背水の陣とはある意味最後の手段と言えるが、背水の陣だからこその強みは無視できない。確かに後方に陣地がないために手段が限られてくる。現代社会ではいろいろな所で様々なメニューが用意され、市民は色々な選択肢の中から自分の好きな物を選ぶことが出来る。しかしそれが故に迷いが生じ、決断力が欠如してしまう。意外と選択肢が限られている方が目標をはっきりとすることが出来、迷いなくそれに集中することが出来る。背水の陣も同じで、進むべき道は正面しかなく選択肢が限られているために、強力に目標へと推し進めることが出来る。
背水の陣が意味することは、「失敗すると死ぬ」ということだ。実際に日常生活でそこまで追い込まれることはめったにないが、人生を懸けていることに取り組む時にはそのような状況もありえる。むしろ真剣に人生に向き合っている人ほど、そのような状況に遭遇するのかもしれない。なぜならそこには強い覚悟があるからである。覚悟がないということは、背水の陣で臨むということもないということだ。
人間というものは堕落しようと思えばエンドレスに堕落することが出来る。そこには意志も覚悟もない。しかし意志を持ち覚悟を持って生きている人間は、人生常に勝負である。堕落することは一瞬でも、上がることは容易ではない。一段上がるにも時間がかかる。将棋の藤井聡太氏の段はどんどん上がっていくが、それはおそらく普段の精力的な研究の賜物であろう。周りから見ていると簡単に上がっていくように錯覚してしまうが、実際はとんでもなく困難な道を進んでいるのだと思う。
初めは皆、「一歩進んで二歩下がる」というところから始まる。そこから「一歩進んで一歩下がる」、そして「二歩進んで一歩下がる」と少しずつ前進して行くのである。そして排水の陣では下がることはできない。つまり背水の陣ではどうあがいても「前に進む」か「死」という選択肢しかないのだ。確かに危険な橋を渡るようなものだが、そのような選択肢を選ぶ意志と覚悟を持って生きて行きたいと強く思っている。