ユーモアはないよりある方が圧倒的に良い。どのようにユーモアを出すか?多くの人は色々と考えるところであろう。単純にギャグなどを言ってユーモアを出す人もいれば、あるいは服装でユーモア感を出そうとする人もいるかもしれない。もちろん、それはそれでいい。ユーモアを言える人は非常に素晴らしいと思う。
僕はユーモアをどのように出すか?と言った時、言葉や外見だけでなく生き様で表現すべきだと思っている。生き様とは、すなわち人間性である。どのようなリスクを取り、どのような事に挑戦しているか?そのような事は全てユーモアにつながると考えている。逆に、無難な生き方をしている人からは、ユーモアは感じられない。やはり傍から見ても面白い生き方をしていると感じられることが大事である。
ユーモアには軽快感が感じられる。すなわち重い生き方をしていればユーモアは感じられない。しかし、重厚に生きることが悪いわけではなくて、重厚感や悲壮感を周りに感じさせないことが大事なのである。苦しい時は本当に苦しい。時には周りに助けを求めざるを得ない時もあるであろう。そのような時は思い切って周りに助けを求めれば良いが、普段は苦しさなどどこ吹く風と軽快に生きて行きたいものである。
人間にとって中身と外見は両方とも大事である。中身が良ければ外見は関係ないと言う人も多いが、僕はそうは思わない。外見も自分という人間の一側面であるし、意外と内面は外見に表れてくる。外見だけで判断してはいけないが、外見で判断できることも少なくない。ユーモアにおいても、言葉や行動と言った外見的ユーモアと、生き様に見られる内面的ユーモアの両方を発揮できれば最強である。
では、どのような生き様がユーモアのある生き様と言えるのか?簡単に表現できることではないが、まずは自分が自分の生き様を面白いと感じることが大事である。そして挑戦に続く挑戦を繰り返すエキサイティングな生き方を続けていれば、結果的に極めてユーモアな生き様を見せることが出来るはずだと僕は考えている。