流行の問題ではなく、重要な問題に取り組む。

学問においても、流行というものが存在する。流行のテーマ、流行の問題など、その時々のトレンドがあり、そして同時に廃れて行くテーマもある。研究者の中にも、流行に過敏に反応し流行を追いかけ続けている人がいる。しかもこのように流行を追いかけている研究者が少なくないのだ。何も流行を追いかけることが悪い訳ではなく、それらのテーマが流行になるからにはそこには重要な理由があるはずだ。しかし流行の問題と重要な問題は必ずしもイコールではなく、時には本当に重要な問題が時代から無視されていることも多い。

流行の問題と重要な問題をどう捉えるか?流行とは変わりゆくものであり、重要なものは不変なものだと言える。また不変だからこそ重要だとも言えるのかもしれない。流行の問題に関しては何もしなくても取り組む者が続出する。しかし意外にも、重要な問題に取り組む者はいつの時代にも一定数いるが、そんなに爆発することはない。しかし重要なのは、流行の問題とは重要な問題を源流として発生することが多いということだ。

重要な問題なのに、なぜ取り組む人がそんなに多くないのか?それは問題の歴史に関係する。重要な問題はその問題が誕生してから長い年月が経っていることが多い。例えば幾何学のポアンカレ予想は約100年の歴史があった。1900年頃に問題が誕生し、2003年にペレルマン博士によって解決された。100年も解かれなかったということはかなりの難問であるということだ。それだけの難問であるから、その問題に取り組んでも何の結果も出ない危険性が高い。結果を出さなければ研究の世界では生き残れない。従って生き残るために結果が出そうな無難な問題に取り組む人が多くなるのである。

しかし重要な問題に人生を懸ける価値は非常に高い。もちろんなかなか結果が出ない危険性も高いが、結果が出れば非常に大きい。もちろん何の構想も当てもなく取り組むわけにはいかない。取り組むに当たっては解決へのビジョンだけははっきりとさせておかなければならない。しかしビジョンがはっきりとしているからと言って解決できるほど簡単ではないが、その骨格を基に細部を地道に埋めて行けば解決する可能性は十分にあると思う。あとは、「自分がやらなければ誰がやる」という執念を持って乗り切るしかない。

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