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ITにできないことは何か?

ここ数年、ITによって何でもできると言う風潮が強くなっていた。ITによって飛躍的に便利になり、極端な話ではAIが全ての仕事を請け負って人間は何もしなくていいと言う話までされることもあった。しかし今回のコロナ禍によって、ITの限界が露呈したように僕は感じる。

ITが発達しようとしまいと、人と人が対面すると言う行為の重要性は全く変わらないし、確かにITによって人と人が連絡する手段は飛躍的に向上したが、人と人の触れ合いそのものはほとんどITとは別の話である。今あらゆる物事をITによって解決しようと言う動きがあるが、それと同時にITではできない事、つまり人間の営みの本質的なところの重要性が認識されつつあるのではないかと僕は強く感じている。

例えば、好きな女の子と会いたいと思ってLINEで連絡を取ることはできるが、ITが男女の深い付き合いを結び付けてくれるわけではない。やはり最終的には人間の、男と女の感情と古典的行動によるものである。そしてビジネスにおいても業種にもよるが、全てがITで完結するわけではない。

現在ITと言うものが非常に重要視され、ビジネスにおいてもその中心に置かれることも多いが、これから数十年スパンで見るとITの価値と言うものは下がっていくのではないかと僕は思っている。それに対して、人と人が直接会うと言う古典的な行為の持つ価値が非常に高くなると僕は考えている。確かに人と人が会う前段階、つまり連絡を取り合うとか大まかな相性を占うと言うことはITでいくらでもできる。しかし最終的な決断は人間の古典的な判断にかかっている。

これから先、ITにできることはどんどんITに任されていくとは思うが、それと同時にITにできない事の価値はどんどん高まっていくはずだ。そしてその結果残ったものが真に価値あるものであると僕は考えている。

蓮舫氏「学校を辞めたら高卒」発言。

コロナ禍と言うものは、人間の本性をむき出させるものなのだろうか?今回の蓮舫氏の「学校を辞めたら高卒」発言は、蓮舫氏の、あるいは人間の奥底に潜む本性を現したものだと言える。しかしこの発言に関する問題は、蓮舫氏だけではなく、日本の社会に潜む問題だと僕は考えている。

今、学生が非常に苦しい立場に立たされている。学校には行けない上に、学費だけがかさんでいく。親も苦しいうえに、学生自身もバイトによる収入を絶たされている。学問を学びたい学生がその道を断たされるのは、学生本人にとっても国家にとっても大問題である。そいう意味では、蓮舫氏の発言も分からないこともない。

しかし蓮舫氏の発言は、社会に潜む問題意識を投射したものでもある。それは「学歴至上主義」と言う社会問題である。僕はこれまで、高卒であってもビジネスの世界で活躍する人物を見て来た。そして大リーガー・ダルビッシュ選手は自ら、「自分は実質中卒である」と語っている。しかしダルビッシュ選手は世界トップレベルの世界で大活躍している。このような人物たちを見ていると、決して人間は学歴ではないと強く感じる。逆に学歴だけあっても何の才能も見いだせない人も多い。

しかし現実問題として、学歴がある人が優遇される現実もある。もちろん、大学に行って知識や技術を学び、それを評価されているのならばまだわかる。しかし学歴だけを見て才能を見なければ本末転倒である。

僕自身は人間性に学歴は関係ないと思っている。僕は人から聞かれれば学歴を答えることもあるが、自らは自分の学歴を言うことはほとんどない。大学時代には、学歴にこだわる無能な人間も何人か見て来た。人間性や才能に学歴は関係ない。しかし才能や意欲がある人間が大学で学び才能を高めることを阻んではいけない。今回の蓮舫氏の発言をきっかけに、今の表面だけを見る学歴至上主義が少しでも変わればと強く思っている。

大事なものを、一つ決める。

今コロナ禍によって、あらゆるものが壊滅的な被害を被っている。このような中、明らかに自分に関わる全てのものを守ることは不可能だ。平時なら大切な全てのものを手に入れて守ろうと言うことが可能かもしれないが、今はその中から大事なものは何かと優先順位を付けて、本当に大事なものを守ることに全力を挙げなければならない。

自分にとって大事なものは何か?それはお金か?家族か?仕事か?それとも健康か?それは人それぞれであろう。もちろんどれも本当に大事なものばかりである。しかし今は緊急時である。どれかを完全に捨てると言うことはできないが、大切なものから順に守って行かなければならない。そのような時に、自分にとって絶対的に大事なものを一つ決めておくことは非常に重要である。一つに決めたからと言って他のものを捨てると言う訳ではなく、一つを徹底的に守ることによって他のものを守ることにつながるのである。

例えばお金が一番重要だと考えるのならば、お金を死守することによって家族を養うことができるし、そしてそのお金で病気を治療することができる。お金のことを話すことを毛嫌いする人が多いが、お金は大切なもの、大切な人を守る重要なツールなのである。

とは言え、政府の政策において一つだけを特別扱いするわけにはいかない。しかし繰り返すが今は緊急時である。政府の政策にとって最も大事な事は何なのか?それは言うまでもなく国民の命である。しかし国民の命を守るためにも経済は重要である。他国では経済が成り立っていないが故に国民の命を守れていない国がある。日本の治安が世界トップレベルであるのも、高度な経済レベルであるが故ともいえる。しかし現在のアベノミクスにこだわる経済対策には賛同できない。今は国民の命を守るための経済が必用である。アベノミクスから命を守る経済へ転換できるか?今、安倍首相はその手腕を試されている。

本は二度読む。

小説なら一度読んで満足すればよいが、科学書・専門書は基本的に繰り返し読むことを前提に作られている。もちろん読み方は人それぞれ様々だが、例えば僕ならば、一度目は風を切るように猛スピードで読み、二度目はじっくりと手を動かして計算しながら読むことにしている。一度目に風を切るように猛スピードで読むのには理由がある。まずは細部にこだわらず、全体像を掴むためだ。計算もできるだけ頭の中だけで完結させる。これが意外とじっくり読むよりも理解が深まるものである。

現在のコロナ禍の中で家で過ごす人が多いので、今本が非常に売れていると聞く。何冊も手にして数千円分まとめ買いをする人も多いらしい。本はただではないので買うのにはもちろんお金がいるが、そうは言ってもその他の出費に比べたらそんなに高くはない方だと思う。少なくともほとんどの人は、毎月の本代よりもスマホ通信料の方が高いのではないかと思う。もちろん僕のようなホンゲル係数が異常に高い人間もいるが、普通はそんなに本代に出費する必要はない。さらに図書館を利用すると言う手もある。

今、暇で時間をもてあそび、パチンコに入り浸っている人が問題になっている。パチンコ屋はまさしく三密の代表でもあり、自分からコロナにかかりに行くようなものである。そして得る物はほとんどない。たまに運よくお金が入ることがあるようだが、僕には全く理解のできない世界である。家で本を読んだ方がよっぽど得る物はあるのにと、パチンコに行く人たちが可哀そうに思う。おそらく本と言うものの意義が理解できないのだろう。

今のコロナ禍は、読書をするチャンスだ!確かにコロナ禍によって仕事も減り、収入も激減し、さらにコロナ感染の恐怖から憂鬱になるであろう。このように全てがネガティブな方向へ進んで行くように思えるかもしれないが、だからこそこのような中でポジティブな事を考えることが重要なのではないだろうか。そして本はそのようにポジティブになるための大きな手段になる。災い転じて福と為す、そのように簡単にはいかないかもしれないが、しかし何もしないでパチンコなどに行ってしまえば災いがさらに不幸を呼ぶことになる。今このような時だからこそ本を読んで地力をつけ、コロナ禍が去った後に攻勢をかける準備をすべきではないだろうか。

危機と平時。

現在は明らかに危機、つまり緊急時である。世界がコロナ禍に見舞われ、それぞれの国の首長はその対応に追われ、またその対応によって株を上げる首長も出てきている。危機時に強かった政治家と言えば、僕の印象では真っ先に元ロシア大統領・エリツィン氏が挙げられる。彼は危機によって持ち上げられ、平時になるにつれ見放されていった。逆に平時には堅実な政治を遂行できるが、緊急時には即座に対応できない首長もいる。なかなか平時にも危機時にも強いトップと言うものはいないのかもしれない。

では安倍首相はどうなのか?彼はこれまで平時の政策によって株を上げてきた首相だと言える。リーマンショック(麻生政権)の後のアベノミクス、東日本大震災(民主党政権)後の復興と、危機時にはそれぞれ他政権だ。しかし現在、コロナ禍と言う想定外の危機が日本、そして世界を襲っている。その時に安倍首相は何を為したか?他国の首相・大統領が決定的な決断を下す中、安倍首相はズルズルと流され、仕方なしに苦渋の決断を下したように思える。そこには国民を守ると言う意識は見えてこず、軽症で済めばラッキーと言うような保身に走ったようにしか見えない。すなわち安倍首相は危機に非常に弱い首相だと言わざるを得ない。

今の安倍首相は、首相の在任記録の更新に気が行っているのか?それともこのコロナ危機時においても憲法改正を第一に考えているのか?少なくとも国民の命の事を考えているようには思えない。経済対策を否定するつもりはないが、国民の命よりも経済、つまりアベノミクスの方が大事なようである。

今は政治においてもトリアージが大事だと僕は考えている。全ての事、つまり経済と国民を守ること全てを最高の状態に維持することは不可能だ。だからこそ全ての事柄において優先順位をはっきりと付け、その優先順位に沿って物事を進めるべきである。今の安倍首相はその優先順位が間違っているか?それともそもそも優先順位を付けていないのか?どちらにしても正しい優先順位に沿って決断を下しているようには思えない。今、コロナ危機脱出に向けて明確な指示を出せるトップが必要なのではないだろうか?少なくとも現在の安倍首相にはそれができるとは思えない。

人脈と金脈。

人脈と金脈と言えば、立花隆氏の「田中角栄研究―その金脈と人脈」が有名だが、この記事は僕が生まれる前に書かれたもので、僕自身もこの記事を直接読んだことはない。しかし田中角栄氏の失脚へとつながった非常に有名な記事なので、このタイトルは幾度となく聞くことがあった。

人脈と金脈とは、非常に的を得たタイトルだと僕は強く感じる。なぜなら、政界で権力を持つためには、人脈と金脈を手に入れること、これに尽きると思うからだ。しかしこれは何も政治家だけの話ではない。ビジネスであっても人脈と金脈を掌握することは非常に重要だ。なので組織で人の上に立ちトップとして君臨しようと思う者は、この「人脈」と「金脈」という二つの言葉を銘じておくべきではなかろうか?もちろん、何事においても実力を付けることが非常に重要だ。しかし人脈と金脈を掴むことは大きな実力ではないかと思う。

ただ、人脈と金脈を掴むことは、その向き不向きがあるのではと感じる。僕には圧倒的に不向きな事である。なのでもう数学と物理の研究をするしかないが、それはそれで良いと思っている。なので、田中角栄氏のように人脈と金脈を掌握する力世界の頂点に君臨する者に対しては、その人物とその世界に対して非常に興味がある。田中角栄氏とは何者だったのか?その片鱗だけでも知りたいものである。

では、それを知るためにはどうすれば良いか?もちろん直接田中氏に接すればよいのだが、僕はそのような立場ではないし、そもそも田中氏はすでに故人である。知ってどうするんだと言う話だが、それは僕が全く持ち合わせていないものに対する一種の憧れだ。僕とは全く異世界に存在する田中角栄氏、そしてもしかしたら大企業を束ねて巨額投資する孫正義氏なども人脈と金脈を掌握する達人なのかもしれない。そのような世界を知ることには非常に興味があるが、僕はせいぜい立花隆氏の著書を読んで知るくらいしかできない。そしてコツコツと専門書と論文を読んで行こうと思う。

安倍一強を作った日本国民。

現在、コロナ対策で安倍首相の政策が物議をかもしている。マスク問題、給付金問題はもとより、そもそも感染防止に対して有効な策が取れているのか、非常に疑問である。マスク配布に関しては一定の効果はあるだろうが、首相に求められるのは効果を最大化することである。それには費用対効果を最大化することも含まれる。財源は大きいとは言え有限である。なので費用対効果は非常に重要な問題である。

しかし一番重要なのは、言うまでもなく感染拡大防止、そして犠牲者を最小に抑えることである。しかし首相はコロナ問題を感染防止問題ではなく経済問題と捉えているように思える。言うまでもなく一番重要なのは国民の命を守ること。それを確保したうえで経済問題を打ち出していかなければならない。もちろん、お金がないと生きていけないと言う声も大きい。そして命の問題と経済問題は強く結びついている。なので有効な経済対策を打ち出すことは、国民の命を救うことにもつながる。しかしそれが本当にできているかと言えば疑問である。

コロナ問題が安倍首相就任初期に起きていたのならば、首相はもっと積極的に対策を打ち出していたのかもしれない。しかし今の安倍首相を見ていると、全てが守りに入っているように思える。安倍首相の政策の多くが保身なのである。ここ数年、政治の世界は明らかに安倍一強である。さらに不幸な事に、アメリカ大統領はトランプ氏である。僕も含めて多くの人は安倍一強を批判しているが、そのような状況を作ったのは紛れもなく日本国民なのである。しかし全てを国民のせいにする訳にもいかない。貧弱で安倍首相以上に保身的で目先の利益しか考えていない野党勢力の責任は大きい。安倍自民を批判したくても、その受け皿が存在しないのである。このように考えると、政治家だけの問題と言うより日本社会全体の問題のように思える。つまり政治家を含めた国民すべての問題なのである。ではそのような国民はどのように生まれたのか?それは一にも二にも教育である。個性を潰し、平均的で無難な人間の養成に重きを置いた教育はもう限界なのではないだろうか。

とは言え、最近の教育は僕らが受けて来た30年程前の教育よりかははるかに良いものになっている。しかし意欲のあるものが若者も中年も少ないように思える。政治家が保身的なら、国民も保身的なのである。今の教育が花開く20年後くらいに非常に期待したいが、それまで日本が、そして世界が持つか、非常に心配である。

コロナ禍の中で。

テレビを見ていると、コロナ関連のニュースばかりが流れている。報道ステーションの富川悠太アナもコロナに感染したと言うニュースが流れている。日本に住む限り、コロナは他人ごとではなくすぐ隣の話、あるいは既に当事者になっているかもしれない。若者がコロナで死ぬ可能性は非常に低いが、自分が感染した場合、それを周りの高齢者にうつしてしまうと取り返しのつかないことになる。僕はそのような事を防ぐことに慎重になっている。

現在はコロナ禍で日本全体が鬱々しているが、何も鬱々しなければならなくて鬱々しているのではない。皆外出して発散したいのだと思う。それは僕だって同じである。しかし現在はできるだけ家にこもり、感染を防ぐことに全力を挙げている。そうなると、いかにしてそのような生活の中でポジティブに意識を向け生活するかと言うことが大事になる。

コロナ禍でネガティブになっている中でも、それを逆手に取ってポジティブに向けなければならない。僕はそのような試みの一つとして禁酒を決行している。買い物にもほとんど行かないので、もちろんビールも買うこともできない。基本的に家にはお酒を置かないで飲みたいときに買いに行くと言う決まりを作っていたので、ここ一週間は一杯もお酒を飲んでいない。初めの数日はお酒を飲まなくて調子が乗らなかったが、一週間たって禁酒生活も板についてきた。お酒飲まない代わりに、コーヒーを何倍も飲んでいる。お酒ゼロ、コーヒー百、と言う生活が軌道に乗り始めたようだ。

なぜ禁酒を断行したのか?コロナ禍がきっかけではあったが、最近お酒を飲まないで調子を上げようといろいろ考えていた。そこにコロナ禍がやってきて、それを上手く実行に移すことができた。些細な事ではあるが、重要な事である。お酒を飲んで今すぐどうなると言うことでもないと思うし、お酒を飲むと言ってもせいぜいビール二本くらいなのですぐに影響が出るわけではないが、長い目で見ると禁酒は絶対に効果的であるはずである。少なくとも、一発目の研究結果が出るまでは禁酒を続けようと思っている。

このように、僕は一つネガティブをポジティブに変えることができた。そしてまた一つ二つとそのような事を作って行きたいと思っている。「災い転じて福と為す」と言う言葉があるが、そのようにするためにもいろいろとポジティブな方向へと実行することが大事だと強く思っている。

配布マスク、イメージだけで語るな!

現在、新型コロナ対策として、政府が布マスクを国民全世帯に二枚配ることが物議をかもしている。そして多くの人が、この“たった”二枚の布マスクに対して批判と言うよりバカにした言葉を述べている。しかし、この二枚のマスクは果たしてバカにするようなくだらないものだろうか?僕はそうとは思わない。別に政府に肩入れする訳ではないが、この二枚の布マスク配布はかなり大きな意義があると思う。一つ難を言えば、マスク配布にかかる予算が数百億円にも上り、費用対効果としてはどうかとは思う。(郵送などの)工夫をすればもっとお金をかけずに済むのではないかと言うのが率直な感想である。

とは言え、僕はこの布マスク二枚の配布に関しては賛成である。菅官房長官が述べているように、一人が布マスクを20日繰り返し使えば、単純に20億枚分の使い捨てマスクと同等の効果がある。現時点で一か月に20億枚生産することは事実上不可能である。そう考えると、この布マスクは少なくとも一定の効果があることはすぐにわかる。

確かに家に数百枚のマスクの備蓄がある人から見れば馬鹿らしいと思うかもしれない。しかし現在、マスクを手に入れたくても一枚も手に入れられない人もたくさんいるはずだ。そのような人にとっては政府から配布される布マスクは喉から手が出るほど欲しいものだと思うし、感染抑止にもかなりの効果があると思われる。

布マスク二枚と言う簡素なものに対して、国民やテレビのコメンテイターはあまりにもイメージだけで語りすぎてはいないだろうか?確かに簡素なものではあるが、効果はそれなりにあるはずだ。しかし野党もこれらの決定に対してバカにしている。与党側の決定的な失敗は、この布マスクの配布がどれくらい効果があるかと言うことを具体的に示さなかったことである。もちろん、そのような試算をするためには時間もかかるので、スピードが命の現在ではそれができないのも仕方がないのかもしれない。しかし略算でもいいからしっかりと示すべきではなかったのではないだろうか。とは言え、この布マスクは簡素でさえあれ、効果的には決してバカにできないものである。決してイメージだけで物事を捉えてはいけない。

研究費削減で、モチベーション保てない?

毎日新聞デジタルに、国立天文台の観測所の予算が大幅削減されると言うニュースが載っていた。そのことに関して、ブラックホールの撮影に成功して有名になった本間希樹教授が、「予算削減で、研究者のモチベーションが保てない」と言うコメントをしていた。はっきり言って、「ふざけるな!」っていう話だ。

研究費削減で思うように研究ができないと言う話なら十分にわかる。実験系の研究では、研究費が結果に直結する。なので研究費が非常に重要な事は分かる。しかしそれとモチベーションは全く別の話だ。研究費が削減してモチベーションが下がるなどと言うことは僕には全く理解できない。もちろん研究費が削減されることは残念だが、それならそれでその研究費内で工夫してやるだけの事だ。それに我慢ができないのなら、実績を出して海外に行けばいいだけの話だ。

もちろん、そのような理由で優秀な研究者が海外に流れるのは国としても大きな損失だと思う。しかし「研究費=結果」という世界が、理論系の僕にはいまいち理解できない。もちろん、研究費獲得も実験系研究者にとっては大きな仕事であろう。今回の研究費削減は、もしかしたら新型コロナも影響しているのかもしれない。もしそうだったら、そのような状況は海外に行っても同じだと思う。

研究費にモチベーションが左右されるような人間は、研究者としては三流だと僕は思う。もちろん、本間教授は世界的に一流研究者と見られているとは思うが、ただそのようなことでモチベーションが左右されるのなら、言い換えるとモチベーションも研究自体も経済状況と政治判断に左右されると言うことだ。これは物理の巨額な加速器を必要とする実験においても共通するところだと思う。しかしどう考えても、お金で研究に対するモチベーションが左右されるのは理解できない。そのような人は研究ではなく、ビジネスの世界に行った方が成功するのではないだろうか。