社会の中で生きている限り、他人からの評価からは逃げられない。学校での評価、会社での評価、人間関係の中での評価など、他人からの評価はいたるところに存在する。なのでどうしても他人の眼というものは気になるものだ。もちろん僕だって気にはなる。しかし過度に他人の眼を気にすることは、自分の進むべき道を誤らせるのではないかと考えている。
他人からの評価と言う以前に、まずは自分自身によって評価をしなければならない。どんなことも、まずは自分が納得できなければそこから大きく進展させることは難しい。自分が納得して、初めて他人からの評価へと移れるのである。自分が納得するためには、まずは自分が納得できることに取り組まなければならない。しかしそのためには、自分で物事を判断し、評価できる眼を持たなければならない。しかしそのような眼、そのような判断力を身に付けるためには、自己思考力を持たなければならない。何事も、自分の頭で考えるという事が初めの一歩になる。
世間の評価とは、意外と偏見に満ちている。あるいは流行にとらわれていると言って良い。そしてもちろん、自分の判断というものも偏見にとらわれている。偏見というものは人間の存在するところならどこにも存在する。偏見をなくそうとはよく言うが、正しくは「偏見を克服する」と言った方が良いかもしれない。しかしそのような偏見に押しつぶされそうになることも多々ある。そのような時に力になるのが、自分自身による自分自身の評価だ。自分自身の評価が正しくされ、それに納得できていると、それが窮地を切り抜ける羅針盤となる。自分がどのような方向へ進めば良いのか?四方八方ある方向性の中のどちらに進めば良いかということは難しい判断であるが、自分自身の自己判断力によってある程度絞り込まれるはずだ。
他人からの評価と自分自身の評価というものは、社会を生きるに当たっての、そして自分の人生を進めるに当たっての両輪である。しかし世間の眼や流行ばかりに目を奪われていると、正しい自己判断が出来なくなる。そして自分が他人を正しく判断するためにも、まずは自分を正しく判断できる人間にならなければならない。そして自分自身で正しい判断を行い、自分自身が納得できると、後になってそうは後悔することはないはずだ。