社会は疑っても、人間は信じる。

人生が上手くいかない時などは、どうしても人を疑ってしまうことが多い。いや、人生が上手くいっていても、人を疑うことは多いかもしれない。しかし人を疑ってばかりいると、ますます疑心暗鬼になってしまう。なので、信じるべき人に対しては絶対的に信じるということも非常に大事だ。そのように信じるべき人がいることは、自分にとって非常に大きな財産だ。

しかし社会は明るい部分と暗い部分がある。社会とは疑ってかかることが前提になっているようなところがある。社会や政治、ビジネスなどは慎重に疑ってナンボみたいなものである。しかしその中にあっても、味方は信じなければならない。確かに味方であっても、打算的に味方になっている人も多い。しかしそのような打算的に味方になっている人に対しても、信じて付き合うか、疑って付き合うかによって、これからの展開は大きく変わる。

何だか現代においては、疑って生きる人が騙されにくく、賢い人間だと思われているようである。しかし僕は疑う人が賢いとは全く思わない。もちろん疑うべきところでは疑うことは必要だが、信じるべきところで信じることができる人、そのような人が賢い人間であると思う。確かに信じることによって失敗することもあるだろう。しかしそれ以上の成功を挙げればよいだけの話である。

失敗しないように生きるか?成功を挙げるために生きるか?これは同じことのように思えるが、根底は全く違っている。なぜなら成功を挙げるためには、その十倍の失敗が必要である。大成功を挙げるためには、その百倍の失敗が必要かも知れない。失敗をネガティブに捉えるか?ポジティブに捉えるか?そのような事が人間性であると思う。ポジティブになればなるほど、正しく人を信じることができる。そして正しく疑うこともできる。すなわち、ポジティブな判断を下し続けることによって、正しい判断力が養われるのである。

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