近年、大学への進学率は非常に高くなっており、とりあえず大学に行くという人も多いだろう。もちろんそれは悪いことでは全くないが、しかしその一方、大学に何をするために行くか?また、大学は何のためにあるのか?という議論が社会でほとんど行われていないことに危機感を感じる。
大学は何のためにあるのか?と聞かれたら、多くの人は学問を修めるためにあると答えるだろう。しかし体育大学などではスポーツがメインであるように、学問以外の目的のためにある大学もある。(もちろん体育を学問的に研究されてもいるが。)また、専門職大学(大学院)のように、実務を目的とした大学も存在する。なので、大学の主目的が学問であると一概に答えることはできない。
近年、益々顕著になりつつあるのが、大学の就職予備校化だ。このことに異論がある人も多いであろうが、現実は就職が最大目的だという人の方が圧倒的多数であろう。もちろん、希望する職種を目指して大学で学問に励むという頼もしい強者も多くいるが、その一方、大学の授業そっちのけで就職活動に埋没する人には疑問を感じる。
もちろん、大学で学問を学ぶ力と就職してから必要になる力はかなり違う。なので、就職するために大学で真剣に学ぶ必要はないという声も聞かれるかもしれない。しかしそれなら、そもそも大学に行く必要は全くない。大学が就職予備校と化す前に、就職予備校というものを本当に作ればよいのではないかと強く感じる。それは就職予備校というものに対してのネガティブな意見ではなく、就職予備校で徹底的に実用的知識及び行動力を身に付けるというポジティブな意見からだ。大学に行くのなら、学問に励みつつ就職活動を遂行してほしいと強く願う。
僕の身の周りであった出来事であるが、現実として学問に真剣に励んでいる人がそれが故に就職にあぶれ、ゼミ中に教室の後ろで携帯をいじくっている人が就職活動に励み日の目を見るということが至る所で見られた。これは大学及び社会の構造的欠陥ではないかと強く感じる。
とは言え、好きで学問を修め研究を行っている人にとっては、このような事はあまり気にしないのかもしれない。大学でサボって上手く就職した人も、仕事で成果を出せれば大学時代のことなどは小さな問題なのかもしれない。とにかく自分がすべきことを見つけ、それにまい進することができれば、その人にとっても社会にとっても大きな財産になるのではないかと強く感じる。
今すべきことに対して、一歩でも前に進むことを考え行動していく。これができれば人生に対してそう大きく迷うこともないのではないだろうか。