最後まで国民と向き合わない総理だった。

9月3日、菅氏が総裁選に出馬しないことを表明した。これまで散々菅氏を非難してきた僕であったが、もう辞任するのが決定したのだからこれ以上非難するのは止めようとも思ったが、菅氏の会見を見てそんな気も吹っ飛んでしまった。なぜならこのような重要な会見でさえも、二分間一方的に話して終わりと言う、なんとも自分本位な、そして国民と全く向き合う気がないものであったからだ。

菅氏が総理に就任した直後、世間やメディアは「菅氏はイチゴ農家の息子で苦労人だからいい人だ」と浮かれていたが、僕はその時から菅氏を批判し「菅政権は必ず短命に終わる」と言い切っていた。そして菅政権が終わろうとする今、確実に言えることは、「菅氏は最後まで国民と向き合うことはなかった」と言う事だ。菅政権時代の約一年間、確かにコロナ禍の下での政治と言う非常に難しい局面であったが、多くの人が「誰がなっても同じだった」と言っている事には僕は違うと言いたい。菅総理に決定的に欠けていたことは、「自分の言葉で国民に語り掛ける」と言う事だ。すなわちそれができていないと言う事は、国民と向き合っていないと言う事でもある。そして多くの人の目には、「自分の政治生命を守ることしか考えていない自分本位な総理」と映っていたはずだ。

では「誰が総理になっても同じだったか?」と言う問題であるが、もしドイツのメルケル首相のような、自分の言葉で真剣に国民に語り掛けることができる総理なら、少なくとも多くの国民は「総理の言うように、もう少し自粛して我慢しよう」と言う気になったはずだ。しかし現実は皆の知るとおりである。総理が語りかけ、より多くの人がそれに共感したのならば、コロナ禍の状況も今よりましな状況であっただろう。

そして特にコロナ禍のような難しい状況下で言えることだが、政治的判断は「善か?悪か?」ではなく「悪か?最悪か?」と言う事が問われている。そのような時、迷わず「悪」を取れるリーダーでなければならない。しかし菅氏は自分の保身に固執するあまり、「善」を取ろうとして、結局「最悪」になってしまった。ほぼ全ての判断がそうだった。そしてGoToキャンペーンを行い、五輪を行った。もちろん五輪に出ているアスリートは全く悪くない。そして僕も五輪を行ったことを全否定しようとは思わない。しかし菅氏は五輪を行うことに対して、「なぜすべきなのか?」と言う事を自分の言葉で全く語り掛けようとしなかった。「安心・安全」とオウムのように繰り返すだけで、そこには五輪によって支持率を上げようとする自分本位の考えしか見えない。そして菅氏にとっても「善」を取ったつもりが「最悪」になってしまった。

最後に次期総裁選に話を移すが、現在数人の政治家が立候補を取り沙汰されている。その中でも僕にとってうれしいのは、石破氏と河野氏が有力だと言われていることだ。石破氏には二階氏が支持して裏で操るのでは?と言う声も聞かれているが、僕はそんなことは全く心配していない。例え二階氏の支持で総理になったとしても、石破氏は操り人形になるような政治家ではないからだ。これからの政治において最も困難かつ重要になってくるのは、コロナ対策と並び中国問題だ。その点、石破氏と河野氏は断固とした態度を持って対応してくれると確信している。二人ともそのような信念のある政治家だ。小泉進次郎氏の名前も出ている。小泉氏はまだ未知数なところが多いが、それは逆に言うと未知なところに期待が持てるとも言える。岸田氏や高市氏の名前も出ている。前の首相(菅氏)があのような政治家だったこともあり、どの候補もかなり期待が持てるように感じてしまう。僕は新生自民党にかなり期待している。

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