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石破さんに挽回を望む。

少し前、石破茂さんのフグ会席が問題になった。これに関しては、石破茂支持者である僕にとっても非常に残念な思いをしたし、かなり失望もした。もちろんこの一件だけで石破茂支持を止めようとは思わないが、石破さんに対してはこの一件の失態を取り返すべく、さらに国の向上・安全に取り組んで行ってもらいたいと強く思っている。

確かに人間誰しも失敗することはある。なので石破さんの一件の失敗は仕方がないと思っている。しかしこの世の中、この情勢の中、このような会席を平気で行ってしまうとは、気の緩みが半端ないと思っている。たかが一件、されど一件と言う事で、この一件の失態は非常に重い意味を持っていると僕は考えている。何しろ一般市民との認識のずれが酷すぎる。多くの国民が苦しんでわずかなお金もない人も多い中、会席で一人4万円のフグ料理は市民と感覚がずれまくっている。金銭感覚のずれと言えば麻生太郎氏が有名だが、僕の支持している石破さんの感覚もこうなのかと考えると、本当に悲しい気分になる。

この一件に関しては本当に非常に失望したが、しかし責任を取るとかそういう形ではなく、日本のために積極的に動いてこのコロナ禍を乗り切り、以前よりもさらに良い国にしてもらいたいものである。そうすることによって、「あの時は失態してしまったが、やはり石破さんを支持し続けて正しかった」と思わせてほしいものである。

石破茂さん、僕はまだあなたを見放してはいない。あなたなら必ず国を良い方向に導いてくれると信じている。しかしもしもう一度同じような失態をしてしまえば、国民はあなたを見放してしまうはずだ。だからこそまずは政局において苦しい立場を乗り切って首相になって欲しい。そして首相として思う存分あなたの理想とする国づくりに励んでもらいたいと強く願っている。

ウイルスについて知りたい!

現在新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、それに的確に対処するにはまずは敵の事を良く知らなければならない。敵の事を知らずにあれこれと考えても、敵を軽く見過ぎたり、あるいは過度に恐れすぎたりすることになる。なので今生きている人間にとって、新型コロナウイルスの事を熟知することは非常に重要である。

現在、新型コロナウイルスについての文献はかなり増えている。初歩的な文献から専門的な文献、さらには専門論文まで様々なものが出版されている。確かに専門論文を読めればいいが、しかし初歩的な文献であっても読まないよりかは余程マシだ。僕も最近、コロナウイルスに関する文献を読み始めている。正確に言うと、新型コロナ(COVID-19)に限ったことではなく、一般のウイルスに関する知識を重点的に取り入れている。ウイルス一般の知識は新型コロナにも応用できるし、また逆に新型コロナの知識をもしかしたら将来出現するかもしれない未知のウイルスに応用することも可能であろう。僕もウイルスの基礎知識を身に付けた後は、専門的な論文まで目を通そうと思っている。

現在の医学における重要なテーマは何か?今現在に限って言えばもちろん新型コロナであろうが、長い目で見ればガン、そしてHIV(エイズウイルス)であろう。がんに関しては人類が始まるずっと以前から存在する病であり、これまでもガンの制覇は近いと何度も言われながら、制覇には程遠い状況である。ガンは一見単純に思えるが、実はとてつもなく複雑かつ難解な対象なのである。

そしてもう一つ、HIVに関しては、これまでワクチン完成が近いと言われながらもこれまた制覇には程遠い状況である。コロナワクチンは実質一年程で実用化されたにも関わらず、HIVワクチンはかれこれ30年以上も未完成である。HIVの仕組みも非常に複雑であり、その研究は難解かつ挑戦的であろう。僕はHIVワクチンの完成はそう遠くはないのではと思っているが、もしかしたら永久に完成できない可能性もゼロではない。

現在の新型コロナは数年のスパンで見れば(人々が抗体を持つなどして)弱毒化して必ず制覇されるとは思うが、僕の考える医学の二大テーマ、ガン、HIVに対する挑戦はこれからもしばらくは続くだろう。しかし人間の英知はこれまで様々な困難を切り抜けて来た。その代表が天然痘ウイルスの撲滅と言う大事業であろう。そしてガンもHIVも天然痘のように撲滅される時がいつかは来るだろうと僕は考えている。しかしそれが数年後なのか、それともさらに遠い将来なのかはまだ分からない。それらの制覇に挑む医学者の英知に大いに期待している。

紙の本と電子書籍のハイブリッド。

最近、書籍の電子化が急速に進んでいる。小学生の教科書までも電子書籍にすると言う話もされているようだ。このように紙の本を電子書籍に置き換えることによるメリットは大きい。まず一番に、重い教科書をカバンに詰め込んで通学しなくて良いと言う体への負担の軽減がある。これに関しては僕も大賛成だ。僕が小学生・中学生時代は、学校に教科書を置いて帰っただけで怒る教師も少なくなかった。そのような事を考えると、iPad一枚だけ持ち運べればよいと言う事は非常に大きなメリットである。そして学校だけでなく、休日に出かける時にiPadを持ち運び、車や電車の中で勉強できると言うメリットもある。

しかし電子書籍にすることによるデメリットも大きいと僕は考えている。実は紙の本で勉強や研究をしていると、紙の本を使うことによるメリットが巨大であることに気が付く。僕自身もiPadに電子書籍を詰め込んで研究を行おうと思ったことがあるが、結局紙の良さに気づいて、電子書籍と紙の本の両方があるときは間違いなく紙の本を選ぶことになった。紙の本の良さは実際に紙と電子書籍の両方を使い比べなければ実感できないかもしれない。なので非常に分かりにくい部分ではあるが、紙の本を本棚に並べているだけでも効果は絶大である。本棚に並べてある本を眺めるだけで様々なアイデアや構想が思い浮かぶ。本のタイトル、そして時には本の質感から感じ取って発想が生まれることも少なくないのである。そして本棚にある何十冊の本を視界に入れることによって、それらが有機的に繋がることも少なくないのである。もちろん、紙の本をペラペラとめくって見れることによる視認性の大きさも絶大だ。さらに紙の本だと、目的外の知識も視野に入り取り入れることができると言う事も絶大なメリットだ。

しかしもちろんiPad一枚で全てを持ち運べることは大きなメリットである。なので出かける時などはiPadで電子書籍を読むことは非常に有効である。このように、紙とiPadを使い分けるハイブリッド形式が良いのではと強く感じている。そしてこれはメリットにもデメリットにもなるのだが、iPadであればすぐにネット検索ができると言う事がある。ネット検索によって知りたいことをすぐに調べられると言う事は大きなメリットであるが、すぐにネットに頼ってしまう癖がつくとデメリットになりかねない。ネットに頼りすぎて、自分の頭で考えると言う習慣がつかなくなる危険性があるからだ。なので小学生などには極力ネットに頼ることを止めさせた方が良い。自分の頭で考える習慣がついた大学生などにネットを積極活用させるのが良いと考えている。

ここからは僕の提案であるが、現在は紙の本と電子書籍の両方を手に入れようと思えば二冊分のお金がいる、しかしこれからは、紙の本を買うと電子書籍を無料ダウンロードできる権利を与えた方が良いと僕は考えている。特に分厚い学術書などはその効果は計り知れない。確かに著作権の問題だとかはあるとは思うが、長期的に考えると社会的メリットは非常に大きい。国の発展にとってもメリットは大きいので、国の政策としてもそのような事を支援していくことは非常に有効だと考えている。しかし現実はこれとは真逆の事が起こっている。結果、意欲的な学生や研究者が危ない橋を渡らざるを得なくなり、国が学問を見捨てることにもつながってくる。このような国家に未来があるか?と問われれば、間違いなく否定的な答えが返って来るであろう。

国内ワクチン開発の進捗状況。

今世界で一番重要なプロジェクトは、間違いなくコロナワクチン開発であろう。世界的にはファイザーなどのいくつかのワクチン開発が有名で、そのうちいくつかは海外でワクチン接種が既に始まっているが、実は日本国内でもワクチン開発は着々と行われている。実際、厚生労働省のホームページを見ると、国内での五つのグループのワクチン開発が表になって記述されている。国内の製薬会社、そして研究所が協力して開発が進められているようだ。

しかし国内でのワクチン開発は、日本国内でもほとんど話題にならない。その理由は、厚生労働省のホームページを見る限りでは、まず一つ目として進捗状況が海外グループに比べかなり遅れているからだと考えられる。厚労省のホームページを見る限りでは、およそ半年、あるいはそれ以上の遅れがあると考えられる。今の時期の半年はかなり大きい。国内ワクチン開発は、やっと臨床治験に入ったかどうかと言うところだ。

そしてもう一つは規模の問題だ。国内ワクチンはまだ製造に関しては見る限りあまり明らかになっていないが、海外ワクチンは年内だけでも億単位の生産が見込まれている。しかしこれからどのような事態が起こるかは明確でなく、状況によっては色々と変化することも考えられる。

日本国内でも話題は海外ワクチン一辺倒であるが、では国内開発ワクチンはあまり意味はないのかと言うと決してそうではない。確かに2021年度前半に限って見ればほとんど海外ワクチンの独壇場であるが、ワクチンは一度打って終わりではない。一度接種したワクチンの効果がどれだけ持続するかはまだはっきりとはわからず、ワクチン効果の持続期間によっては毎年接種する必要に迫られるかもしれない。そうなれば来年、再来年を見越して国内ワクチンを開発する意義は大いにある。

そしてもう一つは変異種である。海外ではコロナウイルスの変異種がいくつか発見されており、その変異種の性質によっては既存のワクチンが効かない可能性も考えられる。そのような事態がこれから発生した時、国内グループによって機敏に対応できることは大きなメリットである。なので長い目で見ると、ワクチンの国内開発は大きな意義があると考えられる。

今年も中盤に入ったころには、日本国内でもワクチン接種が本格化して来る。その時に自分が接種するかどうかはしっかりと考えて判断しなければならない。もちろん接種しない自由もあるかもしれないが、メリットデメリットを冷静に判断すれば、僕自身は絶対に接種した方がメリットが大きいと考えている。そしてワクチン接種は自分だけの問題ではない。自分が接種することによって他人に広げる可能性を格段に下げることができるし、さらには集団免疫形成にも貢献できる。

しかし最近、一つの問題が提示されている。それはワクチンによって集団免疫を形成しても、ワクチン接種による抗体が効かない変異種が出てそれが広がる可能性があることである。その場合、集団免疫で既存種が抑え込まれた場合、逆に変異種の拡散を後押ししてしまう可能性がある。しかし先ほども言ったように、このような変異種にも対応できる体制を整えるためにも、国内ワクチン開発体制を確立することが重要になる。今年度前半は海外ワクチンに頼らざるを得ないが、将来の事を見越しても国内ワクチン開発に大きな期待を寄せている。

「~だと思います」と「~だと考えている」の違い。

ある記事で、菅氏が会見で語尾に「~だと思います」と付けまくっていることを問題視していた。それは僕も大いに共感する。僕自身はこのブログでもそうだが、極力「思います」と言う言葉を使うのを避け、そのかわりに「考えている」と言う言葉を使うようにしている。ではなぜ「思います」で締めくくることが問題なのか?

僕が一番思うのは、「思います」と言う言葉には意志が全く感じられないことである。「思ってはいるけど本当はどうかは分かりませんよ」と言う逃げの姿勢であり、責任感が全く感じられない。国のトップである首相にとって、意志をはっきりと国民に伝えることは非常に重要である。そのようなトップの強い意志を国民が感じ取ってこそ、この人に国の舵取りを任せようと支持できるのである。それに対して「考えている」と言う言葉は、「自分の頭で考えたことなので、責任も自分にある」ということであり、強い意志がこもっている。

そして二つ目は、「考えている」と言えば、「考えた結果次にどう動こうか」と言う次へのアクションが生まれる。そしてそのアクションによってさらに次のアクションが生まれる。というように、未来を積極的に切り開いて行くことができるのである。しかし「思います」と言ってしまえば思っているだけで、それで終わってしまう。自分は思っているけどどうなっても仕方がない、と言う意味合いである。

このような語尾の言葉一つとっても、その人の意志や覚悟が強く読み取ることができる。いま国民からの支持率がじり貧に陥っているのはそういうところから来ているのだと思う。もちろん原因はそれだけでない。しかしこのような無責任な言葉の語尾と不実行な姿勢は完全に一致しているのではないか。おそらく菅氏が言葉の語尾の問題に気が付いたとしても、そう簡単には修正できないと思う。それは意志が言葉について行かないからだ。そして語尾を直すと言う事は、自分の責任を増大させることでもあるからだ。果たして菅氏はそのような意志を持って変革できるであろうか?

自由は健康あってのもの。

今コロナ禍にあって、自由を取るか?コロナ対策を取るか?と言う選択の間で世界が揺れている。特に欧米では自由に対する意識が非常に強いので、外出の自由やマスクをしない自由を声高に叫んで自由を死守する動きが目立っている。日本においてはほとんどの人がマスクをしているものの、飲食などを巡って様々なところで対立が起きている。

自由と言うものは非常に重要である。自由から様々な独創的なものが生まれ、また自由に行動移動をすることにより観光や様々な活動が可能になる。しかしそれらの前提として、健康だから出来ると言う事があるのではないだろうか?健康だからこそ様々なところに移動出来るのであり、また健康だからこそ取り組める物事も少なくない。例えば病院に入院している身では、県外に旅行することもできない。

平時であれば徹底的に自由にこだわるのも良い。しかし今は完全なる非常時である。誰もがコロナに感染する危険性がある。なのでそのような可能性を極限まで下げる必要がある。そして皆がコロナ感染の危険性を避けるため、ある程度(あるいはかなりの?)自由が一時的に束縛されるのも受け入れるべきではないだろうか?コロナを全く気にせずに行動飲食をすることが自由だと思っている人も少なくない。しかしそれはあくまで平時に限ったことである。例えば自由に飲食行動をすることによって自分が、あるいは皆がコロナに感染してしまえば、それによって極度に自由が制限されるのである。なので皆が自由を享受するためにも、今は一人一人が我慢することが必要なのではないだろうか?今少し自由を制限することが、長い目で見れば大きな自由につながるのである。

自分が健康であることによって大きな自由を享受することができ、他人をコロナから守ることによって皆が自由を享受できるのである。今短期的な自由にこだわるのではなく、長期的な大きな自由を獲得するためにも、様々な物事を大局的に捉え判断する事が必要なのではないだろうか?

ワクチンで世の中は変わるのか?

僕の結論から言うと、「圧倒的に変わる」と言う事だ。しかしそれには条件がある。国民のほとんどがワクチンを接種することだ。

その根拠を述べよう。まずワクチンを接種する目的は何か?それは大きく二つある。一つ目は、個人がワクチン接種することによって免疫ができ、コロナに感染する確率を大幅に低減できることだ。そして二つ目は、多くの国民がワクチン接種することによって集団免疫を獲得することだ。そこで重要になるのが、ワクチンの有効性はどのくらいなのか?そしてどれだけ多くの国民が接種するのか?と言う事だ。ファイザー製などのコロナワクチンの有効性は極めて高い。具体的に言うと、90%超にもなる。これがどれだけ高い数字かと言う事をインフルエンザワクチンと比較すると、インフルエンザワクチンの有効性は60%~70%と言われている。なのでインフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザに感染する人は結構出て来る。しかしコロナワクチンのように90%を超えると、数値的にはほぼ感染しないと言ってよいレベルだ。しかしもちろん100%ではないので絶対感染しないとは言えないが、ワクチン接種による感染防止効果はかなり高いと考えられる。

しかし一人がワクチン接種しても、社会的効果は発揮できない。より多くの人が接種することにより集団免疫を獲得することができ、感染者数を減少することができる。その増減の分かれ目のラインが何%なのかはまだはっきりしないが、90%を超える人がワクチン接種すれば確実に集団免疫を獲得することができる。国民の内90%以上の人が、有効性90%を超えるワクチンを接種すれば、効果は絶大であることは間違いない。

しかし現在、ワクチン接種に前向きな人は6割から7割と言われている。これでは集団免疫獲得によってコロナを制圧するための効果は激減する。なのでこれからの課題は、いかに多くの人にワクチン接種をしてもらえるかにかかっている。

おそらく最大の懸念は、ワクチンの副作用であろう。しかしここでメリットとデメリットを天秤にかけなければならない。僕自身の考えではメリットの方が圧倒的に大きいと考えているので、接種可能になれば即座に接種を受けに行こうと思っている。しかしワクチンの副作用を考える時に難しいのは、普通の薬は基本的に病人に投与するのに対して、ワクチンは基本的に健康な人に打つ事である。なので仮に副作用が現れると、打たなければ健康なままだったのにとなってしまう。

ここで重要になってくるのは、マスコミの報道である。仮にワクチン後に死亡したとしたとき、それを何の検証もせずにワクチン接種後に死亡したと安易に報道してしまえば、ワクチン忌避が起き集団免疫獲得が出来なくなってしまう。膨大な数の接種が行われれば、偶然その後に(副作用ではなく)他の病気などで死ぬ人が出て来るのは当然考えられる。なのでその死者が、あるいは副作用と思われるものが出た時は、それは本当にワクチンの副作用なのかと言う事を慎重に検証しなければならない。

今年前半の政府の最大の仕事は、いかに多くの人にワクチン接種をしてもらって国民に集団免疫を付けられるかと言う事である。しかし何も積極的施策を行わなければ、前述したように7割弱に終わる可能性がある。なのでGoToなどにお金をばらまくのではなく、いかに積極的にワクチンを受けてもらえるかと言う事にお金をかけるべきである。例えば接種を受けてくれた人には集団免疫獲得に力になってくれたお礼として1万円給付するのも良いと思う。もし一早く集団免疫獲得に成功すれば、経済的にもそれ以上のメリットはあるであろう。そしてその結果、必ず世の中は大きく良くなると僕は強く思っている。

9月入学を考えるとき。

コロナ禍は悪化の一途をたどっている。その悪影響は医療・経済など様々なところに及んでいるが、1月から始まる入試シーズンへの影響も取り沙汰されている。今関東地方では、緊急事態宣言の発令が検討されていると言う。もちろんコロナに県境などはないので、今日の都心は明日の地方と言う事になり、影響は遅かれ早かれ全国に広がるものと思われる。

もし緊急事態宣言が発令されれば、入試シーズンを直撃する。入試を強行するのにも危険性があり、しかしもし入試が中止されれば次年度の入学者を迎え入れることができない。菅政権が早い段階で緊急事態宣言を出すことができていれば、入試への影響だけでなくクリスマス、そして正月を直撃せずに済んだ可能性は高い。

しかし過ぎたことは仕方がない。問題はこれからどうするかだ。入試を強行するのもしないのも問題があるのならば、残された解決策は9月入学だけだ。これからのワクチン行政が上手くいけば、夏に入試を行い9月入学すると言う事が一番の解決策になるように思える。しかも9月入学を取り入れることによって、海外と教育について足並みをそろえることができる。日本人学生の海外留学が進まないと言う問題がたまに取り沙汰されるが、これによって海外留学に対する足かせが取れることにもなる。

コロナ禍は確かに大きな災いだ。しかし災いだからと言って全てをネガティブに進めるのは間違っている。これを機に9月入学を取り入れることによって、教育環境を大きく発展させることが可能になる。転んでもタダで起きてはならないのである。いま入試だけでなく、学校教育を強行するのにも大きなリスクが伴う。そしてこのような状況では教育を満足に行うこともままならない。今の子供たちの教育環境を整えるためにも、今政府は9月入学を導入するかどうか本気で検討すべき時ではないだろうか。

人生、爆発の予感?

明けまして、おめでとうございます。

ところで、人生においては調子が良い時もあれば悪い時もある。悪い時は何をやってもうまくいかず、このような時には忍んで耐えなければならない。昭和天皇の敗戦時の玉音放送にも、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」と言う有名なお言葉がある。もちろんそのような状況が長期に渡れば心身共に持たないであろうが、長い人生の中にはおそらくほとんどに人にはそのような時期があるだろう。僕だってそのような時はあった。

そしてそのような時とは逆に、何もかもが上手くいくような絶好調な時もあるかもしれない。僕はと言うと、絶好調であっても「何もかも」とは行かないものである。しかしそのように絶好調な時には、全てを爆発させればいい。岡本太郎は「芸術は爆発だ!」と言ったが、僕は「人生は爆発だ!」と言いたい。そしてそのような自分の全てを爆発させる時が、今年であると思っている。いや、そうでなければならない。

今、コロナ禍によって多くの人が苦しい立場に置かれている。その一方、日本の株価はかなりの高水準を記録していると言う。今はコロナ禍で苦しさばかりが強調されるが、苦しい人がいる一方、絶好調な人も多くいるのだ。そしてそれは今だけの事ではなく、いつの時代も同じだ。人生においても好不調の波はあるが、それはある程度社会的なものにも左右される。今のコロナ禍で金銭的に追い詰められればそれは自分の人生の不調にもつながって来るであろうし、もしコロナに感染してしまえば健康的な不調にも追い込まれる。

逆に今まで不調だった人には、今は逆転するチャンスだ。このような時だからこそ、ゲームチェンジャーになれる。報道などを見ると、これまで豊かだったがコロナ禍で追い込まれて苦しい思いをしている人がいることを強調するが、世の中にはこれまでずっと苦しかった人もいるのである。例えばホームレスの人であったり、あるいは日本だけでなく海外にまで目を向ければ明日の命さえも確かではない人もたくさんいる。そのような苦しい人たちがコロナ禍を逆手に取って、ゲームチェンジャーになってくれることを強く望む。そして僕自身も研究においてゲームチェンジャーになるべく突き進んで行こうと思う。

今、コロナ医療従事者に最も必要なのはお金だ!

今、コロナ医療現場が疲弊している。それは病床や医療機器などのハードも、そして医者、看護師たちの人材も、完全に疲弊しきっている。特にコロナ医療従事者の精神面の疲弊は一見して見えない部分であるが故に、我々が思っているよりもはるかに疲弊している可能性がある。それを救う方法はないのか?僕はもうお金しかないと思っている。現在のコロナ医療従事者の報酬は賞与カットなどもあり、仕事の対価として全く見合わないものになっている。もしコロナ医療従事者最低賃金などと言うものがあれば、ほとんどのコロナ医療従事者はその最低賃金に届かないであろう。

何しろコロナ患者と向き合う限り、コロナ感染の危険性は常に付きまとい、言わば命の危険性までもさらしていると言える。そしてそれは医療従事者本人だけでない。家族などの同居人に対しても強い制約をもたらしている。そして理不尽な事に、コロナ医療従事者に対しての社会での風当たりも強い。全く割の合わない仕事である。

小池都知事は小中学生に対して医療従事者に感謝の手紙を書くように呼び掛けたと言う。ふざけるな!強制的に書かされた感謝の手紙を受け取って喜ぶ人がどこにいる!小池都知事の無神経ぶりは本当に理解不能である。今唯一医療従事者を精神的に救うものがあるとすれば、それはお金しかない。我々にできることはそのお金を差し出すことだ。人生はお金ではないと言う人は多いが、時にはお金以上のものがない時もあるのだ。それが今だ。ではそのお金をどう捻出するか?以前、国民一律の10万円給付金があった。それを9万円にして、残りの1万円を全てコロナ医療従事者に集めればよかったのである。そうすればコロナ医療従事者に通常の二倍三倍の給与を与えることができたはずだ。しかし既に給付金配布は終わってしまったので、来年度に国民一人当たり一万円のコロナ医療従事者給付税を集めればよい。それを全てコロナ医療従事者に給付すればよいのである。

医療従事者に対して、使命感ややりがいなどを口にする人がいる。しかしそれは医療従事者本人が言う言葉であって、我々が押し付ける言葉では全くない。もしそんなことを言う人がいれば、勘違いも甚だしい。一般国民ができることは、お金を差し出すことしかないのである。もちろん病院で医療従事者に配慮して診察を受けることは言うまでもない。菅氏、そして二階氏たちはGoToキャンペーンに熱心である。そしてそれによって生み出されるコロナ患者によって医療が崩壊しようとしている。そもそもお金の配置の仕方からして間違っていたのである。これは利権・既得権益がもたらした最も酷い悪例になってしまった。もう時はかなり過ぎてしまったが、せめてこれから出来る事だけでも医療従事者の献身に対して国民は報わなければならない。