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70%主義。

日本と言う国は何かとゼロリスクにこだわる。確かにゼロリスクなら前総理がよく口にしていたように「安心・安全」であろうが、しかし実際はほぼ全ての事についてゼロリスクなどありえないし、さらに多くの人が言っているように「リスクを取らないことが最大のリスク」であることは明らかだ。とは言え、同じ確率のリスクでも、3%の確率で風邪になるのと、3%の確率で死ぬのではリスクの大きさは全く違ってくる。なので一概に「何%のリスクを背負えば良いか?」とは言えないが、僕は基本的に70%主義を基準に行動している。

僕の70%主義とは、「70%成功する確率があるのなら実行する」と言うものだ。逆に言うと、30%の失敗のリスクは負う覚悟であると言える。この30%のリスクも「どのようなリスクか?」と言うものによって大きく意味が変わって来るが、僕は究極的に、30%死ぬとしても70%生き残れるのなら実行しようと強く思っている。それくらいの覚悟で僕は生きている。とは言え、無駄なリスクを取るつもりは全くないのだが。

今僕が取り組んでいる数理物理(数学・物理)の研究において、僕は70%の確率で成功すると考えている。そしてもしそれが成功すれば非常に大きな成果になると思うし、その先がさらに続いてくる。周りの人から見れば、「1%もないだろ!」と思うかもしれないが、自分の事は自分が一番よくわかっている。自分の体調も自分の脳の調子も自分が一番よくわかっているのである。そして今の僕は過去の僕とは全く違う。なぜ違うかと言うと、僕は常に人生の坂を上ることを自分に課しており、常に進化しようと進んでいるからである。常識的に考えれば、30歳を過ぎれば後は老化していくのみである。たしかにそれは常識であるかもしれない。しかし常識がそうだからと言って、何も自分までそれに従う必要はない。確かに体は、そして細胞は老化しているかもしれない。しかし精神的な思考は自分次第では常に進化し続けることができると僕は強く考えているのである。そして実際僕は進化し続けている。

そして常に進化し続けるためには何が必用なのか?それはリスクを取ることだと僕は考えている。なので僕は常に30%のリスクを取ろうと考えているのである。おそらくゼロリスクにこだわり続けている人は、例え若くても退化するのみだと思う。そしてリスクとは金銭的なリスクだけではない。人生における全てのリスクの事である。自分が安全志向になっている時は、「今自分はリスクを取っているか?」と自問する。時には変なゼロリスク志向にとらわれている時もある。そのような時はリスクを増やすように修正するのである。そしてその最も理想的なリスク志向は70%主義であると僕は定めている。

出来る限り無理をしながら・・・。

イチローが大谷翔平にかけた言葉だ。イチローさんはシーズンを終えた大谷翔平選手に、「出来る限り無理をしながら翔平にしか描けない時代を築いていって欲しい」と述べたと言う。いかにもイチローさんらしい言葉だ。普通なら「無理をしないで」と言うところであろう。しかしイチローさんは無理をする事の重要性を知り尽くしている。無理をすべきところで無理をしてきたからこそ、あれだけの実績を残せたのであろう。

無理をするために必要なものは、強靭な身体と強靭な精神力だ。それはスポーツ選手に限ったことではない。学問の研究者だって同じだ。もちろん僕も出来る限り無理をしていきたい。しかしそれだけの強靭な心身を備えていないと、無理をし過ぎて自滅してしまう。無理をすることができると言うのも、それは立派な才能だ。無理をして継続することは誰もができることではない。だからこそ無理をして継続できる力を身に付けたいと思っている。

僕は常々、研究者に必要なのは「一に体力、二に体力、三四がなくて、五に知力」と言っている。頭を駆使する数学者であっても、最も重要なのは強靭な体力なのである。とは言っても、アスリートのような身体能力ではない。継続して無理ができるような強靭な心身なのである。それはおそらく全ての研究者が一致する見解であろう。

来シーズン、大谷選手の活躍が非常に楽しみだ。イチローさんが以前言っていたように、来シーズンはホームラン王とサイヤング賞を同時に獲得するかもしれない。そんなことを言うと「それはさすがに無理だ」と言う人もいるであろう。しかしそれは一般的な常識しか持ち合わせていない人の意見であって、規格外とはそういう事なのである。そして来年は大谷翔平だけのためにあるのではない。これから生きて行く全ての人に来年はやってくる。なので大谷選手だけでなく全ての人が「来年は自分のためのシーズンにしてやる!」と思うことが重要だ。もちろん僕も強くそう思っている。そのためには強靭な心身を築き上げて、継続して出来る限り無理をし続ける人間にならなければならない。

死ぬまで上り続ける!

最近、FIREと言う言葉がはやっている。FIREとは「早期リタイヤ」のことだ。つまり若くしてそれなりのお金を稼ぎ、早期リタイヤしてその後は貯金や資産運用で余生を過ごすと言うものだ。確かにそのような生活は多くの人が憧れるものかもしれないが、これほど僕に不似合いな言葉もないと自分でも思えてくる。そもそも僕は若い頃は(今でも若いと思っているが)いろいろあって思うように活躍できなかった。なのでこれからは死ぬその時まで現役で活躍し続けたいと思っている。死ぬまで坂を上り続ける、そのような生き方を貫きたいと思っているのだ。

司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」と言うものがある。日露戦争時の将校であった秋山兄弟、そしてその友である正岡子規の物語だ。NHKでもドラマ化されていた。僕は最近は小説を読むことはほとんどなくなったが、当時はそれなりに小説も読んでおり、坂の上の雲はお気に入りの小説の一つだった。「坂の上の雲」をどう解釈するかは人それぞれだが、僕は空高く存在する雲に近づくべく、坂を上り続けたいのである。

人間は何かと楽をしたいと言う気持ちがあるのかもしれない。おそらくFIREもそのような「いつかは楽をして暮らしたい」と言う気持ちから来ているのだろう。そして若い時に必死に働いてFIREするのも、それはそれで良い生き方だと思う。しかし僕は楽をしたいと言う気持ちがあまりない。もちろん辛いことをしたいとは全く思っていないのだが、自分が目標とするところへ近づくためなら、「苦労どんと来い!」と言う気持ちで常にいる。努力も惜しまないが、実は努力ができると言う事は幸せな事であると思っている。調子の良くない時と言うのは、努力さえもできない。なので努力できると言う事に対して僕は非常に感謝している。

現在はコロナ禍であり、何かと余計なストレスのかかる時代である。そのようなストレスを軽減させるためにもワクチンを接種することは重要であると考えている。もちろんワクチンなんて関係ないと思っている人もいるだろうが、ワクチンを接種することによって行動の自由も広がり、ストレスも軽減されていく。今のコロナ禍にあって、ワクチンは自己実現のための一つの武器だと思っている。そして先日、ワクチン二回目接種を終えた。それを合図に、これから再び人生をどんどん攻めて行きたいと思っている。どんな急坂でも登り切ってやると思っている。そしてこれから何年、何十年と、死ぬまで坂を上り続けて行こうと思っている。そのためにも、健康には最大限の注意を払って、さらに筋トレやジョギングなどをして体と脳を鍛えながら上り続けて行こう!

数学書一冊で千杯飯が食える!

もし本を一冊しか買えないとしたら、どのような本を買うだろうか?多くの人は小説だとか雑誌を買うかもしれない。あるいはサイエンスの解説書だろうか?ではその一冊の本でどれだけの時間を楽しめるだろうか?雑誌だとせいぜい三十分もあれば読み切れてしまう。文字の多い小説であっても五時間もあればだいたい読み切れてしまうだろう。すなわち小説を買ったとしても、たった五時間しか楽しめないのだ。

しかし数学書ならどうだろう。それも単なる解説書ではなく、ある程度本格的な数学書、あるいは大学レベルの数学の教科書でもいい。そのような数学書ならそれだけで確実に飯が千杯食える。すなわち一年間はその一冊で過ごせるのだ。これほどコストパフォーマンスに優れたエンターテイメントは他にない。数千円出してディズニーランドに入園しても、10時間もすれば終わってしまう。しかし一冊の数学書を数千円で買って数学エンターテイメントに入り込めば、一年間遊び放題なのだ。

僕はかなりのお金を書籍につぎ込んでいる。そのほとんどは数学書、あるいは物理学書だ。本棚には(おそらく)千冊くらいの本が並んでいる。そのように本を買いまくるのには理由があるが、ただ単に一年間遊び続けたいだけなら数学書一冊で物足りるのだ。しかし本格的な数学書を買う人は多くはない。数学や科学の本を買うにしてもなぜかお手軽な雑誌などに行ってしまう。確かに中学生くらいならそれでいいかもしれない。しかし高校まで数学を学んだのなら、本格的な大学レベルの数学の教科書を読まなければもったいない。何のために数学(算数)を12年間学んできたのか?その答えが数学書に取り組むことによって見つかる。

まずは解析学の教科書でも買って、数式と格闘してみよう。そうすれば少しだけ物事の本質が見え、これまでとは少し違った価値観に目覚めるはずだ!

スマホの電源を切ってみる。

ここ数日、何だかストレスを感じることが多い。それと同時に、スマホを見る時間が非常に多くなっている。ストレスを感じて思い通りにいかないからスマホを見ているのかとも思ったが、もしかしたらそれは逆で、スマホを見ているからストレスを感じているのではないかと考えるようになった。そこで一度、スマホとアップルウォッチの電源を切って(シャットダウンをして)しばらく(と言っても数時間だが)過ごすことにした。

そうすると予感は的中して、スマホの電源を切った途端にストレスがスーッと収まるような感覚を感じることができた。スマホと言うものは非常に便利で、時間があればいくらでも時間を潰せることができるが、しかし時間を潰すと言う事は言い換えると時間を無駄にしているとも言え、そのようなスマホを見ている時間を学問に打ち込むことに費やす方がはるかに有意義な時間を過ごせるはずだ。

スマホがある生活とない生活のどちらかを選べと言われれば、間違いなくある生活を選ぶ。しかしそれと同時に、スマホとつながっていない時間を確保すると言う事も非常に大切だ。数学の研究と言うものは基本ペーパーの本や論文と格闘し思考する行為であるので、その中にスマホはいらない。もちろんiPadに取り込んだ電子書籍や論文のPDFを参照にすることはあるが、基本は紙と頭の勝負である。

最近、ネトゲ廃人と言う言葉をたまに聞く。ネットゲームに生活の全てを費やす人たちだ。それは人間として大きな問題であるが、そこまでいかなくてもある程度のスマホ廃人と言うのはかなり存在するのではないかと思う。もしそのような問題に気付いたのならば、一度スマホの電源を切ってみるといい。

最後に、僕が目指すのはスマホ廃人ではなく、一日の全てを数学に費やす数学廃人である。

これから一か月半生き延びる事。

現在コロナ禍はますます酷くなってきており、現在蔓延しているデルタ株は若い人、そして基礎疾患がない人たちにも重症化のリスクが高い傾向があると言われている。なので完全な健康体(と思っている)である僕であっても、感染すれば重症化のリスクもないとは決して言い切れない。いや、僕自身は、感染してしまうと重症化してしまうと言う前提の下で日常生活を過ごしている。なので感染対策にはかなり気を使っている方だと思っている。

そしてそのような重症化を防ぐ現在出来うる最強の対策は、ワクチン接種である。なので僕も一刻も早くワクチン接種を行いたいと思っているが、接種の予約は今月の後半に入れることができた。モデルナ製のワクチンだ。今月の後半に接種するとなると、モデルナは一回目と二回目の間隔が4週間で、さらに効果が万全になるのは二回目接種から二週間後だと言われている。そう考えると、ワクチンの効果が効いて安心できるまでには一か月半かかる。この一か月半が人生の分かれ目であると考えて、何とか生き延びようと慎重に行動しようと思う。

このようなことを書くと大げさだと言う人もいるかもしれないが、僕は全くそうは思わない。以前コロナはただの風邪だと言っている人もいたが、現在の惨状を見ると90%以上の人はそうは思わないはずだ。しかし逆に言うと、10%ほどの人はただの風邪、あるいはインフルエンザと変わらないと今でも思っていると言える、ここで出した割合の数字は僕が主観的に出した数字なので正確ではないが、ただ飲食店でマスクもせずにワイワイと宴会をしている人がそれなりにいることを考えれば、あながち乖離しているとも思えない。

ここまでコロナ禍が酷くなったのは、50%以上は政府の責任であると考えている。しかし政府の失政によってコロナ禍が酷くなったからと言って、政府が助けてくれるわけでもない。救急車を呼んでも搬送してくれると言う保証がない現在においては、もう自分の体は自分で守るしかない。とは言え社会で生きている以上、100%安全な策と言うものは存在しない。なので今はできるだけ危険性を下げると言う行動を取ることが重要だ。コロナ禍が終息するまで生き延びて、その時に皆で晩酌を挙げようではないか!

確率的思考。

物事を考える時、どう判断すべきか?僕はできるだけ確率的に判断しようと心がけている。常に物事のリスクとベネフィット(利益)を天秤にかけ、ベネフィットが大きければ実行するし、リスクが高ければ実行しないと言う判断を下す。特に現在のコロナ禍の中、このようなリスク判断は非常に重要になってくる。何事においても100%安全であると言う事はあり得ない。コロナ対策に関しても感染のリスクの高い行動は出来るだけ避けるべきであるし、ワクチン接種をするかどうかに関してもリスクとベネフットを冷静に確率的に比較し判断すべきだと考えている。

しかし僕の周りの人間たちはこう言うかもしれない。「木原(僕)は全然リスク判断が出来ていないではないか!」と。そう、僕はかなりリスクを度外視した判断をすることがある。現在の僕の座右の銘は「危険に飛び込め!リスクを負え!」である。とにかく自分からどんどんリスクに飛び込んでいくことを心がけている。先ほどのコロナ対策に関しては完全に確率的にリスク判断をすべきであるが、例えば自分の夢や将来を切り開いて行く行動に関しては、成功の成否を確率的に考えるようなことはしないし、そんなことを考えていれば全く行動に移せない。なのでかなりの危険があってもまずは飛び込んでいくことが大事である。そこには自分の確固たる意志と言うものが大きく絡んでくる。

最近は社会で数学と言うものが軽んじられてきているように感じる。しかし確率と言うものは完全に数学である。なので日常における様々な判断を確率的に行うためには、数学的素養と言うものは重要な要素になってくる。最近はプログラミング教育における観点から数学的ロジックの重要性が主張されることがある。しかし数学の一番の強みは「本質を見抜く目を養う」と言う事にある。物事を実用的観点のみで判断してしまえば、結果的に実用的な力さえも失ってしまうことになる。なので「役に立つかどうか?」と言う判断ではなく、「そのものに価値はあるか?」と言う価値判断を下せる素養を身に付けなければならない。そのためにはまず「役に立つ≠価値がある」と言う事を理解しなければならない。

世界一健康な人間を目指す!

何事も本気で取り組むのなら、世界一を目指すのは当然だと思う。しかし今僕が野球に取り組んだところで、大谷翔平の足元にも及ばないことは十分に認識している。しかし誰にも負けない自信がある分野も当然ある。それらの事にはこれまでブログにも触れてきたが、新たに「世界一健康な人間になる」ことを目指そうと思う。もちろん、健康はいつ突然失われるかわからない。明日突然死ぬ可能性も決してゼロではない。しかし究極の健康を目指すことは僕にもできるのではないかと考えたのだ。

もちろん、どのような状態が健康であるかは人によって意見が変わるところだし、また主観的な部分も多く含まれる。なので僕が「自分は世界一健康である」と言い張っても、「いや、そうではないだろう」と言う人が出てきて当然だ。なので健康に関しては、「自分で自分が世界で一番健康だ」と思えるレベルに持っていきたいと思っている。

では、僕が考えている健康とはどのようなものか?それはもちろん心身共に健康であることだが、まずは治療薬とは限りなく縁のない生活を送りたい。そして頭脳が聡明な状態を常に持続させることが求められる。肉体・精神・頭脳の三体が相乗効果によって高いレベルへと持ち上げられていくことを目指したいと考えている。ではそのためにはどうすれば良いか?もちろん健康的な食べ物を食すとか筋トレなどの運動を欠かさないと言う事は大事だが、僕が最も重要だと考えているのは、「質の良い睡眠を適度に取る」ことだ。そして過度なストレスを出来るだけ感じないようにすることも重要だが、ストレスに関しては睡眠と連動するところが大きい。そして昨今はコロナ禍によって行動が制限され、よりストレスの感じやすい環境になっている。

僕は今、この睡眠改革に取り組んでいる。と言っても大げさな話ではなく、出来るだけ良質な睡眠を取ることに挑戦しているだけだ。しかし多くの人が当たり前にできるような普通レベルの睡眠を取ることが僕には至難の業だ。以前は過眠であったり、そして今は不眠であったりする。しかしこれは僕にとっては乗り越えられる問題だと思っている。そしてこの睡眠問題一つを解決するだけで、健康も学問研究も全てが圧倒的に良い状態になると僕は考えている。なので今はこの睡眠問題を解決することに全力を挙げている。そして世界一健康な人間になることによって、あらゆることが圧倒的に向上することであろう。

評論家とは究極的に無責任な存在だ!

今メジャーリーグで大谷翔平選手が爆発している。打者としての爆発が目立っているが、投手としても半端なくレベルの高いプレーをしており、ただ単にリリーフ陣の崩壊によって勝ち星がなかなか付かないだけのように見える。現在どの評論家も大谷選手の事を手放しで褒めたたえているが、二刀流の挑戦を始めた時の評論家の発言はどれも酷いものばかりであった。代表的なもので言うと、「そんなに甘くない」「どっち付かずになってしまう」と言ったものであろう。そしてそのような発言を今見返した時、あらゆる意味であきれ返ってしまう。それは大谷選手の活躍を見通せなかったからではなく、そのような発言を見た時、どれもド素人でも言えるような発言しかしていないことに驚きあきれ返ってしまうのである。もし元プロ野球選手の評論家なら、あらゆる側面からの分析によって評論してもらいたいものであり、そのような分析でも予見できなかったとなれば我々も納得し、大谷選手の凄さをさらに実感できるのである。そう考えれば、上の二つの発言のような評論は、超ド素人レベルの超無責任発言にしか思えない。

もちろん、これまで誰もやってこなかったようなことに挑戦・開拓する人に対しては、無責任な批判はつきものである。そしてもし失敗すれば「それ見たことか」と皆が笑う。なので新しいことに挑戦・開拓する時は、困難は取り組む対象だけでなく、世間の白い目とも戦わなければならない。世の中と言うものはしばしば不条理だと言われるが、しかし不条理が世の常だからと言って平気で無責任な発言をする人に対しては僕は怒りを隠せない。僕も今、数理物理(数学・物理)の研究で、誰もが成し遂げなかった(誰も取り組んでこなかった?)ことに挑戦している。そして結果を出せる自信は大いにある。しかし周りの目はかなり冷ややかだ。確かに今までの過程を見ると、そう思われるのは仕方ないのかもしれない。しかしこれまでの過程、これまでの人生に関しては人それぞれ特有の事情があり、これまで上手くいかなかったことに関してもその人の事情があるのである。しかし今までできなかったからと言って、それはこれからもできないと言う理由にはならない。もちろんこれまでずっと成功できなかった人のほとんどは、これからもできる見込みはないと思うのが常識なのかもしれない。しかしその人の常識を他人にまで押し付けるのはやめてほしい。さらに言えば、挑戦もしない人が人の挑戦に対して否定するのは明らかにおかしいしバカバカしい。それこそ無責任の極致である。

だいたい百年に一人の人間になろうとする人は世の中にはほとんどいない。しかし百年に一人の人間になろうと努力している人に対して外野から非難するのは究極的に卑怯でもある。大谷翔平選手は百年に一人の選手になろうと挑戦しているのである。並みの元プロ野球選手にはそのような事を全く理解できないのかもしれないが、超一流メジャーリーガーのイチロー氏は大谷選手がメジャーに挑戦する時「大谷は打者ではホームラン王を取れる可能性があるし、投手としてはサイヤング賞を取れる可能性がある」と二刀流を後押ししていた。やはり超一流の選手の事は、超一流の選手にしか理解できないのかもしれない。

結果を出すまではバカと言われ続けられるのかもしれない。ならば結果を出せばいいのだ。結果を出してしまえば誰も文句は言わない。僕も今、大きな挑戦をしている。そして結果を出すまではバカと言われ続けることを覚悟している。しかし結果を出すことは僕にとってゴールではない。それは僕の人生、そして研究者としてのスタートであると考えている。結果を出して満足するのではなく、結果を次のさらに大きな結果へと繋げなければならない。そして僕は死ぬまで挑戦し続ける覚悟である。

本!本!本!

最近、かなり調子が乗ってきた。僕が調子が良い時は、一つの顕著な傾向が現れる。それは本を買いまくると言う事だ。とは言っても、数十冊も買う訳ではない。しかし数学書や物理学書などの専門書は一般の本に比べてかなり高額になる傾向がある。なので数冊買っても一万、二万円を超えることはよくあることだ。なので漫画で言うと二十冊分くらいの額になるのではないだろうか。

最近調子が良いことをいい事に、先日も本を数冊買ってしまった。僕は普段はそんなに浪費する方ではないが、専門書になると途端に金銭感覚が狂ってくる。ではなぜそのような事になるのか?それは本を買うことは自己投資だと考えているからだ。一般の人でも自己投資だと言ってお金を出すことはよくあるだろう。そしてそれらの人はおそらく僕が本に投資をする額よりも高額の投資をしていることが多いと思う。そう考えると、僕が本に自己投資するお金は極端に高額ではないのではないかと僕は思っている。

そこで最近、本をどのように買っているかと言う事を少し書こうと思う。おそらく最近は、多くの人がAmazonで本を買っていることだと思う。僕自身もここ十年くらいはAmazonで買うことが非常に多い。特に専門洋書は一般の本屋では売っていないので、Amazonで買うしかルートがない。なので数学や物理の専門洋書はAmazon一択であるが、専門和書についてはAmazonかジュンク堂の店舗のどちらかで買うことが多い。特にジュンク堂などの店舗で買うメリットは、本の実物を手に取って確認できることだろう。そして最近本屋がどんどん潰れていると言われて久しいが、そのような本屋の実店舗を支援する意味合いでも、店舗で買えるものは店舗で買うことにしている。もちろんそのような本屋を応援する意味合いなら、街にある小さな個人書店などで買う方がいいのかもしれない。しかし個人書店では専門書まで置いているところはほとんどないのが現実である。

最近、楽天経済圏に参加し始めた。楽天銀行に口座を作り、楽天カードも作った。そしてスマホの二回線目としてiPhoneのesimに楽天モバイルの回線を入れた。そのような事をすると、楽天市場でのポイント額がかなり上がったのである。なので書籍もAmazonで買うより楽天ブックスで買う方がかなりポイントが付くのである。なので最近は専門和書を買う時はAmazonから楽天ブックスにシフトした。これからは楽天ブックスにはかなりお世話になりそうである。

余談だが、ジュンク堂を利用する時はジュンク堂のアプリである「honto with」が便利である。Amazonで品切れ(絶版)になっている本でもhonto withなら全国のジュンク堂書店の在庫を確認でき、近くの店舗に取り寄せることができる。僕は最近よくこの機能を利用している。

とにかく、本は思考的活動をする上では欠かせないものである。学問を研究しようと思えば、本や論文は必須である。とは言え、確かに僕のように本を買いまくる必要はないのかもしれない。しかし本を買いまくるのが僕の研究スタイルである。もちろん専門(数学・物理)以外の本も買いまくっている。とにかく本と言う存在は僕の心を非常にワクワクさせてくれるものである。