精神は自由で、行動には規律?

僕は人間には二つの自由が大事だと考えている。一つは精神の自由、もう一つは行動の自由だ。この二つの自由はそれぞれ独立しているものではなく、精神の自由は行動の自由を確保されてこそ成り立つものだと思う。従って、行動の自由を制限すれば、そこから精神の自由度も低くなってしまうことになる。

しかし、行動の自由を他人から侵されることは極力避けなければならないが、自分で自分の行動を律することはある程度必要だ。そうしないと、お酒を飲みだすと止めどもなく飲んでしまうことになるし、他人にも大きな迷惑を掛けてしまうことになる。そしてその先にあるのは自滅である。信念に基づく自由は大切だが、自由を逆手にとって暴挙に出てしまうことは避けなければならない。そのためには自分の行動にある程度規律を定めることが必要なのである。

ところが、この塩梅が難しい。自由と規律は言葉の意味で言えば相反するものであり、一方を重視すれば他方が軽視される。お酒を飲む自由は欲しいが、お酒に溺れるのは良くない。やはり事を成し遂げるためには、自由と規律を上手くコントロールすることが必要である。

僕自身も出来た人間ではないから、どうしても同じ失敗を繰り返してしまう。多くの失敗をすることは悪い事ではないが、同じ失敗を繰り返すのは考え物だ。しかし同じ失敗を繰り返す中でも、どこまでなら失敗せずに済み、どれ以上すれば失敗してしまうか?という線引きをどこですべきかという事がわかってくる。権利と義務がセットで語られるように、自由と規律もセットで語られるべきものかもしれない。結論を言うと、自由人であり続けるためには、自分を律することが必要だということだ。

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