裁判判決をどう捉えるか?

裁判で判決が確定されれば、その判決の内容が社会的に認定される。もし被告が犯罪を犯したと判決で確定されれば、”社会的”にはその人は100%犯罪者だと認定される。しかし確定判決の内容が100%正しいかどうかと言われれば、それはまた別問題だ。こう言うと司法を軽んじていると言う人もいるだろうが、それが現実である。実際これまで数多くの冤罪事件が認定されてきた。そして冤罪が認められなかった人もそれ以上にたくさんいることが容易に推測される。おそらく確定判決は98%正しいのであろうが、2%(実際は何%かはわからないが)は事実と異なると考えられる。

特に殺人事件という、最も間違ってはならない裁判でさえ冤罪が起きている。袴田事件、そして再審が進められている滋賀県の看護助手の事件などがそうだ。そして殺人事件ではないが、冤罪かどうかが争われている大川原化工機事件でも被告が勾留中に亡くなるという痛ましい事件が起きている。これらの裁判に共通するのは警察・検察の自白強要、都合の悪い資料の隠蔽、都合の良い解釈である。そしてさらに冤罪の可能性が高くなり冤罪が争点になると、検察側の見るもお粗末な自己弁護が悪目立ちしている。それがさらに検察側の意図的に作り出された冤罪だという心象を多くの人に与えることになる。

なぜこのようなことを書いたかといえば、現在争われている松本人志さんに対する争いが、どちらに転ぶかわからない状況になっているのを目にしているからだ。もちろん僕は完全な第三者なので真相など全くわからない。しかしこの裁判は、証拠をどれだけ出してそれがどれだけ正しいと思われるかにかかっている。なのでもし松本さんの主張が正しくても、それを証明できるだけの証拠を持ち合わせていなければ松本さんの敗訴が濃い。しかしこれの言うところは、松本さんが証拠を持ち合わせていなかったと言うことであり、完全に松本さん側の言い分が嘘だと言うことではない。もちろん嘘かもしれないし本当かもしれない。それは我々一般市民には全くわからない。

ここで松本人志さんの裁判に対してどう思うとか、どちらが正しいだろうと言うことは僕は一切言わない。しかし裁判の判決はかなりの高確率で正しいと思われるが、それが本当に100%事実かどうかと言うことはまた別問題だと言うことである。特に松本さんのケースでは、現時点では50:50と言うどちらに転んでもおかしくない様相である。しかし「半分本当で半分嘘」なことでは全くなくて、「100%本当か、100%嘘」のどちらかなのである。なのでこのような50:50の状況でどちらかが1プラスされて51:49になったから51の方が正しいとなっても、社会的にはそう認定されたとはなるがそれが本当に正しいかどうかはまた別問題である。なのでこのような裁判で結論が出たからといって、第三者である僕たちがそう決め込むのはちょっと危ないのではないかと僕は考えている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA