評論家とは究極的に無責任な存在だ!

今メジャーリーグで大谷翔平選手が爆発している。打者としての爆発が目立っているが、投手としても半端なくレベルの高いプレーをしており、ただ単にリリーフ陣の崩壊によって勝ち星がなかなか付かないだけのように見える。現在どの評論家も大谷選手の事を手放しで褒めたたえているが、二刀流の挑戦を始めた時の評論家の発言はどれも酷いものばかりであった。代表的なもので言うと、「そんなに甘くない」「どっち付かずになってしまう」と言ったものであろう。そしてそのような発言を今見返した時、あらゆる意味であきれ返ってしまう。それは大谷選手の活躍を見通せなかったからではなく、そのような発言を見た時、どれもド素人でも言えるような発言しかしていないことに驚きあきれ返ってしまうのである。もし元プロ野球選手の評論家なら、あらゆる側面からの分析によって評論してもらいたいものであり、そのような分析でも予見できなかったとなれば我々も納得し、大谷選手の凄さをさらに実感できるのである。そう考えれば、上の二つの発言のような評論は、超ド素人レベルの超無責任発言にしか思えない。

もちろん、これまで誰もやってこなかったようなことに挑戦・開拓する人に対しては、無責任な批判はつきものである。そしてもし失敗すれば「それ見たことか」と皆が笑う。なので新しいことに挑戦・開拓する時は、困難は取り組む対象だけでなく、世間の白い目とも戦わなければならない。世の中と言うものはしばしば不条理だと言われるが、しかし不条理が世の常だからと言って平気で無責任な発言をする人に対しては僕は怒りを隠せない。僕も今、数理物理(数学・物理)の研究で、誰もが成し遂げなかった(誰も取り組んでこなかった?)ことに挑戦している。そして結果を出せる自信は大いにある。しかし周りの目はかなり冷ややかだ。確かに今までの過程を見ると、そう思われるのは仕方ないのかもしれない。しかしこれまでの過程、これまでの人生に関しては人それぞれ特有の事情があり、これまで上手くいかなかったことに関してもその人の事情があるのである。しかし今までできなかったからと言って、それはこれからもできないと言う理由にはならない。もちろんこれまでずっと成功できなかった人のほとんどは、これからもできる見込みはないと思うのが常識なのかもしれない。しかしその人の常識を他人にまで押し付けるのはやめてほしい。さらに言えば、挑戦もしない人が人の挑戦に対して否定するのは明らかにおかしいしバカバカしい。それこそ無責任の極致である。

だいたい百年に一人の人間になろうとする人は世の中にはほとんどいない。しかし百年に一人の人間になろうと努力している人に対して外野から非難するのは究極的に卑怯でもある。大谷翔平選手は百年に一人の選手になろうと挑戦しているのである。並みの元プロ野球選手にはそのような事を全く理解できないのかもしれないが、超一流メジャーリーガーのイチロー氏は大谷選手がメジャーに挑戦する時「大谷は打者ではホームラン王を取れる可能性があるし、投手としてはサイヤング賞を取れる可能性がある」と二刀流を後押ししていた。やはり超一流の選手の事は、超一流の選手にしか理解できないのかもしれない。

結果を出すまではバカと言われ続けられるのかもしれない。ならば結果を出せばいいのだ。結果を出してしまえば誰も文句は言わない。僕も今、大きな挑戦をしている。そして結果を出すまではバカと言われ続けることを覚悟している。しかし結果を出すことは僕にとってゴールではない。それは僕の人生、そして研究者としてのスタートであると考えている。結果を出して満足するのではなく、結果を次のさらに大きな結果へと繋げなければならない。そして僕は死ぬまで挑戦し続ける覚悟である。

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