思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

成功の反対は・・・・・?

YouTubeを見ていると、ガンと闘ったアイドルの動画があった。その中で彼女が言った言葉が非常に共感するものであり、また今の日本に最も欠けていることではないかとも思った。それは、

「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」

と言う言葉である。

現在の日本人は極度に失敗を恐れているように感じる。そして失敗を恐れるあまり挑戦をしないと言う選択ばかりとっているように感じる。そしてさらには、挑戦する人をバカにする風潮さえあるようにも感じる。もしこのような僕の感覚が本当なら、日本に将来は全くないはずだ。しかし現実として、日本は曲がりなりにも成り立っている。経済は確かに後退しているが、スリランカのように破産しているわけではない。それはこのような日本の中にも、それなりに挑戦者が存在するからではないかと僕は思っている。

僕は失敗はたくさん経験すべきだと考えている。失敗は挑戦した証であり、誇れるものでもある。そして多くの失敗を重ねる中で成功を生み出して行けば良いのである。しかし何を勘違いしているのか、多くの人は失敗をしないで成功することが善だと考えている。しかしはっきり言って、そのような人には100%、いや、200%成功は訪れない。なぜなら失敗を避けている時点で、挑戦を全くしていないからである。そして挑戦をしないと言うことは、もちろん成功もありえない。今日本に必要なのは、目先の利益、目先の成功ではなく、積極的に挑戦するという精神である。

僕自身のことになるが、僕は失敗の数は誰にも負けないと(変な)自負を持っている。そしてそれだけ失敗していると言うことは、それだけ多くの挑戦をしていると言うことである。もちろん挑戦し続けていることは僕の誇りでもある。しかし残念なことに、まだ成功には至っていない。しかし成功する自信、いや、確信は強固にある。数学・物理だけでなく、サイエンスのさまざまな分野の研究にも挑戦している。YouTubeも始めたし、今年は本を出版することもできた。なんだか年を重ねるにつれ、挑戦心が増してきているようだ。

挑戦しない人たちは、できない理由を必死に探しているように感じる。「自分には才能がないから」、「面倒だから」、「もう年だから」と。しかしこれらの理由は僕から見れば全てバカバカしいものばかりだ。才能がないなら才能を磨けばいいし、年を理由に諦めている人は、ならば若ければやっていたのか?と言う話である。

若くして結果を出せれば凄く良い。しかし遅くても結果を出せればそれも凄く良い。藤井聡太五冠のように若くして大きな成功を成し遂げた人には非常に憧れるし、とてつもなく偉大でもあると思う。しかし若くなくても挑戦し続け、これから大きな結果を出せばよいのである。自分には自分の人生がある。それが個性というものである。人と同じ人生を歩む必要なんて全くない。人生にも多様性が大事なのである。さあ、また今から新しいことにでも挑戦しようか!

僕が徹底的に本(主に専門書)にお金をかける理由。

僕はこれまで何度かブログにも書いてきたように、本(主に専門書)に多額のお金をかけてきた。たとえお金に余裕がなくとも、本にかけるお金はできる限り確保するようにしてきた。ホンゲル係数(収入のうち、本にかけるお金の割合)は日本一だと自負している。では、それらの本を全て活用できているのか?と言われれば、決してそうではない。しかしトータルで見ると、大きく活用できているはずである。

本とは知への入り口である。多くの人は、お金を稼ぐための知識をつけるために本を読むと言うだろう。それも全然間違いではないし、むしろそのような考えの方が世間一般の常識的に見て正しいであろう。またある人は、小説を読んで感性の豊かさを身につけると言うだろう。それも全然間違いではないし、こちらも世間一般的に見て常識であろう。では、専門書を買いまくるのはどうか?とても人にお勧めできるお金の使い方ではない。また、専門書を買いまくる人など社会的に見て圧倒的少数派であろう。また専門書を集めるのが趣味だなんて言うと、完全に変態扱いされるに違いない。そんなお金があれば、ロレックスの時計を買う方が圧倒的にメリットが大きいであろう。しかし世の中には変な人がいるもので、専門書を買うことに喜びを感じる人(すなわち僕のような人)が少数いるのである。

しかし僕の経験上、専門書を買うことは決して無駄ではないと感じている。実際、僕が大学時代に買いまくっていた専門書は、その時には全く活用できていなくても、後になって大きく活用されていたりする。もちろん中には読まない本もあるが、それも含めて自分の血となっているのである。ある時期、本を買いまくることをセーブしていたことがあったが、今はその時本を買わなかったことを後悔している。なので今はお金の許す限り本を買いまくることにしている。

本とは知への入り口であると先ほど言った。なのでその分野の基礎知識を身につけるには、専門書を避けては通れない。そしてさらに先に進めたくなれば論文を読むことになる。なぜ知への挑戦をしようとするのか?それは自己の科学に対する欲求でもあり、自分の限界への挑戦でもある。プロ野球選手が野球の技量に対する限界への挑戦をするように、科学者は科学的な知に対して人間はどこまで迫れるのか?と挑戦し続ける。そのためには専門書や論文は必要不可欠である。そして僕に関して言えば、「とことん本を購入しまくって、それを徹底的に活用する」と言うスタンスをとっている。しかし皆が皆そのようなスタンスを取る必要なはい。ただ僕はそのようなスタンスを取ることにこだわっているだけなのである。

本への投資は株への投資とは少し意味合いが違う。株への投資の最大の目標は金銭的利益にあるのに対して、本への投資の最大目標は自分の知的レベルの向上と人間性の向上にある。しかしそのようなことに価値を見出せる人は実際はあまり多くないのかもしれない。なので多くの人は株に多額の投資をし、千円の本一冊も買わない。しかしもし皆が皆本に多額の投資をしまくってしまえば、それはそれで世の中が偏ってしまうかもしれない。しかし現代の世の中において、年間に一冊も本を買わないと言うことになれば、それは明らかに知的危機であるに違いない。

世界最強の亀になる!

日本では、兎と亀の話がよく話される。ご存じの通り、兎は足が速くどんどん先に進むが、最後には地道に前に進んで行った亀が先に着くと言う話だ。僕は現在は兎でも亀でもない。しかし結果的には亀になればいいと思っている。しかし目指すなら、普通の亀ではなくて世界最強の亀だ!

僕の人生は、三歩進んで二歩下がる、いや、時には一歩進んで十歩下がるという時もあった。なのでなかなか前に進まない。困難の連続だ。時には不調に陥り、しばしば失敗を繰り返す。しかし時間がたって気づけば、それなりに前に進んでいるものである。不調に陥った時はかなり絶望的な状況になるが、それを乗り越えると心身共に前より強くなっているのだ。最近もかなり不調に陥っていたが、その原因が明らかになり解決方法が見つかりつつある。そしてそれを乗り越えることができれば、以前より心身共に強くなっているような気がする。そのためにも、最近はかなりハードな筋トレも再開した。

今開かれているオリンピックでは、最年少のメダルとかがよく話題になる。そして最年少と言えば、将棋の藤井聡太さんの話を避けては通れない。藤井さんはとてつもなく凄い。彼は言うなれば「史上最強の兎」である。そのような最強の兎に立ち向かっても勝てるわけがない。別に僕が藤井さんに対抗心を燃やしているわけではないが、僕は兎では全くないが、「最強の亀」ならまだ目指せるのではないかと思っている。ドラゴンボールと言うアニメでは、戦闘民族サイヤ人はダメージを負うほど回復したときにはさらに強くなっている。僕はサイヤ人ならぬ「サイヤ亀」、そして「亀仙人」を目指そうと思っている。

人間は誰しも歳を取る。しかし「歳を取ったからもう無理だ」と言うのは、単なる言い訳にしか聞こえない。特に挑戦もせずに、そして努力もせずに初めからあきらめるのは愚の極致だ。なので僕は何でも挑戦してみる。その結果、失敗しても良いのだ。失敗は挑戦の証であり、途中で100回失敗しても最終的に成功すればいいのだ。しかし「最年少の天才」は良く聞くが、「最長老の最強の亀」とはほとんど聞かない。しかし前例がないなら、自分が前例を作ればいいだけだ。幸い、気力だけは誰よりも維持し続けている。人間は老化するだけでなく進化もし続けることができる。死ぬまで進化し続ける事、それが僕の最大の目標だ!そして人生を終える時、亀仙人になっていたいと思っている。

手段を選ぶことは、過程を楽しむことだ!

世間では「手段を選ばない」と言われることが多い。例えばお金を稼ぐこと、今取り組んでいる事で結果を出すこと。確かにお金を得る事だけが目的なら、あるいは結果を出すことだけが目的なら、手段を選ばない事が一番の近道であろう。しかし手段を選ぶにしろ選ばないにしろ、必ず過程と言うものが存在する。ならばその過程も楽しまないと損ではないか!さらにその過程が大きな充実とやりがいをもたらす。そしてその結果として成功すれば言う事はない。

僕らのような40代の日本人が受けた小中学校でのテストはどのようなものであったか覚えているだろうか?おそらく算数・数学のテストの解答用紙は答えの数字だけを書くようになってたはずだ。しかし現在の小中学校では、その過程の数式・計算までしっかりと書くようになっているらしい。つまり昔のテストは結果さえ合えば過程なんてどうでもよかったのだ。何なら鉛筆を転がして書いても、それがあっていれば正しいと評価される。そのような教育を受けた僕らの世代では、過程を軽視する、つまり手段を選ばないと言う人が多くてもおかしくはない。もしかしたら現在の日本における閉塞感はそのようなところから来ているのではないか?

誰だって楽しく生きたいと思っているはずだ。しかし実際は人生を楽しめている人は少数派のように思える。多くの人は「現実はそうではない」と考えているはずだ。しかしそのような現実を選んだのは皆自分である。もちろん全員とは言わない。育ってきた環境によって苦しい立場に立たされている人もそれなりにいるはずだ。しかし偏差値だけを求めて、高収入だけにこだわって過程をないがしろにしてきた結果、人生が楽しくないと言うのは少し違うと思う。繰り返し言うが、自分の力ではどうしようもなく苦しい立場に立たされている人も少なからずいる。しかし自分で選んだ生き方をして、現実はどうだとか言って楽しくないと言うのはおかしいのではと僕は思うのである。

「苦しい」とは決して「楽しくない」と言う事ではない。つまり「苦しい」と「楽しい」は両立するのである。僕自身、現在は何とかそれを両立できていると思っている。はっきり言って、現在はあらゆる意味で苦しい。しかし限りなく楽しくもあるのである。そのように感じられるのは、手段を選ぶことにこだわって来たからだと僕は考えている。もし結果を出すためには手段を選ばないと言う立場を取っていれば、今は単に苦しいだけだったかもしれない。人生は死ぬまで過程なのである。なので結果を出すことも非常に大事だが、それ以上に過程が大切だと言う事に気づかなければならない。手段を選んで過程を楽しんで、それこそシンジョイ(新庄並みにエンジョイする事)しなければならない。

心臓に毛を生やし、顔を変えて行く決意。

「顔を変える」と言っても、何も整形をするわけではない。なぜなら整形をして様になる男はビッグボス・新庄剛志だけだからだ。では僕はどのように、そして何のために顔を変えるのか?それは「生き方を変えることによって、顔を変える」と言う事だ。顔と言うものは、その人の生き方を良く表している。だからその人の顔を見ると、ある程度どのような人か、そしてどのような人生を送ってきたかと言う事が想像できる。なので、僕らしい生き方があれば、その生き方から来る顔と言うものがあるはずだ。だからそのような顔になれるよう真剣に生きて行きたいと思っている。

ではどのような顔を目指すのか?それは言い換えると、どのような生き方を目指すのか?と言う事でもある。別に若い顔になる必要はない。とは言え、若々しさは非常に重要である。しかし若々しさは、自分の精神に求めることにしようと思っている。これからどのように生きようと思っているかはかなりはっきりしている。しかしその結果、どのような顔になるかは自分でも分からない。しかし堂々と自信をもって人前に出られる顔になれるよう努力はしたいものである。

そして自分が目指す顔になるためには何が必用かは自分でも非常によくわかっている。それは「心臓に毛を生やす」ことだ。今の自分は、少しの事で不安になってしまうことがよくある。僕自身、かなりポジティブな人間ではあるが、それでもネガティブな思考になることも多々ある。しかしそのようにネガティブに考えて守りに入ってしまえば、自分の目指す顔にはなれない。心臓に毛が生えれば、顔も変わる。そう強く考えている。

お金で顔を変えようと思うのは三流だ。(いや、新庄剛志は超一流だが。)僕は心臓に毛を生やして、生き方を変えて、そのような生き方を顔で表現できるような人間になりたい。そのために数理物理の研究に打ち込み、そしてちょっとの事では動じない精神力を身に付けたいと強く思っている。

ITに疎い世代?

よく高齢者世代が「ITに疎い世代」と言われる。果たしてこの表現は正しいのか?僕はそれは違うと考えている。「結果的」に高齢者にITが疎い人が多いと言うだけであって、本質はそこではないと思っている。僕が考えるには、正しくは「挑戦しない人たち」、そして「リスクを取らない人たち」が結果的にITに疎い人たちになっているのだと考えている。そして自然と高齢者たちは若者に比べると余生が短いので、結果的にリスクを取らず挑戦をしないと言う事になっているのである。

なので、例え高齢者であっても挑戦的な人にはITに長けている人が多いはずだ。以前、高齢の日本人女性が独学でアプリ開発をして、アメリカ・アップル社の本社に招待されたと言う話を聞いた。高齢でありながらアプリ開発をするとは極めて挑戦的であり、かつ柔軟な思考の持ち主だ。このような老人を見ていると、例え歳を取っても柔軟である人の潜在能力は果てしないものだと強く感じる。逆に例え若くても、リスクを取らず挑戦をしない人は総じてITに疎いと言える。なのでITに長けているか?疎いか?と言う事は、年齢に関係しているのではなく、その人の挑戦力に関係して来るものだと僕は感じている。

そもそもITと言うものは、リスクの塊である。スマホをいじくっている限り、常にリスクは付きまとってくる。なのでリスクを全て避けようと思えば、スマホをはじめとするIT機器に触れる事さえできなくなる。しかし今政府が取り組もうとしているマイナポイント(これが2万ポイント(2万円)と非常に大きな額である)を受け取ろうとすれば、まずマイナンバーカードを発行して、かつキャッシュレス決済を利用しなければならない。この手続きをスムーズに行おうとすれば、IT機器を利用することは不可欠だ。そしてこのマイナポイント自体も、キャッシュレス決済を普及させようとすることが大きな目的だ。しかし世の中には、IT機器は使えないが、マイナポイントは寄こせと言う人たちがかなりたくさんいるみたいだ。このような人たちはそもそもこのマイナポイントの趣旨を勘違いしている。言い換えれば、「リスクを取らずにメリットだけ寄こせ」と言っているようなものである。もちろん現在のコロナ禍で困った人たちを助けようと言う趣旨も含まれているが、政府が狙っているのは、コロナ禍での救済とITシステムの普及を組み合わせることによって、その相乗効果を狙っているのである。

こんなことを長々と言ってきたが、そんなことを言う僕自身も5年ほど前まではIT音痴と言っていいほどのレベルであった。しかし今ではかなりITマスターになっている。そして単にスマホやパソコンを利用するだけではなく、学問的な研究に応用したり、プログラムを組んで利用したりしている。そのような僕を見れば、ITに年齢は関係ないと思ってくれるはずである。もちろん数学や理論物理のような紙と万年筆の世界は大好きである。しかしITにはITの面白さ、魅力がある。大事なのは一つの殻に閉じこもるのではなく、壁を作らずあらゆる分野に挑戦することだと僕は強く感じている。

なぜお酒を飲まなければならないのか!

僕はお酒はかなり好きな方である。なので何の意識も持たずに好き放題お酒を飲んでいれば、アルコール中毒の危険性があると思っている。なので自分自身である程度制限してお酒を飲むことを心がけている。とは言っても、最近は缶ビールを飲むことが非常に多い。初めは一缶だけと思いつつ、二缶、そして三缶と増えて行ってしまう。そして不思議な事に、何だかお酒を飲んだ後の方が調子が良く感じるのだ。それでさらに次の日にもビールを飲んでしまう。しかしお酒が体に良いはずがない。短期的には良いと感じていても、長期的に飲み続ければ必ず体を痛めてしまう。

そこで大幅な禁酒を始めることにした。そもそも僕はお酒を飲むために生きているのではない。数学と物理の研究をしたいのだ。昔は適量のお酒は体に良いと言われていたが、近年はお酒は微量でも良くないと言う事が医学的にも言われている。どうやらアルコールは神経毒であるらしい。なのでほぼ間違いなく、神経の塊である脳には良くない。もしお酒を飲んだ方が調子が良いと言う気がするのなら、お酒を飲まなくても調子が良い体にしなければならない。

しかし人と付き合いながら飲むのは非常に楽しい。なのでごくたまに人との付き合いで飲む機会があるときは、その時は飲むのも良いと思っている。そんなに頻繁に飲みに行くわけではないし、ましてや現在はコロナ禍と言う事もあって飲みに行く気にもなれない。

最近、お酒が非常に安く手に入ることが社会問題化している。もちろん物にもよるが、9%の酎ハイがコンビニで百数十円で手に入る時代である。ビールも(第三のビールだが)500ミリ缶が130円ほどで手に入る。はっきり言って金銭的なハードルはないに等しい。しかし安いからと言って調子に乗って飲み続けてしまえば、結果的に体を壊すなどしてかなり高い代償を払うことになってしまう。なので基本は禁酒的スタンスを取りながら、ごくたまに美味しい酒を飲むのが良いのではないだろうか?

70%主義。

日本と言う国は何かとゼロリスクにこだわる。確かにゼロリスクなら前総理がよく口にしていたように「安心・安全」であろうが、しかし実際はほぼ全ての事についてゼロリスクなどありえないし、さらに多くの人が言っているように「リスクを取らないことが最大のリスク」であることは明らかだ。とは言え、同じ確率のリスクでも、3%の確率で風邪になるのと、3%の確率で死ぬのではリスクの大きさは全く違ってくる。なので一概に「何%のリスクを背負えば良いか?」とは言えないが、僕は基本的に70%主義を基準に行動している。

僕の70%主義とは、「70%成功する確率があるのなら実行する」と言うものだ。逆に言うと、30%の失敗のリスクは負う覚悟であると言える。この30%のリスクも「どのようなリスクか?」と言うものによって大きく意味が変わって来るが、僕は究極的に、30%死ぬとしても70%生き残れるのなら実行しようと強く思っている。それくらいの覚悟で僕は生きている。とは言え、無駄なリスクを取るつもりは全くないのだが。

今僕が取り組んでいる数理物理(数学・物理)の研究において、僕は70%の確率で成功すると考えている。そしてもしそれが成功すれば非常に大きな成果になると思うし、その先がさらに続いてくる。周りの人から見れば、「1%もないだろ!」と思うかもしれないが、自分の事は自分が一番よくわかっている。自分の体調も自分の脳の調子も自分が一番よくわかっているのである。そして今の僕は過去の僕とは全く違う。なぜ違うかと言うと、僕は常に人生の坂を上ることを自分に課しており、常に進化しようと進んでいるからである。常識的に考えれば、30歳を過ぎれば後は老化していくのみである。たしかにそれは常識であるかもしれない。しかし常識がそうだからと言って、何も自分までそれに従う必要はない。確かに体は、そして細胞は老化しているかもしれない。しかし精神的な思考は自分次第では常に進化し続けることができると僕は強く考えているのである。そして実際僕は進化し続けている。

そして常に進化し続けるためには何が必用なのか?それはリスクを取ることだと僕は考えている。なので僕は常に30%のリスクを取ろうと考えているのである。おそらくゼロリスクにこだわり続けている人は、例え若くても退化するのみだと思う。そしてリスクとは金銭的なリスクだけではない。人生における全てのリスクの事である。自分が安全志向になっている時は、「今自分はリスクを取っているか?」と自問する。時には変なゼロリスク志向にとらわれている時もある。そのような時はリスクを増やすように修正するのである。そしてその最も理想的なリスク志向は70%主義であると僕は定めている。

出来る限り無理をしながら・・・。

イチローが大谷翔平にかけた言葉だ。イチローさんはシーズンを終えた大谷翔平選手に、「出来る限り無理をしながら翔平にしか描けない時代を築いていって欲しい」と述べたと言う。いかにもイチローさんらしい言葉だ。普通なら「無理をしないで」と言うところであろう。しかしイチローさんは無理をする事の重要性を知り尽くしている。無理をすべきところで無理をしてきたからこそ、あれだけの実績を残せたのであろう。

無理をするために必要なものは、強靭な身体と強靭な精神力だ。それはスポーツ選手に限ったことではない。学問の研究者だって同じだ。もちろん僕も出来る限り無理をしていきたい。しかしそれだけの強靭な心身を備えていないと、無理をし過ぎて自滅してしまう。無理をすることができると言うのも、それは立派な才能だ。無理をして継続することは誰もができることではない。だからこそ無理をして継続できる力を身に付けたいと思っている。

僕は常々、研究者に必要なのは「一に体力、二に体力、三四がなくて、五に知力」と言っている。頭を駆使する数学者であっても、最も重要なのは強靭な体力なのである。とは言っても、アスリートのような身体能力ではない。継続して無理ができるような強靭な心身なのである。それはおそらく全ての研究者が一致する見解であろう。

来シーズン、大谷選手の活躍が非常に楽しみだ。イチローさんが以前言っていたように、来シーズンはホームラン王とサイヤング賞を同時に獲得するかもしれない。そんなことを言うと「それはさすがに無理だ」と言う人もいるであろう。しかしそれは一般的な常識しか持ち合わせていない人の意見であって、規格外とはそういう事なのである。そして来年は大谷翔平だけのためにあるのではない。これから生きて行く全ての人に来年はやってくる。なので大谷選手だけでなく全ての人が「来年は自分のためのシーズンにしてやる!」と思うことが重要だ。もちろん僕も強くそう思っている。そのためには強靭な心身を築き上げて、継続して出来る限り無理をし続ける人間にならなければならない。

死ぬまで上り続ける!

最近、FIREと言う言葉がはやっている。FIREとは「早期リタイヤ」のことだ。つまり若くしてそれなりのお金を稼ぎ、早期リタイヤしてその後は貯金や資産運用で余生を過ごすと言うものだ。確かにそのような生活は多くの人が憧れるものかもしれないが、これほど僕に不似合いな言葉もないと自分でも思えてくる。そもそも僕は若い頃は(今でも若いと思っているが)いろいろあって思うように活躍できなかった。なのでこれからは死ぬその時まで現役で活躍し続けたいと思っている。死ぬまで坂を上り続ける、そのような生き方を貫きたいと思っているのだ。

司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」と言うものがある。日露戦争時の将校であった秋山兄弟、そしてその友である正岡子規の物語だ。NHKでもドラマ化されていた。僕は最近は小説を読むことはほとんどなくなったが、当時はそれなりに小説も読んでおり、坂の上の雲はお気に入りの小説の一つだった。「坂の上の雲」をどう解釈するかは人それぞれだが、僕は空高く存在する雲に近づくべく、坂を上り続けたいのである。

人間は何かと楽をしたいと言う気持ちがあるのかもしれない。おそらくFIREもそのような「いつかは楽をして暮らしたい」と言う気持ちから来ているのだろう。そして若い時に必死に働いてFIREするのも、それはそれで良い生き方だと思う。しかし僕は楽をしたいと言う気持ちがあまりない。もちろん辛いことをしたいとは全く思っていないのだが、自分が目標とするところへ近づくためなら、「苦労どんと来い!」と言う気持ちで常にいる。努力も惜しまないが、実は努力ができると言う事は幸せな事であると思っている。調子の良くない時と言うのは、努力さえもできない。なので努力できると言う事に対して僕は非常に感謝している。

現在はコロナ禍であり、何かと余計なストレスのかかる時代である。そのようなストレスを軽減させるためにもワクチンを接種することは重要であると考えている。もちろんワクチンなんて関係ないと思っている人もいるだろうが、ワクチンを接種することによって行動の自由も広がり、ストレスも軽減されていく。今のコロナ禍にあって、ワクチンは自己実現のための一つの武器だと思っている。そして先日、ワクチン二回目接種を終えた。それを合図に、これから再び人生をどんどん攻めて行きたいと思っている。どんな急坂でも登り切ってやると思っている。そしてこれから何年、何十年と、死ぬまで坂を上り続けて行こうと思っている。そのためにも、健康には最大限の注意を払って、さらに筋トレやジョギングなどをして体と脳を鍛えながら上り続けて行こう!