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コロナワクチンに関する僕の私見。

今世の中のコロナ対策は、いかにしてワクチンでコロナを制覇するかと言う段階に入っている。しかし「制覇する」と言う言葉は適切ではないかもしれない。天然痘のようにゼロにすると言うより、新型コロナを季節性インフルエンザレベルにまで危険性を落とすことが主眼に置かれていると思われるからだ。しかしどうにしろ、新型コロナワクチンは医学的にも政治的にも今年最も重要なミッションになることは間違いない。しかし世の中には的確な情報ももちろん沢山あるが、市民の不安を煽るだけの非常に適切でない情報も氾濫している。

ではなぜ医学や生物学の専門家ではない僕がこのような記事を書こうとするのか?確かに医学・生物学の専門家ではないが、そうは言っても普通の市民よりはそれらの知識はかなりある。そして生物学関係の(準)専門的な書物も頻繁に目を通して基礎的知識、そして最新の知識を更新している。さらに今回の新型コロナに対する対策に関しては、生物学・医学的知識だけではなく確率論的思考なども非常に重要になってくる。そのような数学的思考に関しては僕の得意とするところだ。なので僕が新型コロナ及びワクチンに関する記事を書く意義はそれなりにあると考えている。

ワクチンを接種するかどうかと言う判断をするとき、メリットデメリットを天秤にかけることは非常に重要である。そしてそのような事を考える時、自分個人に関するメリットと同時に、家族的レベルから国家的レベルまでの集団的なレベルでのメリットも考える必要がある。個人的レベルで言えば、自分に抗体によって獲得免疫を付けることであり、家族的には自分が感染を防ぐことによって家族にコロナをうつす危険性を下げる事、そして国家的レベルでは集団免疫を付けることだ。

まず個人的レベルで考える時、主題になるのはワクチンの効果と副反応(副作用)であろう。驚くべきことに、医者の中にもでたらめな記事を書いている人が少なくない。なぜこのような医者によるでたらめな記事が出回っているかと言えば、僕が考えるにはおそらくまともな記事よりもでたらめな記事(ワクチンを否定するような記事が中心)の方がセンセーショナルに映り、人々の目を向けられるからだと考えている。なので医者によるでたらめな記事が出回っているほどいい加減な医者はそれほど多くはないと僕は考えている。しかしこのような記事が出回っている限り、我々市民は記事の妥当性を的確に判断しなければならない。

まず新型コロナワクチンの有効性は、日本で中心となるファイザー製が約95%だと言われている。これはプラセボ群(偽薬、つまり生理食塩水を注射した集団)が二十人発症したとしたとき、本物のワクチンを接種した集団は一人発症すると言う事だ。もちろんこれらの人数は割合(確率)を表している。なので単純に危険性が20分の一になると考えてほぼ問題はない。これは非常に大きな効果である。インフルエンザワクチンの有効性が60%~70%ほどだと言われているので、コロナワクチンの有効性の高さがわかるであろう。そしてインフルエンザワクチンが感染したときの重症化を抑えると言う効果があるように、コロナワクチンも重症化を抑える効果があると言われている。

そして副反応(副作用)に関してだが、これに関してもいくつか報告されている。その中で最も大きな副反応として、アナフィラキシー(重いアレルギー反応)は9万人に一人の割合である。これを確率で表すと、0.0011%と言う事になる。そして現時点ではアナフィラキシーを発症した人たちはほぼ全て退院したという報道もある。少なくとも死者は出ていない。

そして多くの人が気になっているのが、ノルウェーでコロナワクチンを接種した高齢者23人が死亡したと言うニュースであろう。この事実にはいくつか解釈がある。大多数の接種が行われれば、その中の何人かは接種するしないに関わらず死亡する人がいることは容易に考えられる。なのでワクチンを接種した時期と死亡した時期が重なったと言うことである。そして次に考えられるのが、持病などで弱っている人が、接種によって負担がかかり死亡したと言う事である。

このワクチン接種による負担は、おそらくワクチンを体に取り入れることによる体内反応によるものと考えられる。ワクチンと言うものは単純に言うと、ワクチンと言う異物を体内に取り組むことによって免疫反応を起こし、体内で抗体を生産することである。なのでこのような反応は絶対に起こるので、多くの人が発熱や倦怠感が一時的に出て来ることになる。しかしこれは多くの人にとって、抗体がしっかりと生成されて免疫が確実に付けられている証だとも言える。

そして無視できないのが、長期的に見た場合の副作用である。しかしこればかりは短期間では何とも判断できないのでイエスともノーとも言えない。しかしこれを例えて言うと、新しい薬が出た時にも同じことが言える。新しい薬の長期的な副作用は不明である。しかし普段は人々はそのような事はほとんど気にしない。なので薬の場合は気にしないでワクチンに関しては過剰に反応すると言うのはある意味思考的にはおかしな話だと思う。

最後に国家的レベルでの話だが、なぜ集団免疫が重要なのか?まずは集団免疫とは何かと言う事を簡単に説明すると、国民(世界市民?)の何十%が免疫を付けたかと言うことだ。これが一定の割合を超えると、国全体での感染者数が確実に減少傾向になる。そして時間が経つと感染者が(ほとんど)いなくなるということだ。しかしもちろんこのためには一定数以上の市民のワクチン接種が必要になる。なのでワクチンの副反応に過剰に拒否反応を示し接種する人が少なくなると集団免疫を付けることができない。そういう意味で、一人一人がワクチンのメリットデメリットを的確に判断して接種すると言う事が非常に重要なのである。すなわち一人ひとりがワクチン接種することは、国民の集団免疫獲得に貢献することでもあると言える。

ここまで様々な観点からワクチンに関するメリットデメリットを書いてきた。この記事を参考にワクチン接種をするかどうかの判断をしてもらえれば幸いである。ちなみに僕はワクチン接種が可能になると、即接種しようと考えている。とにかくコロナ禍が少しでも早く終息することを強く願っている。

意味のない努力なら、しない方がマシだ!

僕はこれまで努力の重要性を度々強調してきた。そして今でも努力は最も重要なものだと考えている。しかしそれには前提がある。それは、その努力が意味のあるものだと言うことだ。なのでもし自分のしている努力が無意味なものならば、そのような努力はしない方が圧倒的にマシだ。

例えばイチロー選手は誰よりも努力をしていたことは誰もが知るところであろう。しかし練習の時間数だけを比べれば、おそらくイチロー選手よりも練習をしている選手はいるはずだ。ではそのような選手とイチロー選手は何が違うのか?これまた良く知られていることだが、イチロー選手は練習の前に丹念にストレッチをしている。おそらくストレッチだけで一時間以上しているのではないかと僕は思っているのだが、ではなぜイチロー選手はそこまでストレッチにこだわるのか?それはそうすることが一番効果的であり、その後の練習に大きな意味を持たせることができるからだと僕は考えている。練習だけを6時間がむしゃらにするよりも、1時間のストレッチの後、3時間の練習をこなす方が圧倒的に効果が出ると思われる。さらにストレッチをしなければ長時間練習をすればするほど怪我をする危険性も高くなる。このように努力に意味を持たせることを考えるのがプロがプロである所以であると僕は考えている。

iPS細胞の山中伸弥教授は研究だけをやっているのか?いや、山中教授は毎日ランニングをやっている事でも有名である。山中教授が何を考えてランニングをやっているかはわからないが、ランニングをやることによって体を鍛えることは研究やビジネスにおいて大きなアドバンテージになるし、さらにランニングをすることによって頭脳も快適に働くことになる。やはり山中教授も仕事や研究に意味を持たせるためにランニングをやっているのだと僕は考えている。

ただがむしゃらに努力にもならない努力をして時間を稼ぐのは、二流三流のアマチュアがすることである。一流のプロは「意味のある」努力をする。なので今やっても効果的ではないと感じたら、思い切って関係のないことをやって気分転換をすることも重要である。そして何をするにも体が資本、頭脳を使うにしてもその頭脳があるのは体である。なので体を鍛えることは非常に重要である。そのような事を山中教授は教えてくれているのだと思う。そう言えば、僕の学生時代の恩師の教授(数学者)も筋トレをして体を鍛えていた。やはり一流のプレイヤーは、どうすれば一番意味があるかと言う事を常に考え行動しているのである。

生物学を時間スケールで考える。

生物学と言うと現在では分子生物学が一番大きな割合を占めているのではないだろうか?その他にも解剖学だとか生態学など色々と分野が分けられているが、その中でも無視できないのが進化学だ。つまり生物学を時間スケールで考えると言う事だ。そしてこれからの生物学においては、分子生物学などを研究する際にもこのような時間的スケールと言う視点を取り入れることが重要だと僕は考えている。

なぜ僕がこのような進化学に注目したかと言うと、理論的観点から研究を進めることが大いに可能だからだ。特に進化遺伝学や集団遺伝学は確率論や数学的モデルが重要な位置を占めている。また分子進化学では、もちろんその名にあるように分子生物学的な研究も必要になる。まさしくミクロスケール生物学と時間的スケール生物学の融合である。

進化学はダーウィンの時代からは大きく変わった。しかしダーウィンの提唱した自然淘汰の原理は今の進化学においても重要な位置を占めている。僕はこれまでジェネラルサイエンティスト(全ての科学的分野においてスペシャリストレベルである科学者)と言うものに言及してきたが、生物学においてもジェネラルバイオロジストと言う存在が重要になるのではと考えている。これからの科学においては、細分化された狭い分野でのスペシャリストでは必ず限界が来る。どの分野においても多方面からの視点が必要になる。それが生物学においては、分子スケールと時間スケールの融合と言う事ではないだろうか。

このように考えると、数学者や物理学者が生物学的分野に進出するのも面白い。研究と言うものは一つの分野に絞る必要はないのだ。いや、むしろ分野を絞らずにあらゆる視点を身に付ける方が良い。しかし現在ではあらゆる分野で極度の細分化が進み、いち早く細分化された狭い分野で結果を出すかと言う事が求められる風潮が強い。しかしそれは間違っていると僕は考えている。もちろん狭い分野で隅を突くような研究をしたい者はそうすればよい。しかしそのようなものは取るに足りない研究者でしかない。それこそ学者とも呼べないと僕は思っている。学者とは学があってこそのものである。しかし細分化された範囲に籠っては学など付くはずがない。改めて言う。今科学の分野が膨大になったからこそ、広い視点を持ったジェネラルサイエンティスト、つまりあらゆる分野でスペシャリストレベルの科学者が必用なのである。

石破さんに挽回を望む。

少し前、石破茂さんのフグ会席が問題になった。これに関しては、石破茂支持者である僕にとっても非常に残念な思いをしたし、かなり失望もした。もちろんこの一件だけで石破茂支持を止めようとは思わないが、石破さんに対してはこの一件の失態を取り返すべく、さらに国の向上・安全に取り組んで行ってもらいたいと強く思っている。

確かに人間誰しも失敗することはある。なので石破さんの一件の失敗は仕方がないと思っている。しかしこの世の中、この情勢の中、このような会席を平気で行ってしまうとは、気の緩みが半端ないと思っている。たかが一件、されど一件と言う事で、この一件の失態は非常に重い意味を持っていると僕は考えている。何しろ一般市民との認識のずれが酷すぎる。多くの国民が苦しんでわずかなお金もない人も多い中、会席で一人4万円のフグ料理は市民と感覚がずれまくっている。金銭感覚のずれと言えば麻生太郎氏が有名だが、僕の支持している石破さんの感覚もこうなのかと考えると、本当に悲しい気分になる。

この一件に関しては本当に非常に失望したが、しかし責任を取るとかそういう形ではなく、日本のために積極的に動いてこのコロナ禍を乗り切り、以前よりもさらに良い国にしてもらいたいものである。そうすることによって、「あの時は失態してしまったが、やはり石破さんを支持し続けて正しかった」と思わせてほしいものである。

石破茂さん、僕はまだあなたを見放してはいない。あなたなら必ず国を良い方向に導いてくれると信じている。しかしもしもう一度同じような失態をしてしまえば、国民はあなたを見放してしまうはずだ。だからこそまずは政局において苦しい立場を乗り切って首相になって欲しい。そして首相として思う存分あなたの理想とする国づくりに励んでもらいたいと強く願っている。

ウイルスについて知りたい!

現在新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、それに的確に対処するにはまずは敵の事を良く知らなければならない。敵の事を知らずにあれこれと考えても、敵を軽く見過ぎたり、あるいは過度に恐れすぎたりすることになる。なので今生きている人間にとって、新型コロナウイルスの事を熟知することは非常に重要である。

現在、新型コロナウイルスについての文献はかなり増えている。初歩的な文献から専門的な文献、さらには専門論文まで様々なものが出版されている。確かに専門論文を読めればいいが、しかし初歩的な文献であっても読まないよりかは余程マシだ。僕も最近、コロナウイルスに関する文献を読み始めている。正確に言うと、新型コロナ(COVID-19)に限ったことではなく、一般のウイルスに関する知識を重点的に取り入れている。ウイルス一般の知識は新型コロナにも応用できるし、また逆に新型コロナの知識をもしかしたら将来出現するかもしれない未知のウイルスに応用することも可能であろう。僕もウイルスの基礎知識を身に付けた後は、専門的な論文まで目を通そうと思っている。

現在の医学における重要なテーマは何か?今現在に限って言えばもちろん新型コロナであろうが、長い目で見ればガン、そしてHIV(エイズウイルス)であろう。ガンに関しては人類が始まるずっと以前から存在する病であり、これまでもガンの制覇は近いと何度も言われながら、制覇には程遠い状況である。ガンは一見単純に思えるが、実はとてつもなく複雑かつ難解な対象なのである。

そしてもう一つ、HIVに関しては、これまでワクチン完成が近いと言われながらもこれまた制覇には程遠い状況である。コロナワクチンは実質一年程で実用化されたにも関わらず、HIVワクチンはかれこれ30年以上も未完成である。HIVの仕組みも非常に複雑であり、その研究は難解かつ挑戦的であろう。僕はHIVワクチンの完成はそう遠くはないのではと思っているが、もしかしたら永久に完成できない可能性もゼロではない。

現在の新型コロナは数年のスパンで見れば(人々が抗体を持つなどして)弱毒化して必ず制覇されるとは思うが、僕の考える医学の二大テーマ、ガン、HIVに対する挑戦はこれからもしばらくは続くだろう。しかし人間の英知はこれまで様々な困難を切り抜けて来た。その代表が天然痘ウイルスの撲滅と言う大事業であろう。そしてガンもHIVも天然痘のように撲滅される時がいつかは来るだろうと僕は考えている。しかしそれが数年後なのか、それともさらに遠い将来なのかはまだ分からない。それらの制覇に挑む医学者の英知に大いに期待している。

紙の本と電子書籍のハイブリッド。

最近、書籍の電子化が急速に進んでいる。小学生の教科書までも電子書籍にすると言う話もされているようだ。このように紙の本を電子書籍に置き換えることによるメリットは大きい。まず一番に、重い教科書をカバンに詰め込んで通学しなくて良いと言う体への負担の軽減がある。これに関しては僕も大賛成だ。僕が小学生・中学生時代は、学校に教科書を置いて帰っただけで怒る教師も少なくなかった。そのような事を考えると、iPad一枚だけ持ち運べればよいと言う事は非常に大きなメリットである。そして学校だけでなく、休日に出かける時にiPadを持ち運び、車や電車の中で勉強できると言うメリットもある。

しかし電子書籍にすることによるデメリットも大きいと僕は考えている。実は紙の本で勉強や研究をしていると、紙の本を使うことによるメリットが巨大であることに気が付く。僕自身もiPadに電子書籍を詰め込んで研究を行おうと思ったことがあるが、結局紙の良さに気づいて、電子書籍と紙の本の両方があるときは間違いなく紙の本を選ぶことになった。紙の本の良さは実際に紙と電子書籍の両方を使い比べなければ実感できないかもしれない。なので非常に分かりにくい部分ではあるが、紙の本を本棚に並べているだけでも効果は絶大である。本棚に並べてある本を眺めるだけで様々なアイデアや構想が思い浮かぶ。本のタイトル、そして時には本の質感から感じ取って発想が生まれることも少なくないのである。そして本棚にある何十冊の本を視界に入れることによって、それらが有機的に繋がることも少なくないのである。もちろん、紙の本をペラペラとめくって見れることによる視認性の大きさも絶大だ。さらに紙の本だと、目的外の知識も視野に入り取り入れることができると言う事も絶大なメリットだ。

しかしもちろんiPad一枚で全てを持ち運べることは大きなメリットである。なので出かける時などはiPadで電子書籍を読むことは非常に有効である。このように、紙とiPadを使い分けるハイブリッド形式が良いのではと強く感じている。そしてこれはメリットにもデメリットにもなるのだが、iPadであればすぐにネット検索ができると言う事がある。ネット検索によって知りたいことをすぐに調べられると言う事は大きなメリットであるが、すぐにネットに頼ってしまう癖がつくとデメリットになりかねない。ネットに頼りすぎて、自分の頭で考えると言う習慣がつかなくなる危険性があるからだ。なので小学生などには極力ネットに頼ることを止めさせた方が良い。自分の頭で考える習慣がついた大学生などにネットを積極活用させるのが良いと考えている。

ここからは僕の提案であるが、現在は紙の本と電子書籍の両方を手に入れようと思えば二冊分のお金がいる、しかしこれからは、紙の本を買うと電子書籍を無料ダウンロードできる権利を与えた方が良いと僕は考えている。特に分厚い学術書などはその効果は計り知れない。確かに著作権の問題だとかはあるとは思うが、長期的に考えると社会的メリットは非常に大きい。国の発展にとってもメリットは大きいので、国の政策としてもそのような事を支援していくことは非常に有効だと考えている。しかし現実はこれとは真逆の事が起こっている。結果、意欲的な学生や研究者が危ない橋を渡らざるを得なくなり、国が学問を見捨てることにもつながってくる。このような国家に未来があるか?と問われれば、間違いなく否定的な答えが返って来るであろう。

なぜ面白いのか?

何事も、面白いのには理由がある。と思い、僕がなぜ数学や物理が好きなのか?そして数学と物理はなぜ面白いのか?このようなことを考えてみたが、しかしなぜ面白いのかよくわからない。確かにとてつもなく面白いのだが、その理由を考えてもはっきりと思い浮かばない。もちろん面白い理由をいろいろ並べることは簡単にできる。しかし自分がどう感じ、そしてどのような理由で面白いのか?と言う事をしっかりと考えれば考えるほどわからなくなる。

しかしここ数年で一つの大きな変化があった。僕は小学生のころから理科と数学が大好きだった。しかし数学と物理(理科)のどちらが好きかと言われれば、間違いなく物理の方が好きだった。大学で数学科に進んだのも、物理は独学でやって、数学は大学で学ぼうと言う考えからだった(その計画は大幅に狂ったが)。しかしここ数年、僕の中で物理より数学の割合の方がより大きくなってきた。そして今は物理より数学の方が好きだと言う感情の方が強くなった。その理由はいくつかあるが、その中の一つは数学の全体像がはっきりと見えて来たからである。もちろん、数学と言うものは巨大な学問であり全てを把握できるほどちっぽけではないが、少なくとも代数・幾何・解析の本質はかなりつかめて来たと思う。以前は数学と言うものに対して捉えどころのない複雑さを感じていたが、今は数学が手中にあるような感覚がある。

今、いくつかの問題に取り組んでいる。本当は一つの問題に集中すべきなのかもしれないが、今の僕は複数の問題を同時進行で進めることに面白さを感じている。そしてそれらの中には、数学や物理以外の問題も含まれている。例えば進化生物学や数理脳科学、そしてコンピューター科学に関する問題だ。もしかしたらいくつかの問題が一斉に解決するかもしれないと言う感じもしている。

しかしもちろん核となる問題はある。その問題に取り組むことによって数学の本質を掴むことができたし、そしてそれによって物理とは何者なのかと言う事もはっきりと見えて来た。数理物理とは数学なのか?物理なのか?そんなことはどうでもいい。それらの本質がつかめて面白ければそれでいいのである。しかし面白いと言うのは常に楽しいと言う事ではない。時には非常に苦しい時もある。それも含めての面白さであると感じることができたとき、物事の核心に迫れるのではないかと僕は強く感じている。

国内ワクチン開発の進捗状況。

今世界で一番重要なプロジェクトは、間違いなくコロナワクチン開発であろう。世界的にはファイザーなどのいくつかのワクチン開発が有名で、そのうちいくつかは海外でワクチン接種が既に始まっているが、実は日本国内でもワクチン開発は着々と行われている。実際、厚生労働省のホームページを見ると、国内での五つのグループのワクチン開発が表になって記述されている。国内の製薬会社、そして研究所が協力して開発が進められているようだ。

しかし国内でのワクチン開発は、日本国内でもほとんど話題にならない。その理由は、厚生労働省のホームページを見る限りでは、まず一つ目として進捗状況が海外グループに比べかなり遅れているからだと考えられる。厚労省のホームページを見る限りでは、およそ半年、あるいはそれ以上の遅れがあると考えられる。今の時期の半年はかなり大きい。国内ワクチン開発は、やっと臨床治験に入ったかどうかと言うところだ。

そしてもう一つは規模の問題だ。国内ワクチンはまだ製造に関しては見る限りあまり明らかになっていないが、海外ワクチンは年内だけでも億単位の生産が見込まれている。しかしこれからどのような事態が起こるかは明確でなく、状況によっては色々と変化することも考えられる。

日本国内でも話題は海外ワクチン一辺倒であるが、では国内開発ワクチンはあまり意味はないのかと言うと決してそうではない。確かに2021年度前半に限って見ればほとんど海外ワクチンの独壇場であるが、ワクチンは一度打って終わりではない。一度接種したワクチンの効果がどれだけ持続するかはまだはっきりとはわからず、ワクチン効果の持続期間によっては毎年接種する必要に迫られるかもしれない。そうなれば来年、再来年を見越して国内ワクチンを開発する意義は大いにある。

そしてもう一つは変異種である。海外ではコロナウイルスの変異種がいくつか発見されており、その変異種の性質によっては既存のワクチンが効かない可能性も考えられる。そのような事態がこれから発生した時、国内グループによって機敏に対応できることは大きなメリットである。なので長い目で見ると、ワクチンの国内開発は大きな意義があると考えられる。

今年も中盤に入ったころには、日本国内でもワクチン接種が本格化して来る。その時に自分が接種するかどうかはしっかりと考えて判断しなければならない。もちろん接種しない自由もあるかもしれないが、メリットデメリットを冷静に判断すれば、僕自身は絶対に接種した方がメリットが大きいと考えている。そしてワクチン接種は自分だけの問題ではない。自分が接種することによって他人に広げる可能性を格段に下げることができるし、さらには集団免疫形成にも貢献できる。

しかし最近、一つの問題が提示されている。それはワクチンによって集団免疫を形成しても、ワクチン接種による抗体が効かない変異種が出てそれが広がる可能性があることである。その場合、集団免疫で既存種が抑え込まれた場合、逆に変異種の拡散を後押ししてしまう可能性がある。しかし先ほども言ったように、このような変異種にも対応できる体制を整えるためにも、国内ワクチン開発体制を確立することが重要になる。今年度前半は海外ワクチンに頼らざるを得ないが、将来の事を見越しても国内ワクチン開発に大きな期待を寄せている。

「~だと思います」と「~だと考えている」の違い。

ある記事で、菅氏が会見で語尾に「~だと思います」と付けまくっていることを問題視していた。それは僕も大いに共感する。僕自身はこのブログでもそうだが、極力「思います」と言う言葉を使うのを避け、そのかわりに「考えている」と言う言葉を使うようにしている。ではなぜ「思います」で締めくくることが問題なのか?

僕が一番思うのは、「思います」と言う言葉には意志が全く感じられないことである。「思ってはいるけど本当はどうかは分かりませんよ」と言う逃げの姿勢であり、責任感が全く感じられない。国のトップである首相にとって、意志をはっきりと国民に伝えることは非常に重要である。そのようなトップの強い意志を国民が感じ取ってこそ、この人に国の舵取りを任せようと支持できるのである。それに対して「考えている」と言う言葉は、「自分の頭で考えたことなので、責任も自分にある」ということであり、強い意志がこもっている。

そして二つ目は、「考えている」と言えば、「考えた結果次にどう動こうか」と言う次へのアクションが生まれる。そしてそのアクションによってさらに次のアクションが生まれる。というように、未来を積極的に切り開いて行くことができるのである。しかし「思います」と言ってしまえば思っているだけで、それで終わってしまう。自分は思っているけどどうなっても仕方がない、と言う意味合いである。

このような語尾の言葉一つとっても、その人の意志や覚悟が強く読み取ることができる。いま国民からの支持率がじり貧に陥っているのはそういうところから来ているのだと思う。もちろん原因はそれだけでない。しかしこのような無責任な言葉の語尾と不実行な姿勢は完全に一致しているのではないか。おそらく菅氏が言葉の語尾の問題に気が付いたとしても、そう簡単には修正できないと思う。それは意志が言葉について行かないからだ。そして語尾を直すと言う事は、自分の責任を増大させることでもあるからだ。果たして菅氏はそのような意志を持って変革できるであろうか?

受験至上主義?

今コロナ禍の中で、緊急事態宣言が受験シーズンに直撃することが問題になっている。おそらく受験自体は滞りなく進むと思われるが、受験を準備する側、そして受験をする側双方にとって何らかの影響が出て来るものと考えられる。

世の中では受験がさも人生の一大事であることのように言われることがある。そして受験が人生を左右するとまで言われている。それは果たしてそうだろうか?もちろん、僕自身もそのような事を全否定しようとは思わない。しかしあまりにも度が過ぎると感じるのは僕だけだろうか?大学院時代の僕の友人も、「受験が重要過ぎる問題」と語っていた。そう、日本においては受験が重要過ぎることが問題なのである。もちろん海外でも受験が重要であることは変わりないし、韓国に至っては受験が日本以上の一大イベントとなっている。

しかし人間を、この「一時」だけで判断すべきなのか?もちろんこの一時のためにそれまでのあらゆることの積み重ねがあるのだから、「一時だけ」と言うのは不適切かもしれない。しかし人生は今では100年時代とも言われている。そのような長い人生を、若い時の数年の状況だけで判断するのは不適切ではないか。人生はいつでも再チャレンジ可能であるべきなのである。そしてこのことは裏を返せばいつでも転落してしまうと言う可能性もあると言うことでもある。

この受験と言う一時だけで人間を判断をしてしまうとどのような弊害が起こるのか?それは「自分が一番優秀だったのは受験生の時だ」と言う人が多いことに象徴されている。受験時と言う一時だけの才能ではなく、長い人生において常に才能を磨いていくことが重要なのではないだろうか?僕は生涯教育なんて言う生易しいことを言っているのではない。真剣に人生に向き合うべきだと言っているのである。自分で言うのもなんだが、僕は常に自分の才能を磨くことを怠らずに生きている。大学時代には大きく調子を崩し、思うように勉強ができない時が続いたこともあった。ならばできるようになった時に真剣に思いっきり勉強や研究に打ち込めばいいではないか!僕はその辺の受験至上主義の人間なんかには絶対に負けない自信があるし、それを身を挺して示すべきだと常に考えている。