安倍元首相に哀悼の意を表す。

7月8日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。安倍氏に哀悼の意を表したい。

安倍氏は良くも悪くも非常に存在感のある人物であった。なので安倍氏を支持する人は熱狂的に支持するし、反対派は徹底的に安倍氏を叩きのめそうとする。僕自身は安倍氏の総理在任中、基本的には安倍氏支持のスタンスをとってきた。確かに政権末期はおかしいことが立て続けに出てきて疑問を抱くこともあったが、だからと言って安倍氏が大きな業績を残したことには変わらない。特に防衛面での安倍氏の実績は非常に大きかったと僕は考えている。そこでここでは防衛面について僕の考えを少し述べようと思う。

まず、安倍氏の強固な防衛政策には反対する人も多かった。特に安保法案に関しては「戦争法案」とレッテルを貼り付け反対を叫ぶ人も多かった。しかし安保法案は安保法案であって、決して戦争法案ではない。ではなぜ安倍氏は安保法案を強固に打ち出したのか?それはやはり現状のままでは有事に日本を守ることができないという思いがあったからだろう。これまでは何も変えずにそのままにしておけば平和を保つことができた。しかしこれまでは良かったからといって、これからも従来の方法で通用するとは全く限らない。しかし今の日本人は過去の成功に囚われ過ぎている。その結果が現在の悲惨な経済状況である。変化を好まないというのは日本人の気質だと言われているが、しかし変えるべきところは変えていかなければならない。

そして現在の日本人が変化しようとしない理由が、中学・高校の社会科教育にもあると僕は考えている。それは「憲法第9条絶対主義」だ。憲法第9条さえ固持すれば、そして憲法を不変に保てば、平和を維持できると思っているのである。中学校では憲法第9条を徹底的に暗記させられ、それが平和の全てだと教え込まれる。そしてそう教え込まれた生徒はそのまま大人になるのである。これは完全な思考停止状態である。国民が思考停止状態では、平和を維持するのは難しい。まずはどうすれば平和を維持できるかを国民一人一人が自分の頭で考え、維持すべきことは維持し、変えるべきことは変えていかなければならない。

平和状態とは物理で言えば熱力学的平衡状態みたいなものであって、マクロに見ればなんの動きもないように見える。しかしミクロに見れば全ての分子は猛烈な勢いで飛び回っているのである。それと同じように、平和状態にはなんの動きも争いもないように見えるが、それぞれの政治家が頻繁に飛び回り各国と交渉を重ね、そして自衛隊は他国の動きに目を光らせ、他国機の違法侵入があれば即座にスクランブル発進をしているのである。このように平和状態を保つことは、政治家や自衛隊にとっては紛争状態に勝るとも劣らない苦労がつきまとうのである。しかし一般国民の目には表面的には「何も起きていないから平和」と映り勘違いしているのである。実際は「あらゆることが起きまくっているが、それが故に全体的には平衡状態を保っているので平和に映っている」のである。

ここで安倍氏の話に戻るが、安倍氏は防衛政策に非常に力を入れていた総理であった。だからこそ現状のままではいけないと思い、様々なことを変えようとした。そしてそれが海外の国家・政治家たちに「安倍氏はただならぬ人物だ」という認識をもたらし、安倍氏のいる日本には容易に手を出せないと言う状況を作り出していた。今少なくとも日本が平和なのも、安倍氏が存在しているからと言う理由も少なからずあったと思う。尖閣海域では度々中国船が侵入しているが、軍事行動を起こすまでには至っていない。しかしこれからはどうなるかはわからない。尖閣、そして隣国である台湾有事がいつ起こるかわからない状況である。そのような中で安倍氏抜きでどのように切り抜けていくか?難しい判断に迫られることであろう。しかし幸いに、日本には有能な政治家が複数いる。(無能な政治家もいるが。)現在総理をされている岸田氏をはじめ、これらの有能な政治家のリーダーシップのもと、平和を維持していくことは決して不可能ではないと僕は信じている。しかし一歩間違えば破滅を迎えるかもしれないという状況である。平和を守るのに与党も野党も関係ない。今回の安倍氏襲撃に対する対応では、与党・野党が一致した声明を発していた。いつもは与党のすること全てに反対というスタンスをとっている野党も、もし国家の利害に対する意見が一致することに対しては、与党野党共に一致して事を進めて行ってもらいたいものである。

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