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ITに疎い世代?

よく高齢者世代が「ITに疎い世代」と言われる。果たしてこの表現は正しいのか?僕はそれは違うと考えている。「結果的」に高齢者にITが疎い人が多いと言うだけであって、本質はそこではないと思っている。僕が考えるには、正しくは「挑戦しない人たち」、そして「リスクを取らない人たち」が結果的にITに疎い人たちになっているのだと考えている。そして自然と高齢者たちは若者に比べると余生が短いので、結果的にリスクを取らず挑戦をしないと言う事になっているのである。

なので、例え高齢者であっても挑戦的な人にはITに長けている人が多いはずだ。以前、高齢の日本人女性が独学でアプリ開発をして、アメリカ・アップル社の本社に招待されたと言う話を聞いた。高齢でありながらアプリ開発をするとは極めて挑戦的であり、かつ柔軟な思考の持ち主だ。このような老人を見ていると、例え歳を取っても柔軟である人の潜在能力は果てしないものだと強く感じる。逆に例え若くても、リスクを取らず挑戦をしない人は総じてITに疎いと言える。なのでITに長けているか?疎いか?と言う事は、年齢に関係しているのではなく、その人の挑戦力に関係して来るものだと僕は感じている。

そもそもITと言うものは、リスクの塊である。スマホをいじくっている限り、常にリスクは付きまとってくる。なのでリスクを全て避けようと思えば、スマホをはじめとするIT機器に触れる事さえできなくなる。しかし今政府が取り組もうとしているマイナポイント(これが2万ポイント(2万円)と非常に大きな額である)を受け取ろうとすれば、まずマイナンバーカードを発行して、かつキャッシュレス決済を利用しなければならない。この手続きをスムーズに行おうとすれば、IT機器を利用することは不可欠だ。そしてこのマイナポイント自体も、キャッシュレス決済を普及させようとすることが大きな目的だ。しかし世の中には、IT機器は使えないが、マイナポイントは寄こせと言う人たちがかなりたくさんいるみたいだ。このような人たちはそもそもこのマイナポイントの趣旨を勘違いしている。言い換えれば、「リスクを取らずにメリットだけ寄こせ」と言っているようなものである。もちろん現在のコロナ禍で困った人たちを助けようと言う趣旨も含まれているが、政府が狙っているのは、コロナ禍での救済とITシステムの普及を組み合わせることによって、その相乗効果を狙っているのである。

こんなことを長々と言ってきたが、そんなことを言う僕自身も5年ほど前まではIT音痴と言っていいほどのレベルであった。しかし今ではかなりITマスターになっている。そして単にスマホやパソコンを利用するだけではなく、学問的な研究に応用したり、プログラムを組んで利用したりしている。そのような僕を見れば、ITに年齢は関係ないと思ってくれるはずである。もちろん数学や理論物理のような紙と万年筆の世界は大好きである。しかしITにはITの面白さ、魅力がある。大事なのは一つの殻に閉じこもるのではなく、壁を作らずあらゆる分野に挑戦することだと僕は強く感じている。

岸田氏への評価は(僕の中では)まだ固まっていない。

10月31日、衆議院議員総選挙が行われた。さらに僕の住んでいるところでは市長選挙も行われた。現在この記事を書いている時点ではまだ集計が完全に終わっていないが、自民は一応過半数を得るだろうと言う見通しがされている。この総選挙は岸田政権発足直後と言う事もあって、まだ何も行っていない岸田氏への信任を問う選挙だとは僕は考えていない。あくまで有権者は岸田氏に対してはまだイメージでしか判断できない段階だと僕は思っている。

そういうこともあって、この選挙の結果がどうであれ、僕はまだ岸田氏を評価するには早すぎると思っている。正直言って僕自身、岸田氏の事を完全に理解していない状況だ。前菅政権が発足した直後、世間が、そしてメディアが菅氏を持ち上げて大歓迎し、支持率が爆上がりの中、僕は即座に「菅政権は必ず短命に終わる」と言う記事を書いて批判した。なぜその時はそのように菅政権発足直後に菅氏を否定的に判断したかと言うと、それは官房長官時代の菅氏の仕事内容、そして振る舞いを見続けて来たからだ。しかし岸田氏に対しては僕の不勉強もあって、岸田氏の手腕、そして人柄を判断できる状態ではない。このようにまだ肯定も否定もできない状況なので、これからの岸田氏の仕事ぶりをしっかりと見て判断していきたいと思っている。

とは言え、現時点では僕は岸田政権にはかなり期待している。わからないからこそ期待しているのである。確かに今の自民には課題は山積である。僕自身も不信感を抱いていることは沢山ある。なので岸田氏がそのような不信感を払拭できるか、そして何よりコロナ禍を上手く乗り越え、コロナ対策と経済対策と言う相反するように見える課題を克服できるかと言うことにかかっていると僕は考えている。

人間をイメージだけで判断するのは良くない。それは政治家に対しても同じだ。なのでこれから岸田氏の政治をしっかりと見ながら、はたして信用に値する政治家かどうかと言う事を判断していきたい。もちろん希望的観測としては、上手く政治的課題を乗り越え国民に信用される総理に成長してくれることを強く願っている。

解放感!

10月1日、ついに全国で緊急事態宣言、及びまん延防止措置が全面解除になった。それと同時に僕自身も、コロナワクチン(モデルナ)二回目接種からほぼ二週間たち、気分的にもかなり楽になった。もちろんワクチンを接種したからと言って完全に安全になったわけではないが、これからは感染対策をしつつも積極的に行動し様々なところに出歩こうと思っている。そこでさっそく三宮の街をぶらついてみたが、以前よりも人通りが多く、人々も活気に溢れているように感じた。ニュースでも「堂々と飲みに行ける」と言う街の声が流れてくる。何だか一気に解放感が溢れだしたようだ。

僕は一か月ほど前にブログで、「これからコロナ禍はさらに悪化するだろう」と言う見解を書いたが、それは良い方向へ裏切られることとなった。この一か月間の感染者数の減少は急激であり、専門家の見解も「このような急激な減少は予測できなかった」と言うものであるようだ。なぜここまで急激に減少したのか?それはもちろんワクチンの普及が最も大きな要因であろう。しかしここまでの急激な減少はワクチンだけでは説明できない。今でも謎な部分は多いが、単に「結果的に良くなったからそれでいいではないか」ではなく、この感染者減少の要因をしっかりと分析して解明しないと、次の波が来た時の対策に応用することができないのでそこはしっかりと明らかにしなければならない。

これからの予測を楽観的に考えるか?悲観的に考えるか?それによってこれからの状況は大きく変わる。ただ極度に悲観的にならずとも、次の波がまたやって来る事は十分に考えられる。そして今大きな解放感に溢れ人々が急激に行動し始めたことによって、半月後からまた状況が悪化しだすことは十分に考えられる。もちろんそのような予測が外れれば良いのだが・・・。

とにかく現時点での状況がいい事は明らかだ。そして僕の心もかなり明るく楽になった。とは言え、感染のリスクを下げることはこれからも重要である。なので最低限の事には気を付けつつ、積極的に前へ進んで行こうと考えている。

ワクチン・副反応で感じたこと。

僕は先日(9月19日)、新型コロナワクチン(モデルナ)二回目接種を受けて来た。一回目の接種では腕が痛くなるくらいしか副反応が出なかったが、二回目の今回は38度の熱が二日続くなど、かなりしんどい副反応を受けることになった。これまで僕は、コロナを防ぐことができるのならそれくらいの副反応は何てことないと思っており、実際現在のようにコロナが蔓延し、命や後遺症の危機を避けられるのならそれくらいの副反応は何てことないと今でも思っている。しかしコロナ禍は今年来年限りで終わるわけではなく、おそらく今後数年、もしかしたら数十年人類はコロナと共存しなければならないかもしれない。そうなると、ワクチンも今後数年にわたって半年に一度定期的に接種することになるであろう。

もしそうなると、ワクチンの副反応も半年に一度感じなければならなくなる。そうなると、今回だけの副反応だけなら「かなり疲れた」と感じて終わることだが、毎年二回となると精神的にもかなりきついことになることが予想される。そしてワクチン接種の副反応による精神的疲れが、今後のワクチンの接種率低下につながることになる。

そこで今後のワクチン開発において、副反応をいかにして軽減させるかと言う事が重要な課題になる。もちろんコロナの発症率を抑えるとか感染を防ぐと言う事は言うまでもなく重要だが、副反応の低減はそれと同じくらい重要である。しかしコロナを抑える効果は意図して設計するのに対して、副反応は意図せずに起こるものなので、これを低減させることはコロナを抑える効果以上に難しいかもしれない。しかしこれは避けて通れない道だ。

ワクチン開発は、アメリカやヨーロッパが二歩も三歩もリードしている。それに対して日本メーカーが存在感を示すことは容易ではない。もし同じだけの効果があるのなら、実績のあるファイザー・モデルナ・アストラゼネカが選ばれるのが通常である。そこから日本メーカーが追いつくためには、コロナ抑制効果だけではなく、副作用の軽減を示すことができるかがポイントになる。ワクチン接種圧倒的支持の僕ですらこのように感じるのだから、多くの人にとってはなおさら強く感じるに違いない。

火力か?原子力か?

現在、火力発電に頼るべきか?原子力発電に頼るべきか?と言う論争が様々なところでなされている。それぞれ言い分はあるが、全体を見渡すと完全に二分されているように思える。しかし大まかには、現実派には原子力派が多く、理想派には火力派(と言うよりも脱原発派)が多いように感じる。

では火力の問題点は何か?それは言うまでもなく、CO2(二酸化炭素)排出問題であり、化石燃料問題であろう。確かにそれらの問題は深刻だ。場合によっては人類の存亡にもかかわる。善か?悪か?と問われれば間違いなく悪だ。しかし火力が悪だからと言って、原子力にすればよいか、と言うとそんな単純な問題ではない。しかし世間では、「火力が悪だから、現実的に原子力を続けるべきだ」と言う意見が多々聞かれる。しかし悪の対極は善とは限らない。僕がこれまで何度も言った来たように、「善か?悪か?」ではなく、「悪か?最悪か?」と言う問題なのである。僕自身も、火力が悪だとしたら、原子力は最悪だと考えている。

なぜ原子力は最悪なのか?それはよく言われているように、事故の危険性があまりにも高く致命的だからだ。それは福島第一原発事故を見ても明らかだ。よく原発事故が起こる確率は限りなく低いと言われている。しかし、1%の確率で風邪をひくのと1%の確率でガンになるのでは深刻度は全く異なる。それと同じで、例え原発事故の起こる可能性が1%以下だとしても、その1%が限りなく致命的なのである。

そしてもう一つ重要な問題は、核廃棄物の処分問題だ。すなわち発電したのは良いが、それによって出たゴミを処分するところがない(あるいは大幅に不足している)。家庭ごみならば燃やすなり埋めるなり対処の仕方はいろいろあるが、核廃棄物はその性質上、問題なく処分することは限りなく困難だ。そしてそのつけは未来の世代に回ってくる。なので、我々の世代だけ生き延びればいいのならほとんど問題はないが、後世の人達にとっては甚だ迷惑であるだけでなく死活問題である。

結論を言うと、これから二十年、三十年乗り切るだけなら明らかに原発の方がメリットが大きい。しかし未来の世代の事を考えると、原子力と言う選択肢はないはずだ。やはりここでも、「悪か?最悪か?」と決断を迫られたときに迷わず「悪」を選択する事が求められている。

最後まで国民と向き合わない総理だった。

9月3日、菅氏が総裁選に出馬しないことを表明した。これまで散々菅氏を非難してきた僕であったが、もう辞任するのが決定したのだからこれ以上非難するのは止めようとも思ったが、菅氏の会見を見てそんな気も吹っ飛んでしまった。なぜならこのような重要な会見でさえも、二分間一方的に話して終わりと言う、なんとも自分本位な、そして国民と全く向き合う気がないものであったからだ。

菅氏が総理に就任した直後、世間やメディアは「菅氏はイチゴ農家の息子で苦労人だからいい人だ」と浮かれていたが、僕はその時から菅氏を批判し「菅政権は必ず短命に終わる」と言い切っていた。そして菅政権が終わろうとする今、確実に言えることは、「菅氏は最後まで国民と向き合うことはなかった」と言う事だ。菅政権時代の約一年間、確かにコロナ禍の下での政治と言う非常に難しい局面であったが、多くの人が「誰がなっても同じだった」と言っている事には僕は違うと言いたい。菅総理に決定的に欠けていたことは、「自分の言葉で国民に語り掛ける」と言う事だ。すなわちそれができていないと言う事は、国民と向き合っていないと言う事でもある。そして多くの人の目には、「自分の政治生命を守ることしか考えていない自分本位な総理」と映っていたはずだ。

では「誰が総理になっても同じだったか?」と言う問題であるが、もしドイツのメルケル首相のような、自分の言葉で真剣に国民に語り掛けることができる総理なら、少なくとも多くの国民は「総理の言うように、もう少し自粛して我慢しよう」と言う気になったはずだ。しかし現実は皆の知るとおりである。総理が語りかけ、より多くの人がそれに共感したのならば、コロナ禍の状況も今よりましな状況であっただろう。

そして特にコロナ禍のような難しい状況下で言えることだが、政治的判断は「善か?悪か?」ではなく「悪か?最悪か?」と言う事が問われている。そのような時、迷わず「悪」を取れるリーダーでなければならない。しかし菅氏は自分の保身に固執するあまり、「善」を取ろうとして、結局「最悪」になってしまった。ほぼ全ての判断がそうだった。そしてGoToキャンペーンを行い、五輪を行った。もちろん五輪に出ているアスリートは全く悪くない。そして僕も五輪を行ったことを全否定しようとは思わない。しかし菅氏は五輪を行うことに対して、「なぜすべきなのか?」と言う事を自分の言葉で全く語り掛けようとしなかった。「安心・安全」とオウムのように繰り返すだけで、そこには五輪によって支持率を上げようとする自分本位の考えしか見えない。そして菅氏にとっても「善」を取ったつもりが「最悪」になってしまった。

最後に次期総裁選に話を移すが、現在数人の政治家が立候補を取り沙汰されている。その中でも僕にとってうれしいのは、石破氏と河野氏が有力だと言われていることだ。石破氏には二階氏が支持して裏で操るのでは?と言う声も聞かれているが、僕はそんなことは全く心配していない。例え二階氏の支持で総理になったとしても、石破氏は操り人形になるような政治家ではないからだ。これからの政治において最も困難かつ重要になってくるのは、コロナ対策と並び中国問題だ。その点、石破氏と河野氏は断固とした態度を持って対応してくれると確信している。二人ともそのような信念のある政治家だ。小泉進次郎氏の名前も出ている。小泉氏はまだ未知数なところが多いが、それは逆に言うと未知なところに期待が持てるとも言える。岸田氏や高市氏の名前も出ている。前の首相(菅氏)があのような政治家だったこともあり、どの候補もかなり期待が持てるように感じてしまう。僕は新生自民党にかなり期待している。

コロナ禍は第五波で終わる。ただし・・・

現在、コロナ禍は第五波の真っただ中で、特に変異株「デルタ株」が猛威を振るっている。そのような中、多くの人は「第六波」「第七波」がこの後に襲ってくるのではと考えているのではないだろうか?しかし僕は大きな波は「第五波」が最終のものになるのではと考えている。その理由は後に述べるが、ただ勘違いしてはならないのは、現在(8月23日)くらいをピークに収まっていくと言っているのでは決してない。現在急増している感染者数がこれからさらに急激になり、感染者爆発を起こすのではと考えているのである。すなわち現在感染者爆発していると考えられているのは序章で、これから現在の何倍、いやもしかしたら十倍以上の感染者を出す可能性も十分にあると考えている。そしてこの第五波は、これから二か月以上続くのではと考えている。

その理由は、もちろんデルタ株の存在だ。デルタ株は従来の株に比べて感染力が増し、重症化率も高くなってきていると言われている。その一方、無症状の人達もたくさんいると言われている。それはクラスターが起きた場所でPCR検査をすると大量の感染者が明らかになることからもわかる。そしてもう一つ爆発の要因になるのが、9月に学校が新学期を迎えることだ。確かに去年の夏休み明けは爆発することはなかった。しかし今年は違う。コロナウイルスのほとんどが感染力の高いデルタ株に置き換わっているからだ。そしてデルタ株は年少者でも容易に感染することが言われており、学校と言う集団生活の中で感染が一気に広まることは十分に想定できる。なのでその対策として新学期を一か月ずらし、その一か月の間にワクチンを若者の間にも浸透させることが有効だ。もちろん全ての若者にワクチンを行き渡らせるのは困難な状況だが、しかしこの一か月の猶予は非常に大きいと考えている。もちろん可能なら一か月ロックダウンするのが最善の策だが・・・。

次にこの先、第五波が最終になる理由を述べる。それは言うまでもなくワクチンの接種の浸透だ。ワクチン接種が行き渡ると収束させられる可能性は高くなる。しかし以前は60%で集団免疫が付くと言われていたが、感染力が高いデルタ株に置き換わった現在、おそらくそのラインはさらに高くなる。70%、もしかしたら80%とかになるのではないか。しかし収束しないシナリオも当然考えられる。その最大の要因は「新たな変異株」が現れることだ。そうなるとワクチン政策も振出しに戻る可能性もある。もちろんそのような変異株が現れないことを望むが、変異は一定の確率で起こるので、感染者数が多くなるとそれに比例して変異株の出現率も高くなる。実際デルタ株が現れたのも、感染が大爆発したインドが震源と言われている。

長い目で対策を練るのも大切だが、おそらく今が一番厳しい時だと僕は考えている。なのでまずは今を生き延びる事が大事だ。そのような対策としてはいろいろ考えられる。まずはワクチンを接種するのが最強であろう。しかし今ワクチン(例えばモデルナ)を接種しても、その効果が発揮されるまでには6週間かかる(二度目までの間隔4週間+二度目接種後2週間)。しかし打たないより打つ方が圧倒的にリスクを下げられる。日本では接種するかどうかは本人の判断に任されているので、正確な情報を基に的確な判断を下してもらいたい。そしてもちろん、学校が再開されたのに登校を避けると言う判断はし辛い。なのでそこは政府が的確な判断を下すべきだ。とにかくこの第五波は非常に厳しい波になるであろう。

これから一か月半生き延びる事。

現在コロナ禍はますます酷くなってきており、現在蔓延しているデルタ株は若い人、そして基礎疾患がない人たちにも重症化のリスクが高い傾向があると言われている。なので完全な健康体(と思っている)である僕であっても、感染すれば重症化のリスクもないとは決して言い切れない。いや、僕自身は、感染してしまうと重症化してしまうと言う前提の下で日常生活を過ごしている。なので感染対策にはかなり気を使っている方だと思っている。

そしてそのような重症化を防ぐ現在出来うる最強の対策は、ワクチン接種である。なので僕も一刻も早くワクチン接種を行いたいと思っているが、接種の予約は今月の後半に入れることができた。モデルナ製のワクチンだ。今月の後半に接種するとなると、モデルナは一回目と二回目の間隔が4週間で、さらに効果が万全になるのは二回目接種から二週間後だと言われている。そう考えると、ワクチンの効果が効いて安心できるまでには一か月半かかる。この一か月半が人生の分かれ目であると考えて、何とか生き延びようと慎重に行動しようと思う。

このようなことを書くと大げさだと言う人もいるかもしれないが、僕は全くそうは思わない。以前コロナはただの風邪だと言っている人もいたが、現在の惨状を見ると90%以上の人はそうは思わないはずだ。しかし逆に言うと、10%ほどの人はただの風邪、あるいはインフルエンザと変わらないと今でも思っていると言える、ここで出した割合の数字は僕が主観的に出した数字なので正確ではないが、ただ飲食店でマスクもせずにワイワイと宴会をしている人がそれなりにいることを考えれば、あながち乖離しているとも思えない。

ここまでコロナ禍が酷くなったのは、50%以上は政府の責任であると考えている。しかし政府の失政によってコロナ禍が酷くなったからと言って、政府が助けてくれるわけでもない。救急車を呼んでも搬送してくれると言う保証がない現在においては、もう自分の体は自分で守るしかない。とは言え社会で生きている以上、100%安全な策と言うものは存在しない。なので今はできるだけ危険性を下げると言う行動を取ることが重要だ。コロナ禍が終息するまで生き延びて、その時に皆で晩酌を挙げようではないか!

対応の仕方が一年前と同じでは脳がない!

コロナ禍は一向に収まる気配がない。医療従事者はますます苦しく困難な状況に追い込まれ、医療崩壊寸前、あるいは既に医療崩壊が始まっているとも言われている。我々国民としても、これらの献身的に働く医療従事者をこれ以上苦しめないためにも、まずは自分自身が感染することを防ぎ、最低限マスクをするとか人混みを出来るだけ避けると言った行動をとらなければならない。我々に何ができる?と思うかもしれないが、私たち自身がコロナに感染することを防ぐことが医療従事者に対して協力できる最高で唯一の方法なのである。

医療従事者が苦しい立場で献身的に働いているのに対して、政治家は何をしているのか?今僕が一番問題だと考えているのが、一年前と同じ施策を今でも全く同じようにやっていることだ。具体的には緊急事態宣言、まん延防止法、そして補助金での支援の仕方など、一年前とほとんど変わらないやり方でやっている。しかし一年前と比べてコロナに対する知見は飛躍的に蓄積し分析されている。それと同時に新たな変異株が現れるなどコロナウイルス自体もどんどん変化し続けている。しかし政策だけはほとんど変わらないのである。そればかりか、オリンピックが強行され、五輪関係者をバブルで包んで外に影響を与えないと言っていたところが、今ではバブルの外(すなわち日本社会全体)の方がコロナ禍がはるかに悪化していると言う逆転現象が起きている。

コロナ禍が発生してから一年以上経つのだから、それに沿って政策も発展させていかなければならない。例えば先日僕がブログで執筆したように、一か月限定の強力なロックダウンを行うと言うのも一つの手であろう。ロックダウンを行うと人々の自由を侵害すると言う声もあるかもしれないが、ダラダラと緊急事態宣言を出し続ける方が結果としてはるかに人々の自由を奪ってしまうことになる。自由を何よりも大事にするフランスでさえも、強力なロックダウンを行っている。そもそも一年前と同じ施策が今でも通じると考える方がおかしな話であり、全く脳がないと言える。

そして最後の砦であるワクチンでさえも、ある程度普及すれば必ずコロナ禍を抑えることができるかと言えば、他国を見れば必ずしもそうとは言えない。なのでワクチンを普及させれば全てが上手くいくと言う考えも菅氏は改めなければならない。ただしワクチンは感染を防ぐと言うこと以上に重症化を防ぐと言う効果があるのは明白なので、僕はワクチン接種は非常に重要で強力な手段だと思っている。

オリンピックで活躍するアスリートは皆素晴らしいものであり、オリンピックはアスリートファーストで行わなければならない。しかしそれとオリンピックに対する政治判断は全く別物だ。菅氏はオリンピックが盛り上がれば政治での失策など皆忘れて支持率が上がると思っているようだが、僕はむしろそれとは全く逆だと思っている。オリンピックに湧いたがゆえに、菅政権の失策はむしろ浮き上がってくる。なのでオリンピックが終わると政府、そして菅氏への不満は爆発するであろう。何より菅氏は国民をバカにしている。しかしそのような菅氏を国民がバカにし見放すのも時間の問題である。

リレー日本代表、攻めて失敗した選手たちを称える!

8月6日もオリンピックでは様々なドラマがあった。まずは女子1500メートルで田中希実選手の8位入賞には非常に興奮させられた。そしてその一時間後に行われた400メートルリレーでそれは起こった。バトンミスによる失格だ。その時は何が起こったかわからず呆然としたが、バトン受け渡し区間内で上手くバトンを渡せなかったようだ。しかしその後の選手たちのインタビューでは、4人それぞれが口々に「攻めて行った結果だ」と発言された。もちろん僕のような素人にはそこまではわからない。しかし攻めて行った結果の失敗ならそれは大いに賞賛すべき失敗だと僕は思う。これこそ日本人に最も欠ける部分だと思うからだ。

日本人と言うものは何かと安全志向だ。とにかく確実に成功する保証がないと動かない。もちろん皆が皆そうとは限らないが、日本人の特性でそのようなところがあることは多くの人が認めるところだと思う。しかし僕は安全志向でなんとなく掴んだ成功より、攻めて攻めて攻めまくった結果の失敗の方がはるかに価値があると思う。もちろんオリンピックは4年に一度なので、頻繁にやり直すことはできない。泣いても笑っても4年に一度なのだから。しかし4年に一度の舞台でこのような失敗をしたことは非常に貴重である。

しかし僕は、いや、多くの日本人は同じような不満を抱えていると思う。それは今一番勢いのある日本人選手であるデーデー・ブルーノ選手の走る姿を一度も見れなかったことである。僕も正直言って、ブルーノ選手の走りを一番見たかった。まだ評価の固まっていない選手なので、どうなるかは全く分からない。そのような未知の選手だからこそ、その可能性に懸けてみたかった。しかし僕は今回出場した全ての選手に対して不満はないどころか、大いにリスペクトしている。とは言え、政府のほとんどの決定に対しては大きな不満を持っている。何より国民に響く、国民が納得できる説明が全くなされていない。現在のコロナ感染の爆発に対しても、「想定外」と他人ごとのように捉えているように感じられてならない。現在の政権は「菅“保身”政権」である。オリンピックのメダリストに上から目線で電話で話すよりも、政治家にはアスリートの人生を懸けた覚悟を見習ってほしいものである。

開催の是非が問われたオリンピックだが、アスリートたちには全く責任はない。なのでアスリートを責める人がいればそれは完全なお門違いである。アスリートにとってはこの4年に一度のオリンピックに人生がかかっている。この4年に一度のオリンピックの活躍次第で、その後の人生が左右されると言っていい。そして今回のリレーの失敗に関しても、その後の人生を大きく左右されるだろう。そしてそれが良い意味で影響されることを強く願っている。