16日の半沢直樹も、これまた非常に熱かった。今回から半沢は帝国航空(そして政府)と本格的に格闘している。半沢はなぜ帝国航空の再建にこれまでこだわっているのか?それは半沢の言葉にあるように、帝国航空がまだ「死に体」ではないからだ。企業が死に体ではないならば、再建の余地は十分にある。それが半沢の理念らしい。これらの事は、人間個人に対しても大きく当てはまることだ。まだ自分が人間として死に体ではないならば、復活する可能性は十分にある。何ならトップに返り咲くこともできるであろう。
僕自身も、大学学部生時代に大きな危機と立ち向かうことになった。おそらく普通の人間ならそこで潰れていてもおかしくなかったであろう。しかし僕は死にかけた状態ではあったものの、決して死に体にはならなかった。周りから見れば死に体同然に見えたかもしれないが、決して精神の火は消えていなかった。それどころか火はメラメラと燃え盛っていたように思える。だから現在はここまで活発に活動し、研究に打ち込み、自信に満ち溢れている。人間も死に体にまでならなければ、いつでも復活する余地はある。僕はそう強く思っている。
確かに今まで順調だったことなどほとんどない。しかしそれはそれで良いのだと僕は思っている。なぜなら、重要なのは過去ではなく未来だからである。そしてその未来に対して大きな自信を持っている。ならばそこに向かって邁進していけばいいだけの話ではないか。例え百回失敗してもそんなことはお構いなしだ。最終的に成功すればいいだけの話だ。今僕は猛烈にワクワクしている。後は結果を出すだけである。
先週の半沢直樹で、半沢は「勝ち組負け組と言う言葉は嫌いだ」と言っていた。それは僕も同感である。そもそも人生に勝ち組負け組などと言うレッテルを付けてどうするんだ!大金を得たものが勝ち組なのか?重要ポストに就いたものが勝ち組なのか?そんなちっぽけな事を考えていてどうする!自分がまだ死に体でない限り、未来はどうにでも変えられる。あえて言うならば、ピンチをチャンスに変えられる者、それが勝ち組とでも言っていいのではないか。他人から負け組だとか言われても、そんなこと聞き流せばよい。前向きに進んでいる限り、決して負け組なんかではない。しかし既に自分が負け組だと決め込んでいる人間は、本当に負け組なんだろう。人生、死ぬまで何が起こるかわからない。だからこそどう転んでも良いように、常日頃前向きに努力すべきではないだろうか?
毎週、半沢直樹を見るのが楽しみだ。フィクションだとわかっていても熱くなってしまう。そして半沢を見て思うこともたくさんある。「自分もそうだ!」あるいは「自分は違う!」とつい主張したくなる。また来週の半沢直樹を楽しみにして、ちょっとビールでも飲んだりしながらも熱く前向きに進んでみよう。