月別アーカイブ: 4月 2020

非力な野党を作った日本国民。

現在の自民党・安倍政権は(最近は)かなり問題のある政権だと多くの人が思っていると思う。もちろん、安倍首相に関してはこれまで非常に大きな功績があるのは事実だし、現在も外交を中心に非常に効果を発揮していると僕は思っている。しかし何度もこのブロブで言及しているように、総理総裁三期九年と言うのが致命的な問題である。三期九年もすれば、誰もが半独裁的になる可能性があるし、またそれ以上に問題なのは、周りの人間が全てイエスマンになることだ。だから安倍首相がどれだけ良い政治家であるかに関わらず、総理総裁任期は二期六年にすべきだと僕は強く感じている。

とは言え、最近の安倍首相がどれだけ問題であっても、「代わりに野党が政権に」と言う声はほとんど聞こえてこない。それはもちろん、野党が安倍自民以上に問題があり、非力であるからである。本来はアメリカのような民主党・共和党二大政党体制が理想的なのかもしれないし、10年ほど前は日本でもそのような二大政党体制を目指して民主党が政権を取ったのだが、残念ながら当時の民主党の政策はあまりにも稚拙すぎ、また東日本大震災に対する失政などもあり、信頼をつなぎとめることはできなかった。

では、日本の政治の問題は、安倍自民が問題であり、さらに非力な野党が問題なのか?僕はそれだけではないと考えている。結論から言うと、日本国民自身も問題なのである。当たり前の事だが、政治家は国民の投票によって選出されている。なので政治家の資質は日本国民自身の資質でもあるのである。もちろん、選挙時だけの情報や候補者の目に見える活動だけでは判断しきれない所もある。しかし明らかに国民自身が問題であると言えることもいろいろある。

テレビ番組と言うものは、(少なくとも民放は)民衆の趣味嗜好を汲んで方向性が決められる。そのようなテレビ番組を見ると、最近は不倫などのスキャンダルを取り上げることが半ばブームのようになっている。すなわち、他人の上げ足を取ることばかりにメディアが、そして民衆が夢中になっているのである。これはどこかと似通っていないか?そう、国会である。野党は与党政治家の上げ足を取ることばかりに夢中になっている。僕自身、森友・加計問題を追及すること自体は無意味ではないと思うし、少し前の桜を見る会問題なども重要な問題である。しかしそれだけではいけない。それ以上に現実的・具体的政策を提言し詰めて行かなければならない。もちろん野党もそのような事は分かっていると思う。しかしそれが国民には伝わってこないのである。その原因は僕はむしろ国民側にあると考えている。

今の安倍自民一強体制は明らかに変えなければならない。しかしそれに代わる野党があまりにも非力すぎる。そしてその原因は日本国民にある。メディアは人の上げ足を取ることばかりに夢中になり、国民はそれを楽しく笑っている。今年のお笑い大会・M1グランプリでは、人を傷つけない優しさのある笑いがブームになった。優勝したミルクボーイ、そして準優勝したぺこぱがまさしくそうであった。このような流れは、日本と言う国を必ず良い方向へと導くと僕は思っている。しかし国会などの政治の世界では、まだそのような流れは入り込んでいない。なぜなら、国民が選挙で政治家を選び、そしてその政治家が政策を掲げ実行するまではかなりのタイムラグがあるからである。なので、今の政治の世界がそのように変わるまでにはまだ5年以上かかるのではと僕は考えている。

今、新型コロナによって日本が、そして世界が危機的状況に陥っている。なので人の上げ足を取っている場合ではない。一刻も早く対策を実行して人々を救わなければならない。もしそのような事が今十分にできれば、コロナ禍が去った後には政治の世界も大きく変わると僕は考えている。そしてそのように政治の世界を変えるためには、まずは国民の意識を変えなければならない。急速に変えられることではないが、このように変革することは僕は可能であると思っている。

若くして結果を出すこと?

今、京大数理研の望月新一教授によるabc予想解決が話題になっているが、望月教授と言えば16歳でプリンストン大学に入学したことが有名だ。しかしこのこと(飛び級入学)がことさら話題になるのは、望月教授にとっても心外ではないだろうか?なぜなら、数学の難問を解決することと学歴は次元と問題が違いすぎることであり、学歴がすごいなどと言うことは、はっきり言って一流数学者に対して非常に失礼な話だ。そんなことを言うくらいなら、abc予想の定義一つでも理解した方がはるかに望月教授に対する敬意になる。

そもそも、なぜ多くの人は大学に行くのか?それは学歴を付けるためなのか?もちろん多くの人にとってはそうかもしれない。学歴を付けて就職を有利に進めることが目的かもしれない。ならば、大学の勉強は単位が取れればそれでよいのか?優をいくつもそろえることが目的なのか?もちろん、頑張って優を獲得することは非常に素晴らしいことである。しかし、大学は就職予備校ではない。いや、現実問題として就職予備校化している大学は沢山あるし、大学でも就職支援に対して非常に力を入れているところは多い。それは社会的に見れば道理に合ったことであり、むしろ歓迎されるべきことなのかもしれない。しかし僕はそのような現状に非常に悲しくなるのである。

僕自身、大学時代の生活はとても自慢できたものではなかった。学生時代に調子を崩し、思うように勉強・研究ができなかった。それは大学院に入ってからもそうである。だから成績も全然良くはなかった。しかし数学と物理に対する意欲は人一倍持ち続けてきた。学生時代は、調子が悪くても休日も学生室・院生室に通い続け、研究に取り組んできた。若くして結果を出すことには憧れてはいたが、とてもじゃないがそういう状態ではなかった。

しかしだからと言って、今全ての事に対してあきらめるなんてことは全くあり得ない。若くして出した結果も年老いて出した結果も、出した時の年齢による優劣などは全くない。もちろん将来性などを考える人もいるが、人間は意欲を持ち続ける限り、死ぬまで成長・発展し続けることができると僕は考えている。おそらく多くの人はそのような考えに反対するかもしれない。だから僕自身がそれを実行して、成し遂げて示さなければならないと思っている。

完成された人間と言うものは、死ぬ直前でなければならない。いや、死に床にあっても発展し続け未完成なのかもしれない。ピークが20代の頃だったなどと言う人の言っている意味が僕には全く理解できない。そういう僕は、とんでもない変人なのだろうか?

今重要なのは、感染の可能性を下げることだ!

新型コロナの流行が急速に広がっている。おそらく、まだ自分は関係ないと思っている人はいないはずだ。衛生的にも経済的にも、打撃は非常に大きいものになっている。普通に暮らしている限り、誰もが感染する可能性がある。なので、自分は感染するはずはないと言う根拠のない自信はやめにして、もしかしたら自分はすでに感染しているかもしれないと言う意識をもって行動することが大切だ。自分がかかっても、人にかけてもダメなのだ。

今、マスクやアルコールなどでの手洗いを含め、様々な感染予防が実行されている。そこで、それで100%防止できるのか?と問われ、完全には防止できないと答えられた時、「完全に防止できないから、しても無駄だ」と言って何も対策を取らない人が多い。しかし僕はそれは違うと思っている。重要なのは、完全に防止できなくても、可能性を下げることなのである。

例えば、マスクは完全にウイルスの侵入を防ぐことはできないと言われているが、少なくとも侵入の可能性を低減することはできる。そしてもし自分が感染していた場合、飛沫感染を圧倒的に低減することができる。だから完全に防止できなくても、しないよりかは圧倒的にマシなのだ。完全ではなくても、可能性を低減すると言う思考と行為が大事なのだ。感染の可能性を低減する行為を取り続けることが、自分と周りの人を守ることになるのである。

街中でマスクをしない人をよく見かけるが、それは自殺行為ではなく殺人行為である。マスクをしないことが、他人を殺すことにつながるかもしれない。そう考えて、自分を、さらに周りの人を守らなければならない。

二週間後が危ない!

一昨日、昨日と、用事があって神戸三宮の街を歩くことになった。このような時世だから衛生面には万全の注意を払い、当然マスクを着用していたが、街や仕事現場の人々を観察していると驚くべき状況であった。何が驚くべきことなのか?それはコロナウイルスに対する危機意識の薄さだ。新型コロナウイルスに関する危険性については昨日の僕のブログで述べた。なのでそのことについては割愛するが、街の人々を観察していると、2割~3割くらいの人がマスクを着用していないのだ。東京ならばもっと着用率が高いのか、それは分からないが、神戸の人々のマスクの着用率は僕にはかなり低いように思えてならない。

そして驚くべきことに、マスクを着用していない人ほどべちゃくちゃと話をしているのである。おそらくマスクをしている人は、自分が感染するかもしれない、さらには自分はすでに感染しているかもしれないと意識しており、マスクをしていない人は、自分が感染するはずがない、なので人に伝染させることもないと思っているのかもしれない。これは明らかに危機的状況である。

周知のように、フランスでは外出するのに許可書が必用であり、それに違反した者は数万円単位の反則金を取られる。日本に比べれば非常にきつい制限である。そのような状況でもかなり危機的な状況に即している。日本はマスク非着用での外出の自由を認め、それでいてフランスよりも現時点では軽い状況である。それは日本が成功しているからなのか?僕は断じて違うと考えている。現在のフランスは二週間後の日本の姿、あるいはフランス以上にひどい状況になるかもしれない。はっきり言って、このような観測など大きく外れてほしい。そして木原の言っていることなど全く当てにならないと言ってほしい。そうなって欲しいと強く願うが、確実に言えることは、日本人のコロナに対する危機意識は薄すぎると言うことだ。

一刻も早く緊急事態宣言を出すべきだ。いや、今出しても遅すぎるくらいだ。現在の対処は二週間後に現れる。その時になって慌てても圧倒的に遅い。僕のこの観測は外れるべきだ。いや、外れないと国が持たない。二週間後、このブログを読んだ人が木原はバカだったと笑ってくれることを願うばかりである。