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被害者にプライバシーは全くないのか?

先日北海道で起こった重大事件の報道において、被害者の名前や顔、そして加害者との関係性などが何の配慮もなしに流され続けていることが非常に可哀想でならない。加害者の情報を報道するのはもちろんとしても、そこまでして被害者の個人情報を流す意味が本当にあるのか?さらに読者・視聴者が知りたいと望む情報ならば無条件に何でも流しても良いのか?甚だ疑問である。

特に今回の事件には、被害者にとってセンシティブな内容が含まれる。今の報道の状況を見ていると、被害者を晒しあげているようにも感じる。もし被害者が生きていれば、ここまで個人情報が垂れ流されることはなかったであろう。しかし被害者が亡くなった場合、途端に個人情報やプライバシーの問題が完全に無視される。被害者にとっては二度殺されたも同然だ。

つまり報道機関は、報道内容に対して本当にプライバシー保護が大事と思っているのではなく、単に横並びで基準を決めているだけのように思えてならない。そしてこれから予想されるのが、被害者への中傷だ。社会ではなぜか被害者、そしてその家族が中傷を浴びることが多い。そのような悪質的な中傷を防ぐためにも被害者の個人情報を流すことには慎重にならなければならない。

我々は被害者の名前を本当に知る必要があるのか?一部には「被害者の背景を知ることが重要だ」なんて声も聞かれるが、被害者のプライバシーを侵してまでもそんなことを知る必要は全くない。被害者の詳しい個人情報を知りたい、流したいと思うのは、報道機関の、そして一般市民のエゴでしかない!今回の事件の報道を見て、改めて被害者のプライバシー保護の問題の重要性を強く感じた。

本屋に行く目的。

僕は本屋が大好きだ!なので近所の本屋で何の目的もなくぶらついたりするし、ジュンク堂のような大型書店に行くとワクワクする。本屋に行くと言うことは何か本を買うのが目的か?と思われるかもしれないが、必ずしもそうではない、むしろ本屋でぶらつくこと自体が目的と言っていい。もちろん本屋でさまざまな本を目にして気に入った本を買うこともあるが、ぶらつきながら様々な本を手に取ることが何よりもの楽しみなのだ。

大型書店といえば大阪梅田の丸善ジュンク堂の梅田茶屋町店に行くことが多いが、大型書店の一番の強みは専門書が揃っていることだと思う。そこでは僕の専門の数学・物理書だけでなく、生物学・医学書から経済学書までかなり幅広くチェックしていく。和書ならほぼ何でも揃っているので、分野を絞ってしまうのは勿体無い。

とはいえ、最近はAmazonや楽天などのネット書店で本を購入することが非常に多い。その理由はネット書店のポイントにある。特に楽天のポイントは半端ない!消費税分くらいは余裕で取り戻せる。特に高額な本になればなるほど効果が発揮される。もちろんそのようなことをすることに、実在書店には申し訳ないと言う気持ちはある。しかし僕のように毎月かなりの額を本の購入に費やす者にとってはかなり影響が大きいのである。そう考えると、本に多額のお金を費やす人ほどネット書店に流れているのではないかと思う。なので従来のような書店形態では大型書店も含めとてもではないが存続は厳しいのではないかと思う。

最近2500円以上の入場料を取る書店が誕生したと言うニュースを見たが、その額はともかくそのような試みはすごくいいと思う。ただもちろんその入場料に見合うだけのサービス・イベントを行わなければならない。本屋を「本を買う場所」から「ぶらついて楽しむ場所」にしなければならないのである。特に僕のような本をネットで買う派の人にとっては、いかにぶらついて楽しいかが重要になる。なので本当に楽しく充実して過ごせる本屋なら、入場料2500円は高いとしても数百円くらいは出しても良いと思っている。さらにそこでコーヒーが飲めるとなったら最高である。

今、書店は試行錯誤の時代だと思う。これまでのような形態を続けているだけでは間違いなく潰れてしまう。なのでいかにして付加価値を付けるか?と言うことを試しているのだと思う。ある試みは成功するが、ある試みは失敗すると言うことを繰り返している。もちろん値付けも非常に難しい。どれだけ魅力的だと思ってても、先ほどの2500円などと言う値付けをされてしまえばどうしても高すぎると思ってしまう。個人的には500円くらいならたまには行こうかなと言う気分になる。そこで本を読みながらコーヒーが飲めるのなら、400円のコーヒー二杯くらいというのもありだと思う。とにかくもう本を売るだけの書店の時代は確実に終焉を迎えているのだと強く感じる。

AIを利用するスキルを身につけることは、本当に価値があるのか?

現在AIブームで多くの人がAIスキルを身につけようとし、ビジネスにおいてもAIを使いこなすことが成功の鍵とも言われている。ではそのような現在の常識がこれからもずっと続くのか?僕はNoと答えたい。

ではなぜAIスキルがこれほどまで注目を浴びているのか?それは現在がAIの発展の初期段階にあるからだと僕は考えている。AIはこれから飛躍的に発展していくだろう。そして数年後か十数年後には、自立的にあらゆることを行なってくれる汎用AIができることは容易に想像できる。そうなるとAIを利用・駆使するスキルなど何の意味も持たなくなる。すなわちAIスキルを身につけるというのは、一過性のブームに過ぎないと僕は考えている。

ではそのような時代にはどのようなことに価値を見出されるのか?それは一周回って「自分の頭で徹底的に考える」ということだと僕は考えている。AIがあらゆることを生み出す時代だからこそ、”人間”が考えるということに価値が出てくるのである。しかしそのような時代になると、人間は二極化してくると僕は考えている。すなわち「考える人」と「頭を使わない人」だ。確かに日常的なことを徹底的にサポートしてくれるAIは頼もしい。しかし人間の考える機会を奪ってしまうAIは人類を絶滅へと向かわせていくであろう。すなわち人類が存続していくためにも、人間は思考し続けていかなければならないのである。

しかし現在の風潮を見ると、全くそのような意見が出る様子がない。その理由は、AIが大きなお金を生み出すからである。それがAIの本質に対する目を曇らせている。そして皆現在の状況しか見ていない。もう少し未来まで見通すことをしなければ、未来に取るべき道を誤ってしまう。AIブームに踊らされるだけでなく、もう少し理詰めで未来の様子を予測していかなければならないのではないだろうか?

袴田事件の判決で思うこと。

先日、袴田事件で死刑囚となっていた袴田巌さんの再審判決で無罪が言い渡され、検察は控訴しないことを表明した。これによって袴田巌さんの無罪判決は確定することとなった。

この事件については多くの人が意見を述べており、特に検察の証拠捏造には厳しい目を向けられているが、僕がこの事件に関連して一番核心的なのは、「犯罪に遭うことはもちろん恐ろしいことだが、何もしていない人が突然国家権力によって拘束され、時には死刑に処されることは、犯罪に遭うよりもはるかに恐ろしいことだ」と言うことだと考えている。特に今回の判決では袴田さんの無罪を言い渡すと同時に、検察の証拠捏造も認定されている。そして今回検察が控訴断念したと言うことは、検察の証拠捏造も確定したと言うことでもある。そして今回の検察のコメントでは、袴田さんの冤罪については一切謝罪されず、「袴田さんを長期間不安定な立場においてしまった」と言うことを述べている。

いやいや、そうではないだろうと多くの人は思うだろう。袴田さんの冤罪が確定したと言うことは、検察の訴えが間違っていたと言うこと。さらに厳しい言葉で言うならば、これは検察による犯罪であると言うことが認定されたと言うことでもある。ならばこれから検察の行なってきた犯罪(捏造)をはっきりと追及していかなければならない。そしてこれらの捏造に関わった者の(もちろん関係者はすでに亡くなっている可能性が高いが)責任も問わなければならない。

これまでこの事件は「袴田事件」と言われていたが、袴田さんの冤罪が確定した今では「袴田さん監禁事件」と呼ぶべきであろう。検察の証拠捏造によって袴田巌さんを数十年も拘置所の中に監禁したのである。そしてそれだけではない。袴田さんは常に死刑執行の恐怖に怯え、そして姉のひで子さんをはじめとする家族も「殺人犯の家族」という目で見られてきた。検察の誤った追及によって多くの人が苦しめられたのである。

これから検察の捏造に対してどのような追及が行われるのか?それともこれで全てが終わりとなるのか?僕には全くわからないが、証拠捏造までして一人の人間を死の直前まで追い込んだ事実は、非常に大きな罪だと僕は考えている。そして何も犯罪を犯していない人間が突然国家権力に捕らえられるということがこれから二度と起こらないように、検察に対しても厳格に追及できる仕組みを構築すべきではないだろうか。

スマホで大人を超える中高生。

昨日とあるニュースで、現在の中高生のほとんどはスマホを日常的に使いこなしているけど、パソコンを日常的に使っているのが30%ほどで、パソコンを使いこなせないと言う記事が載っていた。

しかし現在のスマホはかなりの事ができる。Microsoftのofficeくらいはスマホでも簡単に使いこなせるし、大規模システム開発をするのでもなければプログラミングもできる。動画編集も難なくこなせる。

もちろん完成度で言えばまだパソコンに分があるかもしれないが、これからAIが日常的に使われるようになると、それこそスマホでAIを利用して大規模システム開発だってできるようになるだろう。

「パソコンを使えないと何もできない」とは過去の大人たちの勝手な思い込みであって、そんな事を言ってるうちに若者はスマホで大人を超えるようなシステムを通勤の満員電車の中で作るだろう。

いや、満員電車は時代遅れか、、、

とにかく大人たちは学生がスマホしか使えないとネガティヴに捉えるが、スマホで何でもやってしまうとポジティブに捉えられないものか?

裁判判決をどう捉えるか?

裁判で判決が確定されれば、その判決の内容が社会的に認定される。もし被告が犯罪を犯したと判決で確定されれば、”社会的”にはその人は100%犯罪者だと認定される。しかし確定判決の内容が100%正しいかどうかと言われれば、それはまた別問題だ。こう言うと司法を軽んじていると言う人もいるだろうが、それが現実である。実際これまで数多くの冤罪事件が認定されてきた。そして冤罪が認められなかった人もそれ以上にたくさんいることが容易に推測される。おそらく確定判決は98%正しいのであろうが、2%(実際は何%かはわからないが)は事実と異なると考えられる。

特に殺人事件という、最も間違ってはならない裁判でさえ冤罪が起きている。袴田事件、そして再審が進められている滋賀県の看護助手の事件などがそうだ。そして殺人事件ではないが、冤罪かどうかが争われている大川原化工機事件でも被告が勾留中に亡くなるという痛ましい事件が起きている。これらの裁判に共通するのは警察・検察の自白強要、都合の悪い資料の隠蔽、都合の良い解釈である。そしてさらに冤罪の可能性が高くなり冤罪が争点になると、検察側の見るもお粗末な自己弁護が悪目立ちしている。それがさらに検察側の意図的に作り出された冤罪だという心象を多くの人に与えることになる。

なぜこのようなことを書いたかといえば、現在争われている松本人志さんに対する争いが、どちらに転ぶかわからない状況になっているのを目にしているからだ。もちろん僕は完全な第三者なので真相など全くわからない。しかしこの裁判は、証拠をどれだけ出してそれがどれだけ正しいと思われるかにかかっている。なのでもし松本さんの主張が正しくても、それを証明できるだけの証拠を持ち合わせていなければ松本さんの敗訴が濃い。しかしこれの言うところは、松本さんが証拠を持ち合わせていなかったと言うことであり、完全に松本さん側の言い分が嘘だと言うことではない。もちろん嘘かもしれないし本当かもしれない。それは我々一般市民には全くわからない。

ここで松本人志さんの裁判に対してどう思うとか、どちらが正しいだろうと言うことは僕は一切言わない。しかし裁判の判決はかなりの高確率で正しいと思われるが、それが本当に100%事実かどうかと言うことはまた別問題だと言うことである。特に松本さんのケースでは、現時点では50:50と言うどちらに転んでもおかしくない様相である。しかし「半分本当で半分嘘」なことでは全くなくて、「100%本当か、100%嘘」のどちらかなのである。なのでこのような50:50の状況でどちらかが1プラスされて51:49になったから51の方が正しいとなっても、社会的にはそう認定されたとはなるがそれが本当に正しいかどうかはまた別問題である。なのでこのような裁判で結論が出たからといって、第三者である僕たちがそう決め込むのはちょっと危ないのではないかと僕は考えている。

今、石破茂氏に流れが向いてきたのか?

自民党派閥存続問題で、安倍派・岸田派・二階派の解散が確実になった。おそらく派閥解消によって、これからの自民党政治は大きく変わるだろう。そしてそれと同時にこれから大きく注目される政治家は、石破茂氏に違いない。僕が石破氏の支持者だと言う贔屓目を差し引いても、派閥解消後の自民党を率いるのは石破氏しかいないと思っている。

ところがメディアの論調を見ていると、派閥解消で注目を浴びているのは菅氏であるようだ。確かに菅氏は首相経験もあり、かつ無派閥のボスだ。そこに目が行くのも無理はない。しかし菅氏はもう終わった政治家だと僕は見ている。明らかに総理の器ではなかった。それに対して、政策通で独自の信念を持ち、かつクリーンである石破氏は確実に総理の器を持っている。ところが石破氏は非常に不器用で政治的人間関係を作るのが苦手で、それゆえに派閥形成に失敗した。なので国民的人気があるにも関わらず、自民党内では石破氏は不人気であるようだ。おそらく自民党議員たちも石破氏の下では自らの地位を固めることはできないと考え寄りつかないのだろう。

しかし時代は今変わろうとしている。自民党総無派閥時代に突入しつつある。そうなると党内でも権力闘争より政策実行力のある政治家が注目を浴びる。こうなると石破氏の出番である。これまで安倍派や岸田派に所属していた政治家も、石破氏に急速に近づいていくに違いない。そして派閥無き自民党で影の最大派閥が石破グループになる可能性も否定できない。そうなれば、石破氏の総理総裁の可能性も俄然高まる。

とは言え、石破氏といえども万能ではない。先ほど述べたように不器用なところは皆の知るところであるし、しかし言い方を変えれば愚直で生真面目と言える。しかし僕が思う最大の強みは、防衛政策にとことん通じているところであると思っている。台湾有事など中国に対する防衛問題が重要になった今、防衛政策を的確に実行できることは最も重要である。今アメリカではトランプ氏がまた大統領に返り咲くのではないかともっぱらの話題である。そうなるとトランプ氏と懇意の安倍氏がいないのは日本にとって痛恨の極みである。そして石破氏は不器用である。外交は個人的な人間関係も非常に重要であるから石破氏には少し不安であるが、そこは具体的な政策実行能力で乗り切って、アメリカとの強い関係と東アジアの防衛危機を乗り切ってくれるものだと信じている。果たして石破総理総裁は誕生するのであろうか?

AI研究者は、Dr.ゲロになるのか?AI制御の重要性。

今、AI開発が劇的に進歩している。多くの人が知っているように、OpenAI社のChatGPTはとんでもない性能を発揮している。これまでは2040年頃にAIが人間の知能を超える「シンギュラリティ」がやってくると危惧されていたが、しかしそれが今年もうすでにシンギュラリティに片足を突っ込んでいることが明らかになった。では具体的に、ChatGPTの何に脅威を感じているのか?例えばChatGPTに相談をして答えてもらったり文章を生成してもらったりしていることについてははっきり言ってそんなに驚異ではない。一番の脅威は「プログラミングの自動生成」である。プログラミング自動生成のループに入ればAIは自分で自分を脅威的な速さで発展させることができる。そのようなループに入れば、人間を超えるのに1秒もかからないであろう。

今、AI研究者たちの間で真剣に議論されているのが、AIによる人類滅亡である。現在のAIの発展を見ると、はっきり言って核兵器よりAIの方が圧倒的に脅威的になりつつあることがわかる。楽観論者たちはAIが人間の代わりに働いてくれるなどと呑気なことを言っているが、AIと人間が一度敵対的な関係になれば、AIが人間を滅ぼすことなど朝飯前だ。AIにとって人間などどうでも良い存在になるのだ。多くの研究者は、一度AIに自我が芽生えて人間を滅ぼそうと思えば、数秒で人類は滅び、人類は自分たちが滅ぼされたことにさえ気づかないだろうと言っている。

とはいえ科学が後戻りできないように、AI開発と言うパンドラの箱を開いた人類も後戻りはできない。では人類に生き残る方法はないのか?その可能性としては「AI制御」を徹底することがあると僕は考えている。つまりAIを野放しにするのではなく、AIを確実に人間の制御下に置くと言うことだ。しかしこのような概念はまだ誰も述べてはいない。少なくとも僕は一度も聞いたことがない。AI開発は性能を上げることばかりに囚われて、AI制御の研究などまだ誰も取り組んでいないのだ。しかしAI制御のないAI社会など、セキュリティ対策を全くしていないネット社会と同然だ。もちろん、AI制御をしたからといって、必ずしも人類滅亡を避けられるとは限らない。しかしAI制御に人類滅亡回避の可能性を賭けてみるべきではないだろうか?

AI制御は今人類最大の課題と言える。国家・社会はAI開発、AI利用一本槍だが、今世界が総力を上げてAI制御研究に取り組むべきではないだろうか?僕もその一端を担ってみようかと真剣に考えている。

漫画「巨人の星」と、元マラソン日本代表・原裕美子さんの「摂食障害・窃盗症」を考える。

ネット記事で、元マラソン日本代表の原裕美子さんの記事を読んだ。知っている人も多いと思うが、原さんは以前、窃盗を繰り返し何度も逮捕されたことでも有名だ。このことだけを見れば「なぜそんなことをしたのか?」と疑問に思うが、実はそれまでの経緯をたどればマラソンに人生を賭けてきたことが大いに関係していることがわかるのである。

原さんは実業団でマラソンに励み、日本代表にまでなった凄い選手であるが、その一方、チームの監督から極度のダイエットを強要され、1日に何度も体重計に乗せられ少しでも体重が増えていると叱責されるという指導を受けていたという。これだけでも極度のストレスを受けるものだが、そこで原さんがそのストレスから逃れるすべを見出したのが「食べ吐き」と言う手法であった。これは文字通り「食べては吐く」を繰り返すものだ。これなら好きなものを思う存分食べることができ、そして吐き出せば体重も増えない。しかしこれは側からみればとても尋常ではない。そしてこのような方向に進ませる指導はとてもじゃないがまともな指導とは言えない。さらに原さんは合宿中に財布を取り上げられていたという。もうここまで来ればこれは「指導者の犯罪」と言っていいレベルである。そのような状況の中、耐えられなくなった原さんは食べ物を窃盗すると言う方向に走ったという。

このような旧態依然の指導を見た時、僕は漫画「巨人の星」を思い出した。巨人の星の内容が原さんの指導と同じであるわけではないが、スパルタで全く理にかなっていない指導者よがりの指導方法は原さんに対する指導と通じるものがあるのではないか。原さんを摂食障害という病気に追いやり、犯罪者に仕立て上げるような指導は、はっきり言って指導ではなくほぼ犯罪だ。さらにそんな指導で強くなれるはずはなく、仮に良い成績を一時的に挙げたとしてもそんなものは見せかけでしかない。それは巨人の星に感化された昔のプロ野球が証明していると僕は思っている。

数十年前、日本のプロスポーツといえばプロ野球一択であり、プロ野球、特に巨人が大ブームであった。王貞治然り、長嶋茂雄然り、彼らは間違いなく日本のトップ選手であった。しかしアメリカと戦ったらどうか?昔は毎年のように日米野球というものが恒例であったが、日本はメジャーの二流選手に全く歯が立たない。そう、彼らは日本の中でこそ超一流であったが、メジャーの世界では眼中にもなかったのだ。おそらく「世界の王」も、もしメジャー挑戦をしていたら三流選手で終わっていたであろうと思う。そしてその元凶が漫画「巨人の星」なのである。

話は原さんに戻るが、そこにあるのは「勝てば監督の功績、負ければ選手の責任」ということであろう。そのような考えのもとでは、選手は単なる使い捨ての道具でしかないのであろう。そしてそのような歪んだ世界を確立させたのが、漫画「巨人の星」であったと僕は考えている。そしてそのような価値観を打破するには野茂英雄の登場まで待たねばならなかった。そう、野茂英雄は日本のスポーツ観を根底から覆したのである。その証拠に、野茂氏がメジャーで成功してから、メジャーで活躍する日本人選手が次々と誕生した。野茂氏以前の「日本人がメジャーで活躍できるはずがない」と言う当時の常識から考えると隔世の差がある。

今、日本のスポーツは非常に良い方向へ進んでいると僕は感じている。理にかなった指導をし、科学の力を借りてより負担の少ない方法で最大限の力を発揮できるようになってきている。そのような中、大谷翔平のような怪物も日本から誕生した。そう、もう巨人の星の時代は完全に葬り去られたのである。

コロナ、5類への移行と対策緩和について。

先日、岸田総理はコロナの5類への移行を表明した。確かに現在のコロナの重症化率や死亡率の低下、感染者数の推移を見ればいつかは5類への移行は避けられないだろう。しかし今回の5類移行にはいくつかの問題点も存在する。

一つ目は、僕が何度も言及している「コロナ後遺症問題」だ。重症化率は低くなったとは言え、コロナ感染後の後遺症発生率はこの種の疾病としてはかなりの高確率だ。欧米では後遺症の発生率は8人に一人と言われ、軽い倦怠感レベルでは約半数の人が抱えると言われている。これは単純に一千万人が感染すれば125万人が後遺症に悩まされる計算になる。もちろん後遺症と一口で言っても重症なものから軽いものまで様々だが、これは間違いなく大きな社会問題になる。そして現在のところ、後遺症の決定的な治療法は見つかっていない。なので後遺症の有効な治療法、あるいは薬の開発は最重要課題と言える。

そしてもう一つの懸念は、今後現れる変異株の病原性が低いとは限らないと言うことだ。現在中国では爆発的な感染が広がっている。そして感染者の多さから考えて、いくつかの変異株が発生する可能性が非常に高い。これまでは病原性の高いデルタ株から低いオミクロン株へと病原性が低下する傾向にあった。しかし確率的な問題として、これからも病原性が低下するとは限らない。可能性としては致死率の高い変異株が現れても何もおかしくないのだ。もちろんその可能性はどちらかというと低いと考えられる。しかしそのようなことも想定して政策を進めることが重要なのではないか。

僕の個人的な意見として、現在では確かに2類分類は厳しすぎると考えている。しかしだからと言って、上記したように、後遺症問題、変異株問題を考えると、季節性インフルエンザと同じ分類にするのも違うように思う。もし5類に分類した後に病原性の高い変異株が流入したときはどのような対応をとるのか?そのような想定が一切見えてこない。僕は今後のコロナ政策には柔軟性が一番大事だと考えている。流行が激しい時や病原性の高い変異株が入っていきた時には対策を強める。そして流行が下火になれば緩和する。そのような対応を可能にするためにも、2類や5類とかではなくコロナ独自の「新型コロナ類」を設けるべきだと考えている。そして類別に縛られることなく対策を柔軟に進めるべきだ。

とにかく重症化率が一時的に低下しただけでは、季節性インフルエンザと同じだとは言い難い。そもそも新型コロナは季節性ではなく一年に何度も流行を繰り返す。なので決定的な治療薬や変異株によらないワクチンが開発されるまでは予断を許さないと僕は考えている。