普段、地下鉄に乗ることが多く、だいたい地下鉄の中で約30分間、本を読んでいる。今日は、マルクス・アウレーリウスの「自省録」を読んでいた。神谷美恵子さんが訳した岩波文庫版である。
マルクス・アウレーリウスはローマ帝国時代の皇帝であり、哲学者でもある。もちろん遠い過去に亡くなっている。しかし、自省録を読んでいると、マルクス・アウレーリウスが目の前に生きているような錯覚に陥る。なぜそのように感じるのかというと、この自省録という300ページばかりの紙の本の中に、マルクス・アウレーリウスという人物の魂が所狭しと宿っているからだと思う。僕はマルクス・アウレーリウスの肉体ではなく、魂を感じて、その人物となりを感じていたのである。
概して名著と言われる書物には、著者の魂が宿っている。魂が宿っている本を見つけるのは簡単ではないかもしれないが、もしわからなければ岩波文庫を選べばいい。岩波文庫には、過去の名著と言われた古典本がずらりとそろっている。岩波文庫であれば、まずはずれはない。
それから、たくさんの本を速読するより、魂の宿る良本をじっくりと繰り返し読む方がいいと僕は思っている。僕が最近繰り返し読んだ本と言えば、これも岩波文庫であるが、新渡戸稲造の「武士道」である。この本は薄い本であるが、非常に深くて濃い本である。新渡戸稲造と言えば、前の五千円札に描かれた人物として有名だが、非常に志高き思想家・教育家である。
ちなみに、武士道の原著は「BUSHIDO THE SOUL OF JAPAN」という英文で書かれた本である。新渡戸はアメリカで日本の精神を伝えるためにこの本を書かれた。つまり、日本語版「武士道」は英文からの翻訳本である。
岩波書店は非常に保守的な出版社で、最新の革命的な本が出ることはほぼないが、古典的名著に関しては右に出るものはいない。今一度「魂の宿る本」を繰り返し読むことの重要性を主張したい。