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死ぬまで上り続ける!

最近、FIREと言う言葉がはやっている。FIREとは「早期リタイヤ」のことだ。つまり若くしてそれなりのお金を稼ぎ、早期リタイヤしてその後は貯金や資産運用で余生を過ごすと言うものだ。確かにそのような生活は多くの人が憧れるものかもしれないが、これほど僕に不似合いな言葉もないと自分でも思えてくる。そもそも僕は若い頃は(今でも若いと思っているが)いろいろあって思うように活躍できなかった。なのでこれからは死ぬその時まで現役で活躍し続けたいと思っている。死ぬまで坂を上り続ける、そのような生き方を貫きたいと思っているのだ。

司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」と言うものがある。日露戦争時の将校であった秋山兄弟、そしてその友である正岡子規の物語だ。NHKでもドラマ化されていた。僕は最近は小説を読むことはほとんどなくなったが、当時はそれなりに小説も読んでおり、坂の上の雲はお気に入りの小説の一つだった。「坂の上の雲」をどう解釈するかは人それぞれだが、僕は空高く存在する雲に近づくべく、坂を上り続けたいのである。

人間は何かと楽をしたいと言う気持ちがあるのかもしれない。おそらくFIREもそのような「いつかは楽をして暮らしたい」と言う気持ちから来ているのだろう。そして若い時に必死に働いてFIREするのも、それはそれで良い生き方だと思う。しかし僕は楽をしたいと言う気持ちがあまりない。もちろん辛いことをしたいとは全く思っていないのだが、自分が目標とするところへ近づくためなら、「苦労どんと来い!」と言う気持ちで常にいる。努力も惜しまないが、実は努力ができると言う事は幸せな事であると思っている。調子の良くない時と言うのは、努力さえもできない。なので努力できると言う事に対して僕は非常に感謝している。

現在はコロナ禍であり、何かと余計なストレスのかかる時代である。そのようなストレスを軽減させるためにもワクチンを接種することは重要であると考えている。もちろんワクチンなんて関係ないと思っている人もいるだろうが、ワクチンを接種することによって行動の自由も広がり、ストレスも軽減されていく。今のコロナ禍にあって、ワクチンは自己実現のための一つの武器だと思っている。そして先日、ワクチン二回目接種を終えた。それを合図に、これから再び人生をどんどん攻めて行きたいと思っている。どんな急坂でも登り切ってやると思っている。そしてこれから何年、何十年と、死ぬまで坂を上り続けて行こうと思っている。そのためにも、健康には最大限の注意を払って、さらに筋トレやジョギングなどをして体と脳を鍛えながら上り続けて行こう!

ワクチン・副反応で感じたこと。

僕は先日(9月19日)、新型コロナワクチン(モデルナ)二回目接種を受けて来た。一回目の接種では腕が痛くなるくらいしか副反応が出なかったが、二回目の今回は38度の熱が二日続くなど、かなりしんどい副反応を受けることになった。これまで僕は、コロナを防ぐことができるのならそれくらいの副反応は何てことないと思っており、実際現在のようにコロナが蔓延し、命や後遺症の危機を避けられるのならそれくらいの副反応は何てことないと今でも思っている。しかしコロナ禍は今年来年限りで終わるわけではなく、おそらく今後数年、もしかしたら数十年人類はコロナと共存しなければならないかもしれない。そうなると、ワクチンも今後数年にわたって半年に一度定期的に接種することになるであろう。

もしそうなると、ワクチンの副反応も半年に一度感じなければならなくなる。そうなると、今回だけの副反応だけなら「かなり疲れた」と感じて終わることだが、毎年二回となると精神的にもかなりきついことになることが予想される。そしてワクチン接種の副反応による精神的疲れが、今後のワクチンの接種率低下につながることになる。

そこで今後のワクチン開発において、副反応をいかにして軽減させるかと言う事が重要な課題になる。もちろんコロナの発症率を抑えるとか感染を防ぐと言う事は言うまでもなく重要だが、副反応の低減はそれと同じくらい重要である。しかしコロナを抑える効果は意図して設計するのに対して、副反応は意図せずに起こるものなので、これを低減させることはコロナを抑える効果以上に難しいかもしれない。しかしこれは避けて通れない道だ。

ワクチン開発は、アメリカやヨーロッパが二歩も三歩もリードしている。それに対して日本メーカーが存在感を示すことは容易ではない。もし同じだけの効果があるのなら、実績のあるファイザー・モデルナ・アストラゼネカが選ばれるのが通常である。そこから日本メーカーが追いつくためには、コロナ抑制効果だけではなく、副作用の軽減を示すことができるかがポイントになる。ワクチン接種圧倒的支持の僕ですらこのように感じるのだから、多くの人にとってはなおさら強く感じるに違いない。

火力か?原子力か?

現在、火力発電に頼るべきか?原子力発電に頼るべきか?と言う論争が様々なところでなされている。それぞれ言い分はあるが、全体を見渡すと完全に二分されているように思える。しかし大まかには、現実派には原子力派が多く、理想派には火力派(と言うよりも脱原発派)が多いように感じる。

では火力の問題点は何か?それは言うまでもなく、CO2(二酸化炭素)排出問題であり、化石燃料問題であろう。確かにそれらの問題は深刻だ。場合によっては人類の存亡にもかかわる。善か?悪か?と問われれば間違いなく悪だ。しかし火力が悪だからと言って、原子力にすればよいか、と言うとそんな単純な問題ではない。しかし世間では、「火力が悪だから、現実的に原子力を続けるべきだ」と言う意見が多々聞かれる。しかし悪の対極は善とは限らない。僕がこれまで何度も言った来たように、「善か?悪か?」ではなく、「悪か?最悪か?」と言う問題なのである。僕自身も、火力が悪だとしたら、原子力は最悪だと考えている。

なぜ原子力は最悪なのか?それはよく言われているように、事故の危険性があまりにも高く致命的だからだ。それは福島第一原発事故を見ても明らかだ。よく原発事故が起こる確率は限りなく低いと言われている。しかし、1%の確率で風邪をひくのと1%の確率でガンになるのでは深刻度は全く異なる。それと同じで、例え原発事故の起こる可能性が1%以下だとしても、その1%が限りなく致命的なのである。

そしてもう一つ重要な問題は、核廃棄物の処分問題だ。すなわち発電したのは良いが、それによって出たゴミを処分するところがない(あるいは大幅に不足している)。家庭ごみならば燃やすなり埋めるなり対処の仕方はいろいろあるが、核廃棄物はその性質上、問題なく処分することは限りなく困難だ。そしてそのつけは未来の世代に回ってくる。なので、我々の世代だけ生き延びればいいのならほとんど問題はないが、後世の人達にとっては甚だ迷惑であるだけでなく死活問題である。

結論を言うと、これから二十年、三十年乗り切るだけなら明らかに原発の方がメリットが大きい。しかし未来の世代の事を考えると、原子力と言う選択肢はないはずだ。やはりここでも、「悪か?最悪か?」と決断を迫られたときに迷わず「悪」を選択する事が求められている。

最後まで国民と向き合わない総理だった。

9月3日、菅氏が総裁選に出馬しないことを表明した。これまで散々菅氏を非難してきた僕であったが、もう辞任するのが決定したのだからこれ以上非難するのは止めようとも思ったが、菅氏の会見を見てそんな気も吹っ飛んでしまった。なぜならこのような重要な会見でさえも、二分間一方的に話して終わりと言う、なんとも自分本位な、そして国民と全く向き合う気がないものであったからだ。

菅氏が総理に就任した直後、世間やメディアは「菅氏はイチゴ農家の息子で苦労人だからいい人だ」と浮かれていたが、僕はその時から菅氏を批判し「菅政権は必ず短命に終わる」と言い切っていた。そして菅政権が終わろうとする今、確実に言えることは、「菅氏は最後まで国民と向き合うことはなかった」と言う事だ。菅政権時代の約一年間、確かにコロナ禍の下での政治と言う非常に難しい局面であったが、多くの人が「誰がなっても同じだった」と言っている事には僕は違うと言いたい。菅総理に決定的に欠けていたことは、「自分の言葉で国民に語り掛ける」と言う事だ。すなわちそれができていないと言う事は、国民と向き合っていないと言う事でもある。そして多くの人の目には、「自分の政治生命を守ることしか考えていない自分本位な総理」と映っていたはずだ。

では「誰が総理になっても同じだったか?」と言う問題であるが、もしドイツのメルケル首相のような、自分の言葉で真剣に国民に語り掛けることができる総理なら、少なくとも多くの国民は「総理の言うように、もう少し自粛して我慢しよう」と言う気になったはずだ。しかし現実は皆の知るとおりである。総理が語りかけ、より多くの人がそれに共感したのならば、コロナ禍の状況も今よりましな状況であっただろう。

そして特にコロナ禍のような難しい状況下で言えることだが、政治的判断は「善か?悪か?」ではなく「悪か?最悪か?」と言う事が問われている。そのような時、迷わず「悪」を取れるリーダーでなければならない。しかし菅氏は自分の保身に固執するあまり、「善」を取ろうとして、結局「最悪」になってしまった。ほぼ全ての判断がそうだった。そしてGoToキャンペーンを行い、五輪を行った。もちろん五輪に出ているアスリートは全く悪くない。そして僕も五輪を行ったことを全否定しようとは思わない。しかし菅氏は五輪を行うことに対して、「なぜすべきなのか?」と言う事を自分の言葉で全く語り掛けようとしなかった。「安心・安全」とオウムのように繰り返すだけで、そこには五輪によって支持率を上げようとする自分本位の考えしか見えない。そして菅氏にとっても「善」を取ったつもりが「最悪」になってしまった。

最後に次期総裁選に話を移すが、現在数人の政治家が立候補を取り沙汰されている。その中でも僕にとってうれしいのは、石破氏と河野氏が有力だと言われていることだ。石破氏には二階氏が支持して裏で操るのでは?と言う声も聞かれているが、僕はそんなことは全く心配していない。例え二階氏の支持で総理になったとしても、石破氏は操り人形になるような政治家ではないからだ。これからの政治において最も困難かつ重要になってくるのは、コロナ対策と並び中国問題だ。その点、石破氏と河野氏は断固とした態度を持って対応してくれると確信している。二人ともそのような信念のある政治家だ。小泉進次郎氏の名前も出ている。小泉氏はまだ未知数なところが多いが、それは逆に言うと未知なところに期待が持てるとも言える。岸田氏や高市氏の名前も出ている。前の首相(菅氏)があのような政治家だったこともあり、どの候補もかなり期待が持てるように感じてしまう。僕は新生自民党にかなり期待している。