃やしているわけではないが、僕は兎では全くないが、「最強の亀」ならまだ目指せるのではないかと思っている。ドラゴンボールと言うアニメでは、戦闘民族サイヤ人はダメージを負うほど回復したときにはさらに強くなっている。僕はサイヤ人ならぬ「サイヤ亀」、そして「亀仙人」を目指そうと思っている。

人間は誰しも歳を取る。しかし「歳を取ったからもう無理だ」と言うのは、単なる言い訳にしか聞こえない。特に挑戦もせずに、そして努力もせずに初めからあきらめるのは愚の極致だ。なので僕は何でも挑戦してみる。その結果、失敗しても良いのだ。失敗は挑戦の証であり、途中で100回失敗しても最終的に成功すればいいのだ。しかし「最年少の天才」は良く聞くが、「最長老の最強の亀」とはほとんど聞かない。しかし前例がないなら、自分が前例を作ればいいだけだ。幸い、気力だけは誰よりも維持し続けている。人間は老化するだけでなく進化もし続けることができる。死ぬまで進化し続ける事、それが僕の最大の目標だ!そして人生を終える時、亀仙人になっていたいと思っている。