二択ではなく、確率で。

今のコロナ対策でも言えることだが、物事を判断する時に、できるできないの二択ではなく、どうすれば成功する確率が高くなるかと言う視点で考えることは非常に重要である。例えば、どんなにコロナ対策をしていても、100%コロナを防ぐことは不可能である。もし防げるか防げないかと言う二択で考えると、100%防げないのなら対策をしても無駄だと言う考えになってしまう。しかし重要なのは、いかにして感染の確率を低下させるかと言うことだ。例えばマスクは必ずしも効果があるわけではないと言われているが、感染の確率を低下させることは明らかだ。少なくとも飛沫感染の確率をかなり低下させることはできる。完全に防げるからではなく、感染の確率を低下させることができるからマスクをするのだ。いわゆる三密を避けると言うことも、感染の確率を低下させるための手段なのである。

確率とは統計と一緒にして考えられることが多い。数学書でも「確率・統計」と言うタイトルのものが多々ある。確率と統計は切っても切り離されないものだ。現在のコロナ対策においても、特に政府などの判断材料は、感染の数理的モデルを基にして決められていると考えられる。コロナ対策と言うと医学的な知見から決断すべきだと思われるかもしれないが、実は市中でどのようにウイルスが広がっていくかと言う予測は、医学的知見とはある程度独立に数理的モデルによって決めることができる。一人の感染者から何人に感染するのか?そして民衆のうちどれくらいの人が感染して、どれくらいの人が抗体を保持しているのか?そのようなデータを基に感染の時間的予測が立てられる。

それらの数理的モデルによると、パンデミックを終息させるためには二つの手段しかない。一つは民衆の多くの人が抗体を持つまで広がってしまうこと。もう一つはそのような抗体を持つ人をワクチンによって人工的に増やすことだ。すなわちある意味、最善の策はワクチン一択と言える。ワクチンができるまでどのように維持するか?それは医療のキャパシティを超えないように、つまり一時的に激増しないように感染者のカーブを緩やかにコントロールすることだ。

多くの人は物事に白黒をつけたがるが、このように物事を確率的に考察することは非常に重要であり、また非常に効果的でもある。物理学では20世紀初めまで決定論的な見方が支配的であったが、量子論と言う確率的な見方が入り込んできた。そして経済学などでは統計に基づく確率論的思考が重要になることは言うまでもない。一人の人間としても、白黒の判断だけではなく、確率的に物事を捉えることが非常に重要なのではないかと僕は非常に強く感じている。

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