孤独死の何が悪い!

近年問題になっていることの一つに、孤独死がある。孤独死が起こるたびにニュースが流れ、孤独死が問題であるような論調で語られる。しかし僕には孤独死の何が問題なのか理解できない。僕自身も死ぬ時は人に見取られたいと思ったことは全くなく、むしろひっそりと孤独死をしたいと思っている。

孤独死の問題は、孤独に死ぬこと自体が問題ではなく、生きがいが持てないことにあるのではないだろうか?大きな生きがいを持って生きていれば、今いかにして全力で生きるかということに力を尽くすことが大事であって、どのような形で死ぬかなどということは些細な事であることが分かる。さらに言えば、孤独死を問題にしてしまうような意識の方がはるかに問題ではないのかと感じる。

もちろん人によっては、死ぬ時の形にこだわる人もいるだろう。もしかしたらそのような人の方が多いのかもしれない。しかし繰り返すように、死ぬ時の形よりも生きる形の方がはるかに重要であり、死に方を考えるくらいなら「それまでいかにして生きるか」ということを考えた方がはるかに有機的である。

人生とは惰性で生きる事では決してない。もちろん皆真剣に生きているとは思うが、生きる行為が惰性になった途端、生物学的には生きていても精神は既に死んでいる。そして孤独死にこだわることは生物学的な死に焦点を当てたものであり、大事なのは生物学的な死の直前までいかに“精神的”な生命力を発揮するかということである。

死は誰にでも訪れる。そういう意味でどのように死ぬかということは誰もが考えることかもしれない。しかしそれは孤独死を問題視しすぎる事では決してないはずだ。死に方よりも、いかにして死の直前まで自分という人間の精神活動を行うかということに焦点を当てるべきだ。

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