時代によって変わる本質、変わらない本質。

よく「時代が変わったから」と言われ、納得させられることがある。しかし物事の本質は時代によってそう大きくは変わらないことが多い。時代によって変わるのは物事ではなく、人間の方だ。人間の受け取り方、理解、解釈が時代によって目まぐるしく変わるのである。

例えば、人間の死という現象自体はどの時代も変わらない。しかし時代の文化、認識、そして科学の発展によって、人間の死というものが持つ意味が大きく変わるのである。そのように、時代によって変わる本質だと思われているものは、大きく人間が介する物事が多い。人間が関与しているからこそ、本質が急激に変わったりするのである。

では科学の本質は時代によって変わるのか?これは非常に難しい問題である。もちろん、科学というものは常に発展し続けており、科学の本質と思われるものは時代によって大きく変わってくる。しかしこれも、科学を作っている人間の理解が変わっていると言える。自然科学の言う「自然」自体は時代によって変わるはずもないように思える。例えば運動方程式が時代によって変わることはない。科学の本質は「自然」の側にあるのであって、人間は「理解させていただいている」と言う方が正しい。

しかし、自然の側にも時代によって大きく本質が変わるものもある。その代表は「生命」である。生命というものは絶えず進化しており、数億年前の生命と現在の生命は構造的に大きく違うところがある。例えば、原核生物と真核生物では本質的に異なる部分が多い。とは言え、「生物」と言う意味で本質的に共通する部分も大きいが、これらの違いは時代の進化による本質の変化と見て良い。これらの変化は人間の理解の変化などと比べ物にならないような本質的変化である。

近年、コンピューターの進化が激しい。コンピューターはもちろん人工物であるが、その本質は情報理論的構造、及び論理構造であり、数学にかなり近い構造をしている。僕は、コンピューターの進化は、「第二の生命の変化」だと考えている。つまり、コンピューターの進化は時代によって変わる本質的変化だと言える。しかしその進化は超絶的に速い。生命が数億年かけて進化したようなことを、コンピューターは数年で成し遂げてしまう。コンピューターは単なる道具ではなく、一つの大きな科学的対象だと捉えるべきである。

本質を捉える際は、変わる本質と変わらない本質を見分けなければならない。そのことを理解しないと、物事の本質に踏み込んで理解することはできない。

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