スマホから便利さを考える。

スマホがますます便利になり、現在ではスマホは社会インフラとまで言われるようになっている。僕自身もスマホをかなり駆使しており、スマホを使いこなしている部類に入ると思う。しかしその一方、「通話とメールだけできればいいのではないか」と思うこともたまにある。実際二十年以上前までは携帯電話さえ普及しておらず、メールなどなくても特に不便だと意識することもなかった。しかし現在は、スマホがないと生きて行けないと感じる人も多いと思われ、スマホは便利さの象徴となっている。

しかし「便利である」と言う事と「良い」と言う事は全く違う概念だ。しかしいつの時代もそうだが、科学技術が発展して便利になることが正義だと捉えられ、技術者たちは特に疑問を抱くこともなく便利さを追求して行っている。しかしITに関して言っても、ネットワークが高度になればなるほどサイバー攻撃なども急速に増え、その対策が急速に重要性を増してきている。そう考えれば、便利さを高めるために開発しているのか?それともサイバー犯罪を防ぐために開発しているのか?もちろん両方とも大事なのだが、技術開発の本来の目的がゆがんできているようにも思える。

ITだけではないが、技術者は「便利な世の中を作るため」と言う正義を掲げて突き進んでいるが、僕にはそれは単に技術者のエゴではないかとも思えてくる。そのような状況は、戦後の核開発にも似ている。もちろん核開発が便利さをもたらすとはほとんどの人は思っていないが、しかし核を開発すれば他国も核を開発し、脅威も増してくる。それはITの発展とサイバー攻撃の高度化にも似ている。

僕が中学生の頃、雑誌で「未来はどうなっているのか?」と言う特集があった。そして友人同士でも「将来の世の中はどうなっているのだろう」と言う会話をすることも少なくなかったように思える。しかし現在「未来はどのような世の中になっているだろう」と言う会話をすることはほぼ皆無であり、雑誌で50年後の世の中を予想するなんて記事も全く見かけない。そもそも現在において、10年後の世の中を想像することも困難である。5年後なら「自動運転車が実用化して・・・」などと言う予想を何とかすることができる。このような状況は果たして正常なのか?異常なのか?そもそも想像もすることもできない10年後の世界が存在するのだろうか?そもそも自分たちが想像もすることができない社会を無批判に作り上げていくことが正しいのか?僕はこのような現在の状況を非常に危惧している。

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