月別アーカイブ: 12月 2020

孤独には自分が試されている。

僕はこれまで何度か述べたように、孤独を愛する男だ。もちろん何人かでワイワイするのも良いが、基本的には一人でいないとストレスも溜まっていく。大人数での協調と束縛が非常に苦手である。

一人でいるのは非常に自由であるが、その一方責任も全て自分が負うことになる。そして当たり前の事だが、することは全て自分で考えなければならない。普段から頭をフル回転させることが必須だ。もちろん、僕はそれは嫌いではない。死ぬまで頭を使い続けることが自分の使命であり、生きがいであると思っている。

自分で考えると言う事は、そこは自分の頭の見せ所である。そして自分で行動することは、自分の意志の見せ所である。つまり全て自分が試されている。他に人がいれば自分の苦手な事はその人に頼れば良いが、自分一人しかいなければ全て自分でしなければならない。もちろん自分一人で何でもできると言う訳にはいかないので人に頼ることもあるし、どうしてもできないことは放棄することもある。しかし放棄した後どうなるかは、全て自分の責任である。

しかし孤独と言うものは、非常にやりがいのある生き方だ。自分一人でしたことに結果が出れば、それは全て自分一人の成果になる。all or nothing と言う事である。それは究極的には、生か死か?と言う事でもある。もちろん何かに失敗したからと言ってすぐに死ぬわけではないが、それくらいの覚悟を持たないと孤独を突き通すことはできない。

日本では協調性を要求されることが多々あり、人と違うことをすればすぐに自己責任だと突き放す。つまり日本社会では孤独の入り込む余地が非常に少ないのだ。しかしそれでも孤独を突き通すことができるか?そこに自分が試されている。

法治国家であっても、法を破らなければならない時がある。

法治国家においては、法は絶対的であると言われる。果たしてそうであろうか?もし自分の信条・信念に反する法であれば、それに逆らうのも十分にありだと僕は考えている。だからこそ杉原千畝は自分の良心を貫き、香港では周庭さんたちが立ち上がっているのである。さらに言えば、この国のトップである首相は本当に法を厳密に守っているのであろうか?甚だ疑問である。

とは言え、僕はやみくもに法を破れと言っているわけではない。法は国家の存続において非常に重要である。さらに日本の最高法規である日本国憲法は非常に素晴らしく立派なものであると感じている。しかし社会の主役は誰か?決して法が主役であってはならない。人間が主役なのである。だからこそ、人間をないがしろにするような法に対しては徹底的に立ち向かわなければならないのである。僕は決して改憲派ではないが、もし憲法が時代に合わなくなり人間を無視するようになれば、憲法を改正することも十分に視野に入れなければならないと考えている。

法が絶対的ではないことを例示することは簡単だ。もし法が絶対的なものだと考えれば、ナチスドイツにおいては悪いのは法を破った市民、そしてユダヤ人の方だとなってしまう。しかし誰が考えても悪いのはナチスの方だ。そして杉原千畝は法を破ることによって何千人もの人間の命を救うことになった。もちろんこんな大々的なものでなくても、身近な法であっても、人々の自由に反する法は色々とある。もちろん何でもかんでも自由にすれば良いと言う訳ではなく、当たり前の事であるが人を傷つける自由など誰にもない。

なぜ僕は今回の記事でこんなことを書いたのか?それは僕にとって信念に反する法が存在するからだ。その法は人々の思考の自由を奪い、さらには日本国の発展をも妨げるものである。さらに言えば、その法は憲法にさえ反していると僕は考えている。一部の全くおかしい利権を認めるがために、国民の思考の自由を束縛している。日本はいつからこのように知を放棄する国になったのだろうか?僕は決して法治国家を否定しようとは思わないが、このことにおいては徹底的に立ち向かって行こうと思っている。

感染症対策が一番の経済対策だ!

普段は感情を表に出さないドイツのメルケル首相は議会で感情を爆発させ、感染症対策の重要性を訴えかけ国民に協力を呼び掛けたと言う。それに対してどこかの総理はネットでギャグにもならないギャグを放ち、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。一国民として非常に恥ずかしく、また情けない気がするのは僕だけであろうか?

今政界で、またあらゆるメディアで議論されているのは、「感染症対策か?それとも経済対策か?」と言う事である。しかし僕はこれは違うと思っている。いま必要なのは「感染症対策 and 経済対策」と言う事である。そんなことを言うと、そんな虫の良い話はないと言われるかもしれない。なぜなら感染症対策をすれば経済は急激に落ち込むと誰もが考えているからだ。しかし僕ははっきりと言う。

「感染症対策を徹底することが、一番の経済対策になる!」

これはどういうことか?感染症対策をすることにより街に出る人が減り、お金が回らなくなる。旅行に行く人が減り、飲食をする人も減る。それによって旅行業界、そして飲食業界は大打撃を受ける。それは事実であろう。しかしだからと言って感染症対策を無視するとどうなるのか?当たり前の話だが、コロナ感染者は激増する。そしてそのような状況を放置すると、後々さらに経済が回らなくなる。コロナの影響が大きくなればなるほど、経済的な打撃も大きくなるだろう。コロナの状況が小さいうちだと自粛の規模も期間も少なくて済む。しかしコロナ被害が大きくなればなるほど自粛の規模も大きくなり、期間も長くせざるを得ない。即ち、早め早めの感染症対策が、後々経済的にも好影響を与えることになる。

政府はこれまで旅行業界、そして飲食業の支援のため、GoToキャンペーンを大々的に行ってきた。しかしこのことが結局旅行業界、そして飲食業界の首をさらに絞めることになる。そして苦境に立たされているのは旅行・飲食業界だけではない。かなり広い業種において大打撃が与えられている。そして時期的にも、自粛はクリスマス、正月を直撃することになった。早め早めに手を打っていれば、このような時期の自粛を避けることができたのは明らかであろう。

なぜこのようになったのか?ドイツの首相は国民の事を一番に考え、どっかの総理は自分の実績作りと自分の保身を一番に考えているからである。ああ、一国民として本当に情けない。石破茂さん、早く総理になってください!

NTTドコモ「ahamo」に対する提言。

少し前にNTTドコモが打ち出した中容量シンプル低価格プラン「ahamo」が、非常に評判を得ている。それに対してauが打ち出した大容量複雑高価格プランが批判を浴び続け炎上している。ドコモのahamoは僕にとっても非常に魅力的なプランであり、さっそく事前予約申し込みを行った。

しかしこのドコモのahamo、全てが良いとこだらけと言う訳ではない。低価格とトレードオフな面もいくつかある。それはドコモのプランとは言え、ドコモショップでのサポートが基本的に全く受けられないと言う事だ。もちろん契約もオンライン上のみである。なので対面で契約したい人や、ショップで分からないことを聞きたい人などは、基本的にahamoは候補にあがらない。それを知らずにahamoを契約してしまうと後悔してしまうかもしれない。しかしオンライン操作に慣れている人にとっては、非常に魅力的なプランであることは間違いないだろう。

とは言え、通常はショップなど全く利用する気はなくても、何かの緊急時(例えばスマホの故障や紛失)の時にショップが使えないと、不便で不安に思うことも確かである。そこで、ahamoの利用者でもお金を払えばショップでのサポートを受けられるようにすればどうかと僕は提言したい。通常はショップは全く利用しない。しかしショップでサポートを受けたいときは、何千円か払って受けられるようにする。その金額はかなり高くても良いと思う。何なら一万円近くしても良い。なぜなら重要なのは、お金を払えばショップで何とかなると言う安心感が目的だからである。そうすることによって、低価格の魅力と、いざという時はショップでサポートを受けられると言う安心感が両立でき、さらに魅力的なプランとなるだろう。

そしてこのことは、ショップ側にとっても魅力的なシステムになるだろう。携帯ショップでは、昼間の時間帯などはシニアが押しかけサービスのボランティア状態になっていると言う。そしてahamo自体、ショップにとっては一つの脅威になるだろう。しかしahamoの有料サポート化によって、ショップもそれなりの利益が得られ、ボランティア化することもなくなる。考えようによっては、従来プランの客よりもahamoの客の方が上客になるかもしれない。

ドコモにとっての一番の課題は、オンラインプランとショップ維持の両立であろう。しかしahamoのショップでのサポート有料化を行えば、それらの両立はある程度可能になる。初めに言ったように、料金はかなり割高でも良い。必要なのは「いざ」という時の安心感であるからである。ぜひショップでのahamo客有料サポート化を実現してもらいたい。

ガースー(菅)の無策無能ぶり。

初めに言っておく。今回の記事は菅をこき下ろすものだ。そしてもう一つ言っておく。もう菅に敬称は付けない。呼び捨てにする。もう僕の頭は怒りから火が飛び出て消火できないレベルだからだ。

僕は菅が総理に就任した直後から、菅を批判し続けてきた。しかし就任初日だけは、さすがにまだ総理として何も行っていない菅を批判するのもおかしいと思い、中立な目で見てみようと言う立場を表明した。しかしすぐに僕の予想は悪い方向で的中してしまう。日本学術会議問題、そしてコロナ対策。菅のする事全てに共通することは、陰湿、そして自分の頭で考えられない(つまり無能)、そして保身だ。そして僕の頭からは火が飛び出て来た。

ではなぜ、僕は菅の就任直後から菅を批判し続けてきたのか?それはそれまでの官房長官としての菅を見続けてきた結果だ。しかし菅の官房長官としての仕事はこれまで評価されてきた。なぜ官房長官・菅は評価されてきたのか?それはまず失言しない事、そして批判を上手くかわし続けてきたことだ。しかし総理となった今となってはどうだろうか?失言しないのは官僚が用意した原稿を棒読みしているから。そして批判を上手くかわすのは責任逃れに終始しているから、と言い換えられる。

先日、日本国民として衝撃的な言葉を聞く。「ガースーです!」菅がニコ生で放った言葉だ。若者に媚びを売っている場合か!コロナで国民が苦しんでいる中、無神経にもほどがある。もちろんコロナ対策で有効な手を打ち出し続けているのならまだわかる。無策無能をさらし続け、この無神経である。はっきり言って、菅に総理の資格はない!

なぜここまで僕が怒っているのか?それは総理としての資質の問題もあるが、根本をたどれば全て菅の人間性にたどり着く問題だからだ。政治家として以前に、人間としてどうしようもない人間だ。十年ほど前の民主党政権時代、菅(カン)元首相はかなり批判を浴びた。菅(カン)氏も当時は相当こき下ろされたように記憶している。しかし菅(スガ)より菅(カン)氏の方が百倍マシだ。少なくとも菅(カン)氏は菅(スガ)のように陰湿に物事を進めるようなことはほとんどなかった。なので菅(カン)氏を呼び捨てにしようとは思わない。僕が批判していた末期の安倍政権時でさえ、安倍前首相の事を呼び捨てにするなど一度もなかった。しかし菅(スガ)に敬称など付ける気には全くなれない。

現在、菅の支持率は急降下している。言っておくが、支持率が急降下したから僕は菅をこき下ろしているのではない。政権発足時から菅に対してはかなり批判をしている。僕は過去のブログ記事で「菅政権は短命で終わる」と書いた。しかし実際は僕の想像より早く終焉するのではと言う気配になってきた。少なくとも総選挙をすれば終わりだ。

菅の側近たちは、コロナ禍が酷くなってきたから支持率が下がったと言っているらしい。勘違いするな!それは結果論であって、何もしない無策無能ぶりが顕著に表面化した結果だ!コロナ禍が酷くなったのも、GoToキャンペーンや様々な活動の制限を打ち出さなかった結果であるのは明らかだ。僕のような一市民でさえ、GoToキャンペーンが始まったとき、誰が考えてもコロナ抑制に逆行するので停止すべきだと訴えかけた。しかし菅たちは何食わぬ顔で無策を続けている。そしてGoToによるコロナ感染者は数百人に過ぎないと自分たちの都合の良い数字だけをエビデンスだと持ち出し、GoToの停止を訴えかける人たち(医学の専門家を含む)に対してエビデンスがないと無視続けている。

菅!あんたに総理の資格はない!それ以前に人間としても卑劣だ!毎回繰り返すが、石破総理が渇望される。僕は今自民を支持しているのではなく、石破茂氏を支持している。もちろん、石破総理が誕生すれば、石破自民党を全面的に支持するつもりだ。

人の一言一句に左右されない精神力。

これは僕に対する言い聞かせと言うか、僕自身最近は結構人の一言一句に心が左右されることがある。もちろん僕はかなり偏屈なので結果的には自分の信じる道は譲らないのだが、それでも人の言葉に気分などが左右されるのは良いことではない。以前のブログでも「心臓に毛を生やす」とは何度も言ってきたが、やはり今でも僕の重要なミッションはこれに尽きると言える。

人間の精神力と言うものはそんなに簡単に変えられるものではない。しかし自分が強く思い実行すれば、変えられないものではないと思っている。だから現在数本の毛しか生えていない僕の心臓も、剛毛になるほど生やすことができると思い試行錯誤している。人間の外見と言うものはそう簡単に変えられない。もちろん現在は美容整形なるものがあり、お金を出せば美容医師の手で思うように変えられる世の中だ。これをどう捉えるか?自分の手で顔を変えることはできないが、汗を流して稼いだお金で顔を変えられると思えば自分の努力で顔を変えられるとも言えないこともない。しかしそれは外見の話で、自分の内面、あるいは精神力までお金を出せば変えられるわけではない。

しかし十分なお金があれば心に余裕ができ、精神的にも余裕が出て来ることは間違いない。そう考えれば、お金によって精神力さえ変えられるとも言えないこともない。しかし精神力は外見と違って、お金がなくても変えられる部分は沢山ある。僕は自分の意志次第で精神力は思うように変えられると思っている。では外見は変えられないのか?いや、顔つきのような外見には自分の生き方や意志が顕著に表れる。だからこそ、あらゆる面で自分に変革を起こして行こうと思い、日々挑戦している。

来年の今頃、心臓に大分毛を生やすことが出来たと言いたいところだ。いや、そう言えなくてはならない。ぼくはそれが本気で可能だと思っている。何事も挑戦だ!挑戦なき人間に未来はない。そう思い日々挑戦している。そして死の直前まで僕は挑戦し続けているだろう。

人を欺くau(KDDI)の料金表示があまりにも悪質で酷い!

9日、au(KDDI)の新料金プランが発表された。新料金プランと言えば、先日NTTドコモが格安プランを発表したことが記憶に新しい。それを受けてauも思い切った大容量格安プランを発表すると思いきや・・・。

その内容を簡単に述べよう。ギガ無制限でズバリ3760円!ドコモほどではないが、20ギガの制限があるドコモと比べてもそこそこ安い!

しかしこれにはからくりがある。auが提示する5つの条件を満たせばこの値段になると言うものだ。では、これらの条件を満たさなければどうなるのか?

9350円。

もう何も言えない。しかし実態はさらに悪質だ。auの表示では、「3760円~」としか書いていない。そして割引条件のうち二つはそれぞれ初めの6か月(1400円引き)と12か月(1000円引き)である。つまり一年後には少なくとも2400円アップの6160円になる。この手法を僕が非常に悪質だと思っているのは、初めの数か月減額によって、見かけの提示額をいくらでもコントロールできることだ。例えば初めの一か月9340円引きとすれば、このプランは実質10円と言う表示もできる。市民をバカにするのもいい加減にしてほしい。

 ところでYouTubeで次のように上手い事を言っている人がいた。

「新プラン、3760円、しかし

6か月以上利用:罰金1400円、1年以上利用:罰金1000円、光電話なしで利用:罰金1000円、一人で利用:罰金2020円。

真実の値段、9350円」

うーん、納得。

それにしても、auはなぜこんな詐欺まがいの酷いプランを大々的に発表したのだろう。この発表を止めるように助言する側近はいなかったのか?本当にコントとしか思えない。auは3760円とアピールしているが、ニュース記事ではどこも忖度なしに9350円と報道している。

auのこのプランが狙うところは一つ。老人などの情報弱者を食い物にすることだ。普段情報に接しない高齢者、そしてプランなど気にしなくて何も考えずに利用している若者などから取れるだけ取っておこうと言うものだろう。

ドコモの格安プランahamoが発表された直後のこのauの大々的な発表!もうコントとしか思えない。しかし悪質で放置もできない。ここでこそ総務省の出番だろう。

努力しない自由?

僕は努力することは非常に重要だと思っている。なので僕自身はできる限り、目標に向かって努力しようと日々思いながら生きている。しかし、自分が努力することが大事だと思っていても、それを他人に押し付けるのは少し違うのではとも思う。学校などでは努力を押し付けられることも多々あるが、そもそも学校の教師自身、どれだけ努力しているのか?と言う話だ。努力する自由はもちろんなければならないが、努力しない自由と言うのもあって良いのではないかと思う。

一年を通じて、毎日努力をし続けている人はほとんどいないだろう。僕自身も努力しようとは思っているが、時には遊ぶこともあるし、努力できない時も多々ある。また、努力しないと言うより、努力できない人もいるだろう。

自分が努力することは非常に重要だが、あくまでも「自分が」であって、他人に努力を強制する権利はない。努力はしたものの、成功できずに苦しみだけが残る人もいるだろう。そのような結果になっても誰も責任を取ってはくれない。人によっては、努力しないことが幸せにつながることもあるのだ。ならば努力をしない自由も認めた方が良い。

しかし最近は、努力しても必ず報われる保証はないからと、努力を否定する人もかなりいるように思える。これに対しては、僕は真っ向から否定したい。確かに努力をしたからと言って100%報われるわけではないが、50%を60%、70%と確率を上げることができることは間違いない。なので、「努力は必ず報われる」と言うのは間違いであって、「努力は成功する可能性を上げてくれる」と言うべきである。そう言えば、「いや、それでも30%失敗するかもしれないではないか」と言う人もいるだろう。そのような人は、努力をしない権利を行使すればいいのである。

もう一つ僕がはっきりと言いたいのは、「失敗=無駄」では決してないと言うことだ。正しいのは、「失敗=経験」なのである。失敗なき成功などほとんど存在しないし、仮に全て最短距離で成功したとしても、そこには深さは生まれない。アインシュタインは数々の大きな成功を残した。そして彼が大きな失敗をしたとはほとんど聞かない。しかし人間と言うものは、自分の成功は口にするが、失敗は口にしないものだ。おそらくアインシュタインも数々の試行錯誤を行い、数々の失敗を経験したはずだ。

努力とは挑戦であり、挑戦の大部分は失敗である。つまり失敗は努力して挑戦した証である。なので僕は自分に対しては努力する意志は持ち続けようと思うが、努力したくない人まで努力する必要はないと思っている。努力をするかしないかはその人の自由なのである。果たしてあなたはそのどちらの人間になりたいであろうか?

好きな事を貫くのは、こんなに苦しいのか!

生き方には大きく二種類ある。流れに身を任せる人、そして流れに逆らって生きる人だ。僕は完全に流れに逆らう方だ。おそらく流れに身を任せて生きれば、今よりもはるかに楽な生き方ができたと思う。しかしだからと言って、流れに身を任せて生きようとは思わない。流れに逆らいながらも道を切り開いて行きたいのだ。そんな生き方をしているものだから、当然いろいろな意味で苦しい生き方になってしまう。

ではなぜそこまで流れに逆らいつつ苦しい道を選ぶのか?それは好きな事を貫くためだ。僕は好きな事しかできない。いや、実際は周りに合わせて仕方なくやっていることも多々ある。しかし自分と言う人間の根幹となる部分だけは譲れないのである。数学と物理は絶対に捨てることはできない。しかし成功する見込みもなく続けるのは暴挙でしかない。なのでほとんどの人はできないと感じた時点でやり続けることをあきらめるのである。ではなぜ僕はやり続けるのか?それは絶対的な自信があるからだ。そう言えば、「それならばなぜ今までできなかったのか?」と言われるかもしれない。しかし人間にはいろいろな事情がある。予想できない事態に見舞われることもある。まさしく僕の学生時代がそうであった。そのため、僕は学生時代には何もできないでいた。しかし今は違う。時間はかかり過ぎたが、今はできると言う絶対的な展望が確実に見えているのである。

物事と言うのは、成し遂げる直前が一番苦しいのかもしれない。なぜなら自分に投資し続け、成功する直前がいろんな意味で貯金がないからである。もちろん精神的にも非常に苦しい。絶対に出来ると言う自信と展望があっても、苦しいものは苦しいのだ。「あと少し、あと少し」と思いつつも、時間は過ぎて行く。こうなれば周りの眼など気になってはいられない。最後まで押し続けるしかないのだ。

しかし事を成し遂げた後には色々と良いこともあるだろう。そう思えるから今の苦しみも乗り越えられるのだ。確かに成功した後でも、苦しいのは変わらないと思う。その苦しみに良いことが付け加わるのだと思っている。例えば金銭的な事であったり、人間付き合いであったり、いろいろ面白いことがあるかもしれない。しかし一番の喜びは、好きな事を成し遂げる事だと思う。これからも流れに逆らいつつ、好きな事を貫いていこうと思う。

ドコモの一人勝ちか?

3日、NTTドコモが20GBで2980円の激安プランを発表した。数日前からドコモが格安プランを発表すると噂されていたので僕も楽しみにしていたが、まさかここまでの衝撃プランだとは想像していなかった。このプランの何が衝撃的なのか?一つはもちろん値段である。少し前に発表されていたソフトバンクとau(KDDI)の格安プランは、ほぼ同じギガ容量で双方とも4000円を超えていた。そしてもう一つの大きな違いは、ソフトバンク・KDDIとも格安プランはサブブランド、つまりワイモバイル(ソフトバンク)とUQモバイル(KDDI)でのプランであると言うことだ。しかし今回のドコモの格安プラン「ahamo(アハモ)」は、NTTドコモのメインブランドでのプランだ。これは何を意味しているのか?それはサブブランドとメインブランドでは通信の質が違う(サブは格安ブランドと言う位置づけのため、通信速度が遅かったりする)のだが、ahamoプランはメインブランドのため従来のドコモと同じ質である(と思われる)。これはもう、サービスが始まる来年の3月にすぐにでも契約するしかない。

では今回のドコモのプランを受けて、他ブランドはどのような影響を受けるのか?一番の大打撃を受けるのは楽天モバイル、そして各種のMVNO(格安スマホ会社)であろう。これらは通信の質が圧倒的に劣るうえに、料金のアドバンテージがなくなるので当然だ。ではソフトバンクとKDDIはどうなのか?僕はソフトバンクよりもKDDIの方が打撃は圧倒的に大きいとみている。なぜなら現在のソフトバンクグループはメイン事業が投資事業になっており、モバイル事業はグループ全体でみると一部に過ぎないのでかなり余裕があると思われる。それに対してKDDIのメインは通信事業だ。なので通信事業で打撃を受けるとその傷は大きい。なのでソフトバンクは思い切った値下げができる可能性があるが、KDDIはかなり厳しいのではないか。

ではなぜ今回NTTドコモはここまで思い切った策に出ることができたのか?それはやはり大企業であるが故、基礎体力が圧倒的であるからであろう。そして今回、ドコモはこのプランを実現するために一つのシステムを打ち出した。それはahamoプランの契約はオンライン上でのみとしたのだ。つまりドコモショップではahamoプランの契約はできない。このことによって人件費などの圧倒的な削減ができることになる。おそらく(まだ断言はできないが)契約後のサポートなどもオンライン上のみになるであろう。しかしこのことも、オンラインシステムの向上をもたらすと捉えればプラスであるとも考えられる。しかしもちろん、このことは情報格差・デジタル格差をもたらす。特にネットに疎い高齢者が取り残されることが考えられる。しかしドコモはahamoプラン以外の従来に変わるプランの値下げにも踏み切ると言っているので、それらの人も一定のメリットはもたらされると思われる。

僕は今回のドコモの施策に対して非常に大きな評価をしている。それは単に金額面だけの評価ではない。僕はこれまで携帯ショップの対応に対しての不満がかなり大きかったので(ドコモだけでなく、auやソフトバンクに対しても)、全てネットで完結するシステムは非常に好意的に受け取っている。これでショップで気分の悪い思いをすることもない。そしてソフトバンクやKDDIの格安プランはサブブランドでのプランであり、手続きを複雑化してそこに流れるのを意図的に防いでいると言われている。それに比べると、ネットに慣れている人にとってはドコモのプランは親切である。

去年から楽天モバイルがMNOになりキャリア4社体制となったが、これからはドコモの一強となる可能性がある。そこが大きな懸念だが、これからも健全な競争をしつつ通信の質を向上させていってもらいたいものである。しかし本当にこのような低価格で品質が保証されるのかと言う不安も少しあるのも事実である。