スポーツと学問。

現在、テニスの全仏オープンが行われている。僕はスポーツを見るのが大好きなのでスポーツのテレビ観戦をよくするが、先ほども錦織圭選手の試合をテレビで観戦していた。

スポーツと学問は全く違うものと捉えている人も多いかもしれないが。僕は学問とスポーツは非常に近親的なものだと感じている。学問の研究をスポーツ的な感覚で打ち込んでいる人も多いし、もしかしたらスポーツを学問的な追究だと捉えている選手もいるのかもしれない。学問とは一種のゲームと捉えることが出来るので、そういう意味ではスポーツと学問は類似する部分は多いのかもしれない。

僕はこのように、学問をスポーツやゲームのように捉える事は非常に大事な事だと考えている。学問とは山に籠って仙人のように打ち込むだけのものではない。学問と言えども社会的に交流された中に存在するのである。昔、「超対称性はスポーツである」と誰かが言ったと聞いたことがある。超対称性とは、素粒子論などに関係する物理学である。確かに超対称性はまだ実験的にははっきりと確証が得られていないところがあり、ある意味スポーツやゲームと捉えないと進めない部分がある。そう考えれば、数学なども将棋と同じように、ルールに則ったゲームと捉えないと進めない部分がある。

しかし、ゲームというものは100%ルールに従わなければならないが、学問は往々にしてルールから外れることがある。そしてそのようなルールから外れたところに学問の面白さや大きな飛躍が存在する。数学をルールと論理に則ったゲームだと思っている人も多いかもしれないが、数学的定義などは非常に自由なものであり、定義をどう定めるかというところに数学的センスが大きく表れる。

学問もスポーツも、一種の自己表現であると僕は考えている。おそらく錦織圭選手もテニスを通じてどこまで自己を表現できるかという事に挑戦しているのだと思う。僕も数理物理を通じてどこまで自己を極めることが出来るかということに挑戦し続け、自己を表現して行きたいと思っている。

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