動の学問、静の学問

いま大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰をやっているが、彼の学問を一言で言うと、「動の学問」と言えるのではないか。彼は部屋で勉強し、講義室で講義するだけでなく、その学問の精神を行動に移し実践した。黒船密航に然り、あるいは日本各地を自分の目で見て確かめること然り。動きに動きまくっている。これほど学問の精神を行動に移した人もいないのではないかと言えるくらいだ。

数学、物理学というものは、基本机の上で研究し、行動と言えば講義室で講義するくらいだ。もちろん世界を飛び回っている人もいるが、それは研究発表のためであり、研究の精神が直接行動し、事を起こすというわけではない。

吉田松陰の学問が「動の学問」とすれば、数学、物理は「静の学問」と言えるのではないか。

幕末など動乱の時期には、事を起こすにはまず動かなければならなかった。動いて動いて事をなすのである。学問ではないが、坂本龍馬などを見ればそれはよくわかる。学問も、徳川時代約250年間に机上で蓄えた知識を、国を動かすために動いて実践に移す時期であった。

静の学問も素晴らしいが、少し体が鈍ってしまう。そんな時、動の学問にかかわれたらと思ったりする。しかし今の日本は動乱の時代ではない。動乱を求めて海外に行くのも変な話である。

国にかかわるなどといきなり大きなことを言わず、まず身近な世界から行動に移すのが、大きな動への一歩となるのかもしれない。

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